第49話:悪役令嬢と聖女2

 「お母様!」


 屋敷に到着するなり、私は制服のまま着替えもせず、使用人が制止するのも振り切って、お母様の寝室に飛び込んだ。

 寝室には、我が家専属の癒し手ゲンヘルさんとミレーネ母様、そして使用人がいた。


 「なんですかレイティアさん、着替えもせずにはしたない。淑女にあるまじき無作法ですわよ」

 「お母様がお倒れになったというのに、そんなこと気にしていられません!!」

 「慌てて駆け込んだからといってロザリア様がよくおなりになるわけではありませんわ。むしろ埃にまみれたその姿で近づく方が、余程ロザリア様のお身体に障るというものですわよ」

 「ぐ……」


 正論過ぎる正論にぐうの音も出ないわ。

 私が着替えるため一旦退室しようとすると、寝室の扉が開き、お父様が入ってきた。


 「ああ、ティア。戻っていたのだね」

 「お父様!お母様はどうなさったのですか!!」

 「旦那様、お帰りなさいませ」

 「ミレーネただいま。ゲンヘル、ロザリアの容体はどうだね?」

 「今のところは安定しております」

 「そうか、ならば今しばらくロザリアの事を頼む。ミレーネとティアは私の部屋に行こうか。ここで騒がしくするわけにはいかないからね」

 「はい……」

 「はい、旦那様」


 お父様の書斎。

 ここの入室を許されるのは何年ぶりだろうか。

 書架を見渡せば、魔法大全ラグペリアの魔法書は以前の記憶通りの場所に収められていた。

 目の前のテーブルには、湯気と共に芳醇な香りを立ち昇らせているティーカップが置かれているが、今はそれに手を付ける気にはならない。

 重苦しい空気の中、お父様がティーカップを手に取り、紅茶を一口。

 私は耐えきれずに声を上げた。


 「お父様、お母様はどうなさったのですか」


 お父様は、困ったような笑みを返す。


 「そうだねえ。どう説明しようか」

 「旦那様、よろしければ私が」

 「いや、これは私の口から説明すべきだろう。よく聞きなさいティア。ロザリアは——」


 「魔獣瘡まじゅうそう……お母様が」

 「おや?魔獣瘡を知っているのかい。話したことはなかったつもりだが」

 「え、ええ。クラスメイトに聞いたことがございます」

 「ああそうか。騎士団に所属する血縁者がいれば聞いていてもおかしくはないね」


 魔獣瘡とは、魔獣から出る黒い霧を浴び続けることによって発症する不治の病。

 過去においては原因が分からないまま、大量の死者を発生させたが、今現在は魔獣との戦闘終了後、速やかに身体に付着した霧を洗い流し、定期的に癒し手の奇跡を受けることにより、ほぼ発症しないと言われいている奇病。

 この国では、辺境大森林への長期遠征や癒し手不在の貧しい村での魔獣出没で、年に数人の犠牲者が出る程度になっている。

 私はえたぱでの知識で即座に魔獣瘡を引き起こす致死の霧を出す変異種と呼ばれる魔獣の存在も知っているが、これは一般にはあまり知られていない。


 「どうしてお母様が?辺境から離れられて随分経っていらっしゃるのに。それにあんなにお綺麗な身体だったではありませんか」


 魔獣瘡を発症すると身体に黒い痣が浮かぶ。

 そしてそれは痛みを伴い、体力を奪いつつ全身に広がって、そして死に至る。

 およそ二か月前、私とお母様は確かに魔獣と対峙したが、その後すぐに全身くまなく洗われ、その際に見たお母様の身体にはどこにも痣などなかったと記憶している。

 私の問いに、お父様は苦虫を噛みつぶしたような顔になる。


 「それなんだがね。彼女は……ロザリアは一度、戦場で魔獣瘡を発症しているんだ」

 「え……それなら、なぜ」

 「なぜロザリアは生きているんだ?だね、ティア」

 「……はい。あ」


  えたぱでは魔獣の変異種によって学院の生徒が魔獣瘡を発症するというイベントがあったはずだ。

 そしてそれは主人公もつ聖女の力によって癒されている。


 「聖女様が……?しかし聖女様の力は」

 「ああ、個人にその力を利用することはできない。たまたまなんだ、本当にたまたま。そのときの戦線にいたんだよ、当代の聖女様が、聖女候補として。私は目の前で、聖女の奇跡を見た。おかげでロザリアは完全に癒された。そう思っていたんだけどね」

 「完全ではなかった……と」

 「ああ、おろらくは。ロザリア自身がそのことに気が付いたのはケヴィンを産んでからだね。騎士団教官の休職、そして——」

 「私と旦那様の結婚を強く推してくださいました」


 ミレーネ母様が言葉を継いだ。


 「もっとも、私とて指を咥えて見ていたわけではない。国中の優秀な癒し手を探し、聖女候補の力を借りるべく各地の教会にも赴いた」

 「それでしたら、聖女様のお力を借りることは!」

 「無論真っ先に陛下に願い出たさ。残念ながら断られてしまったがね」

 「そんなっ……」


 聖女の力を個人的に利用することは国の禁忌。

 それは、たとえ陛下の命の危機であっても許されることはない。

 この国に住むものであれば、誰もが知っている絶対的な掟。

 分かっていても、納得できることではない。

 私は俯き、膝の上の拳をきつく握りしめ、考える。

 そして口を開こうと顔を上げた。


 「あの……」

 

 ばん。

 そのとき、書斎の扉が勢いよく開かれた。


 「皆様、私が死んだ後の相談でもしているのかしらね。随分とお顔が辛気臭いですわよ」

 

 夜着の上にガウンを纏ったお母様が入ってきた。

 化粧で誤魔化してはいるが、顔色はあまりよくなく、胸元には黒い痣が見えている。

 思い返せば、夏以降お母様は首元まで隠れるようなドレスを着ていた。

 そのころから魔獣瘡は出ていたのだろうか。

 夏といえば……。


 「お母様、もしかしてノーランの——」

 「そうかもしれませんが、そうでないかもしれません。体調不良はもっとずっとずっと前から。貴女が気にすることではありませんよ」

 「魔獣の活性化、聖女様の力の弱まり、そしてノーランの森。全ては既に終わっているのだから、ティアが気に病むことではないよ」

 「お父様、それでもっ……」


 原因の一端が、自分にあるのだとしたら。


 「必要なことは説明くださいましたわね、旦那様」

 「あ、ああ。だがしかし、大丈夫なのか、その……」

 「戦場で千切れた自分の腕を抱えながら戦うのに比べたら大した痛みではありませんわ。そうそうレイティア、私が倒れたくらいで鍛錬はさぼってはいけませんよ」

 「はい……」

 「ミレーネさんもそんな顔しない。その程度の覚悟でここに嫁いでこられたのかしら。そんな顔では安心してケヴィンを任せられませんわね」

 「そ、そんなことはありませんわ、ロザリア様」


 お母様は分かったとばかりに頷いて、手を叩く。

 

 「では今日はこの辺で終わりにしましょうか」


 皆なにか言いたそうな顔になるものの、話題の中心であるお母様がこれでは誰も口出しはできない。

 私はとても大事なことを言う機会を逃してしまった。

 次代の聖女を、私が知っているかもしれないということを。

 そんなもやもやした気持ちのまま、その日は過ごした。


 翌朝、お母様は起きてこなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 私はひとつの決意をして学院へ向かった。


 「レイティアさん、どうしたっすか。そんな暗い顔して」

 「マルチナさん。お願いがあるのですが」


 私がそのお願いを口にすると、マルチナさんは不思議そうな顔をしたが。


 「そんな真剣な顔したレイティアさんを見るのも初めてっすから、いいっすよ。お付き合いするっす」

 「ありがとう。ところでいつも私はどんな顔を?」

 「そうっすねぇ……人生舐めまくった顔っすかね」

 「……どんな顔ですか、それは」


 私(とその中身の合算)より年食った偉い人ってあんまりいないし…多少はね。

 とはいえ、そうはっきりと言われると、なんとなく納得いかないが、私は教室の外に待機させていたクラリッサに指示を出した。


 そして放課後、私は多少裕福な平民に見える服に着替え、マルチナさん、クラリッサ、そして屋敷から連れてきてもらった護衛を1名と共に、我が家の馬車でを使わず、乗合馬車に揺られて下町に向かった。

 以前から、謎のパン屋に行くために用意していた準備をしていたが、こんな形で実現させるとは思ってもいなかったし、望んでもいなかった。

 当初渋っていた私専属の使用人たちも、お母様のためにと頼み込んだら、快く引き受けてくれた……と思いたい。

 お父様とお母様たちには、あとでしっかり怒られるとしよう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る