第42話:悪役令嬢と魔獣の森1

 「近頃、魔獣の動きが活発になっているという報せがあってね」

 「それは嫌ですわねえ、ロザリア様」

 「……そうですわね。旦那様、バーレンルフト辺境伯はどのようになさると」


 夕食の席でお父様が話し始め、ミレーネ母様はうんざりしたようにお母様に同意を求めると、お母様はそれに同意しつつ辺境伯の名を出して尋ねた。


 バーレンルフト辺境伯領は魔獣の森と呼ばれるランピール大森林と接した、我が国の対魔獣の最前線。

 辺境伯は大森林から湧き出る魔獣の侵攻を長年の間、防ぎ続けており、最前線で戦う精鋭部隊は王の盾とも呼ばれている。


 「辺境伯が言ってくるくらいだ、国としても何らかの支援はすることになるだろうね。場合によっては派兵となるだろう」

 「礎が弱まる時期が近いのが気になりますわね」

 「礎については巫女たちの補助もあることだ。特に問題はないだろう」

 「だとよいのですが」

 「なににしろ、物騒ですわね」


 なんとなく重苦しい空気なったところで——。


 「まじゅうがあらわれたら、えいゆうらんぐれえぶがやっつけてくれます!!」


 愛する弟ケヴィンちゃんが空気読まずに声を上げた。

 それも満面の笑みで。

 おかげで、重苦しい空気が一瞬にして霧散した。


 「ラングレイブか。それで姫様を救うのだな、ケヴィン」

 「はい!そのとおりですちちうえ」

 「ケヴィンは本当に『月光の英雄譚』が好きですわね」


 私は、隣の席で得意顔な弟の頭を撫でた。

 月光の英雄譚は建国神話のひとつとして伝わる、子供に大人気の物語。

 月を背に登場して、悪を滅ぼし去っていく謎のひと。

 月に代わって悪を討つの台詞に、男子も女子も夢中になるのだ。

 といっても、内容はかなりお子様向けで、私にはとても刺さらなかったのだが、まあ仕方のないことだろう。

 出自すら分からない謎の男が、魔獣を打倒し姫を救い、のちに国王に忠誠を誓う王の剣となる。

 どうせなら自分で国のひとつでも興して貰いたいものだが、そこはそれ。


 「あねうえ、あとでごほんをよんでいただけますか」

 「もちろんですわ、ケヴィン」


 私は優しく答えた。

 部屋の隅で丸くなるブラウが欠伸をしていた。

 

 魔獣とはこのガルトラル王国にとっての最大の脅威。

 獣を模したものから全くの奇怪な形状のものまで様々で、人類の害となること以外、何のために存在するのかすら分からない、謎に包まれた生き物。

 えたぱにおいても、魔獣関連のイベントは幾つかあり、終盤では学院が管理するノーランの森の地下迷宮が舞台にもなった。

 ……聖女覚醒イベントだけどね。

 この世界で目覚めた当初、私は正直に言って魔獣にはとても興味があった。

 実はえたぱで登場する魔獣はどれもシルエットのみ。

 おそらくはご予算の関係か、それともモンスターを描けるデザイナーがいなかったなのだろうと思っていたのだが。

 ある日、読み聞かせてくれた絵本に魔獣が描かれていた。

 えたぱ同様真っ黒な姿で。


 「おかあさま、どうしてまじゅうのえはどれもまっくろなのですか?」

 「それはね、魔獣というのは皆、このように黒い姿と赤い目と口をした恐ろしい生き物だからですよ」


 お母様はそう言い切った。

 私はそのとき、お母様も魔獣を実際に見たことがないからだろうと思っていたのだが、のちにお母様はかつて辺境伯領の最前線で魔獣と戦っていたと聞いて、あの時の言葉は真実だと認めざるを得なかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 「礎が弱まる時期とはどういうことなのでしょうか」


 翌日、私はミレーネ母様に尋ねた。


 「聖女様によって時期はまちまちなのですが、月に一度ほど、聖女様の力が弱まることがあるのです。レイティアさんは年頃の女性ですから、その意味はなんとなく分かりますね?」

 「……ああ、そういうことですか」


 生理か!!

 大変だねえ聖女様も。


 「聖女様の務めは国の礎に力を注ぎ、守ること。礎と聖女様は繋がっているので,

聖女様の力が弱まれば、礎も——」

 「弱くなる、と」

 「ええ、ですから、巫女となる癒し手の力が必要なのです」


 聖女の力によって、礎は国中の結界を維持している。

 各地の結界装置は、その地にいる巫女と呼ばれる癒し手によって管理され、礎からの力が不足しているときは、巫女の力を加えて結界を維持しているのだそうな。

 ちなみに聖女は女性しかなることが出来ないが、巫女は男性であっても構わないらしい。

 えたぱではそんな設定が語られるシーンは見ていなかったが、私が未攻略のシナリオにはあったのかもしれないな。

 かえすがえす、早死にしてしまったことが残念でならない。

 死んだことはまあ……早いか遅いかだけだしねぇ。 


 「そうそうレイティアさん。ロザリア様がバーレンルフト辺境伯領にいたという話は?」

 「ええ、そこの最前線にいてお父様と出会い、私が生まれたと聞いております」

 「ならば辺境伯がお母様に求婚されたというお話はご存じかしら?」

 「それは……初耳ですね」

 「私も父君からお聞きしたので真偽のほどは定かではありませんが——」

 「ミレーネさん?」

 「ひぃ!!」


 突然頭上から声がかかり、飛び上がりそうなほど驚くミレーネ母様。

 いつの間にそこにいたのか、振り向けば珍しく真顔の母様。

 足音どころか気配すらなかった。


 「なにやら楽しそうな話をしているではありませんか。私も混ぜて下さらないかしら」

 「い、いえっ……これは、その」


 しどろもどろになるミレーネ母様の顔を見て満足したのか、ふっと笑みを零す。


 「内緒話はもっと人目に付かないところですべきですわね。ねえ、レイティア」

 「は、はい……」

 「ああ、それと。ミレーネさんの話は真実ですよ。前線に立って剣も振らないような年寄りに興味はないと言って即、お断りしましたけど」

 「そ、そうですか」


 さすがはお母様。

 ミレーネ母様の顔がちょっと引きつってる。


 「本人にも他言無用と釘を刺したんですけどねぇ。どこから話が漏れたやら、困ったものですわね。田舎貧乏貴族の小娘に振られたなんて、末代までの大恥でしょうに」


 お母様は肩をすくめた。


 「北の鬼神で魔獣殺し、のちにグランノーズ公爵夫人となった女性騎士に求婚したことがある。でしたら、むしろ箔になるのではないでしょうか、お母様」

 「ああ、なるほど。それなら酒の肴くらいにはなりそうですね」

 「どんな方だったのですか?当時のバーレンルフト辺境伯は」

 

 私が興味本位で尋ねると、お母様はと首を傾げた。


 「旦那様の100分の1くらいは魅力的な方だった……ような?」

 「……はぁ」


 お母様らしいと言えば、らしい。

 ミレーネ母様の話では、バーレンルフト辺境伯は大層な社交嫌いで、めったなことでは王都に現れないらしく、貴婦人たちの間では、幸運を呼ぶレアキャラ扱いになっているらしい。

 ちなみに外見は2mを超す熊のような大男という話だった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 週が明けて、月曜日。

 担任講師が教室に入り、伝達事項を話す。


 「皆さんもご家族や知人から既に聞いているかと思いますが、辺境での魔獣の活性化の影響で、王都周辺でも魔獣が出没する可能性があります。ノーランの森へは当分の間、立ち入りを禁止しますので、覚えておくように」


 一部の生徒がざわめいた。

 ノーランの森は王都外壁沿いに広がる小さな森で、王立学院の管理となっている。

 様々な実習で出入りすることも多く、生徒の馴染みも深い。

 学院内にある各種研究施設が必要とする素材も多く存在しており、その素材を採取してくることが、学生たちのよいアルバイトにもなっている。

 なにより、最奥にある小規模地下迷宮は魔獣研究のためにも多いに役立っており、高等部では魔獣討伐実習も行われている。


 「どうすんだよ、森に入れなくなっちまったぜ」 

 「別の仕事探すしかねえよなあ」

 「俺、掃除とかいやだぜ。めんどくせえし、安いし」


 さきほど、担任講師の話にざわついていた男子生徒たちが話していた。

 最低限の生活は保障されているとはいえ、やはり育ち盛りの子供たち。

 先立つものは常に必要なのだ。


 「マルチナさんは大丈夫ですの?森に入れなくなって」

 「あたいは平気っすね。兄貴たちのコネで仕事らってるっすから。バニーは図書館で本の片付けっすからね」

 「そうですか。でも、大変ですわねえ」


 何事もなく終わってくれればよいのだけどなあ。

 私のそんな不安は杞憂のまま、特に何事もなく過ぎてゆく。

 辺境への出兵支援、王都とその周辺の警備拡大、各貴族領への通達など、重要そうでいて、私たちの生活そのものには直接影響のないことが次々と決まっていった。

 実生活に若干影響のある部分としては、王都の地下水路で魔獣が目撃されたとか、ノーランの森の地下迷宮の魔獣がちょっと狂暴化したらしいとか、どこどこの貴族領で魔獣被害が出たとか言う話がちらほら耳に届いたが、それもわりと皆にとっては風物詩らしく、それほどの騒ぎにはならなかった。

 辺境伯領への出兵支援のため、お母様はアドバイザーとして連日騎士団訓練場へと出向いていたのだが、帰宅したお母様の顔がとてもつやつやさっぱりしていた。

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