第40話:悪役令嬢は魔法を教える3

 「はいトラヴィスさん、さぼってないできりきり走る!追加しますわよ」

 「お、おうっ……」


 私は手に持った扇子をぱちんと打ち鳴らした。

 私の目の前を、汗だくになったトラヴィスが走り去っていく。

 時は放課後、場所は王立学院魔法教導場。

 私はクロード先生の許可を頂き、トラヴィスさんを指導していた。

 なぜこんなことをしているかというと、少し時間を遡る。


 トラヴィスと名もなき生徒との喧嘩を、私が華麗に(?)仲裁した日の翌日、1限目の授業を待つ騒がしい教室に、件のふたりが現れた。



 「昨日は大変失礼なことをしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」


 そういってふたりは私に頭を下げた。

 

 「頭を上げなさい。構いませんわ、昨日は面白いものを見せていただいただけですから。おふたりとも、ご家族にはなにも話していませんよね?」

 「そ、それはもう。一言も喋ってはおりません」

 「わ、私もです」

 「ならば結構。所詮は学院内の生徒同士のじゃれあい。大人を引っ張り出す無粋はお互いなしにしましょう」


 トラヴィスはなにか言いたげな表情だ。


 「トラヴィスさん、なにか?」

 「レイティア様の御寛大なお心に感謝しきれず……どうお詫びしたらよいかと」

 「はあ、同じ1年同士様はなしで願いますわ。それにお詫びなど、なにも……そうね、いいことを思いつきましたわ」

 「わ。私に出来ることなら何なりとおっしゃって下さい」

 「トラヴィスさん、ひとつ試してみませんこと?」


 そう言って、私は微笑んでから話を続けた。


 「魔法の訓練、ですか。私が?」

 「ええ、そうです」

 「しかしレイティア様、私はマナに触れることすらできないのですが」

 「無論知ってますわ。大泣きしたところ見てましたもの」


 魔法学実技初日の痴態を思い出して顔を赤らめるトラヴィス。


 「でしたら、そのような無駄なことはしていただかなくとも」

 「ええ、無駄になる可能性は大いにありますが、やってみる価値はあると、私は思っていますわ。駄目で元々勝ったら儲け。無論責任は取りませんけど、どうですか?トラビスさん。賭けに負けても死にはしませんわよ、たぶん」


 私はへらっと笑って見せた。

 トラヴィスはやや考えてから、頷いた。


 「分かりました。レイティア様のお考えは、平民の私になど推し量れるおのではありません。昨日の件で、家族が処分されても仕方ないと思っておりますし。全てお任せします」

 「こんなことで家族を巻き込むのはお止めなさいな。そこまで覚悟されても困りますが、では私を信じて頂くということで」



 そして冒頭に戻る。

 私は、5歳から自宅で、そして王立学院初等科での座学と実技を通して、今まで仮説として考えていたことが、理論として正しいのではないかと考えていた。

 魔法を使うための基本中の基本。

 それは、全てにおいて信じること。

 マナに触れるためには、マナの存在を信じ、自らの身体に存在するという魔核の存在を信じ、マナに触れることが出来ると信じる。

 魔法の発現も同様だ。

 魔法が使えるということ、そしてその結果が正しく生じることを信じること。

 一種のトランス状態に入るための儀式的なものは、それを通して自分を、そして世界を信じ込むための準備なのではないかと。

 私が初めから、何の苦労もなくマナに触れ、そして魔法を発現できたのは、レイティア・グランノーズ公爵令嬢というキャラクターが魔法を使えるという事実を知っていたからなのではないかと。

 無論、上級貴族ゆえの魔法能力の高さも起因しているとは思う。

 振り返って、平民は魔法が使えない。

 この常識こそが、平民が魔法を使えない大きな理由ではないか。

 トラヴィスは魔法を使えないが、とても優秀だと聞いた。

 優秀ゆえに、自分が魔法を使えないという事実を覆すだけの思いに届かなかったのかもしれない。


 「まずはここを100周ほどしてもらいましょうか」

 「なぜそのような——」

 「いいから走りなさいっ、スタート!!」

 「は、はいぃっ」


 トラヴィスは教導場をぐるぐると走りだした。

 私はベンチに腰掛け、エルマが用意してくれていたお茶を飲む。

 さほど広い場所でもないし、そうそう疲れないだろう。

 周回のカウントはエルマに任せてある。


 「これは、どういう試みなのでしょうかレイティアさん」


 立ち合いとして参加してくれたクロード先生が、私に尋ねた。


 「魔法学のテキストに書かれていることをいろいろ省いて、マナに触れるための準備、でしょうか。あくまで私の仮説にすぎませんが」

 「それはまた大胆な仮説ですね」

 「ええ、魔法以外が大変優秀な、トラヴィスさんにはぴったりだと思いまして。あ、クロード先生もお茶をどうぞ。お菓子も用意してありますわ」


 私は教導場を走り続けるトラヴィスを見ながら言った。

 えたぱ内で私を罠に嵌めてくれた金の亡者トラヴィス。

 未来のことで大変恐縮だが、その恨みを今のトラヴィスで晴らしても、誰にも咎められないだろう。

 まあ、頑張れトラヴィス・ドーズ。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 「おっ……おわったぞっ……じゃなくてっ……ました、はぁ、はぁ……」

 「まずはお疲れさまでした。まだ元気そうですね。あと10周、全力でどうぞ」

 「なっ!?まじか」

 「いい感じに疲れてますね。はい、さっさと走る!!」

 「わーったよっ!!」


 トラヴィスは全力で走り去っていった。


 「公爵家ご令嬢にあのような言葉遣いなどっ、なんという不敬な」

 「学院内、それも同学年ですもの。これくらい構いませんわ」


 見事10周、それも全力で走り切ったトラヴィスは、私の目の前に倒れこんだ。

 

 「おっ……おわっ……りまし……はあはぁ」

 「頑張りましたね、流石はトラヴィスさんです。まずはこれをどうぞ」


 そう言って差し出したカップを、トラヴィスは受け取るなり中身を一気に飲み干した。


 「では立ち上がってください。まだ走れそうですか?」

 「もう……無理……だ、です」


 立ち上がったトラヴィスの膝が笑っている。

 それを見て、私は満足げに頷いた。


 「本当ですね?よろしい、それでは深呼吸いってみましょうか。はい、すってー、はいてー。すってー、はいてー」


 しばらく深呼吸は続き、トラヴィスの息が整えられた。


 「トラヴィスさん、よい顔になりましたね。もう大丈夫ですよ。今ならきっと魔法が使えます」

 「え……なにを言ってるん……ですか」

 「私を信じてくださいって言いましたよね」

 「言われましたが……」

 「じゃあもう少し走りましょうか」

 「信じます信じますっ!!レイティア様を信じますよっ」


 泣きそうな顔のトラヴィス。

 この顔を見れただけで、私は満足だ。


 「そうそう、私を信じてください。では、教本を渡しますので、先日と同様——」

 「全部覚えてますから、必要ありません」


 私が魔法教本を手渡そうとすると、トラヴィスはそれを手で遮った。

 覚えてるのか、これを。

 必死だな、トラヴィス。

 ……そんなにかっこよくなりたかったのか…ぷぷ。


 「どうなさいました?」

 「いえいえ、なんでもありませんわ。では始めましょうか。それと、今から私が言うこととを意識してやってください」


 トラヴィスに教本通りの手順を踏ませる。それに、私がマナに触れる手順を加えてみた。

 


 「ご自分の一番好きなうたを詠みながら、左胸の心臓の下あたりに右手を当ててください。そこには、触れることも見ることも出来ない大事なものがあります。信じて、よおく探してみてください。他と違う、温かいものがあるはずですよ。私にとって、それは流れる砂のようでしたが、あ、答えなくて結構。集中を欠かないように」

 

 神への感謝のうたを諳んじ始めてしばらくのち、やや訝し気だったトラヴィスの表情が変わった。


 「見つけましたね。では、左手を上げ、掌を開いてください。掌は既にマナに触れています。あとは先程感じたものと同じ感触のもの、マナが常にそこにあると意識し、信じてください。ほら、もう——」

 「なんだこれ」

 

 トラヴィスの顔が驚きに染まる。

 それを見て、私は微笑んだ。

 

 「それがマナですよ、トラヴィスさん。ああ、ついでに適性診断までやってしまいましょうか。クロード先生」


 目を見開いて口をあんぐり開けていたクロード先生は、私の言葉に我に返り、慌てて診断用魔法感知紙をトラヴィスに渡す。

 トラビスはそれを右手で受け取ると。みるみる色が変わってゆく。


 「おお……これって」

 「へえ。すごいじゃないですか」


 トラビスの持った診断用魔法感知紙は薄い白に染まっていた。

 全要素満遍なくあるが、その能力は弱い。

 喜んでいいのか悪いのか。


 「微妙、だな」

 「やらなければよかったと思いましたか」

 「いや……とんでもありません。これで、俺も魔法が……」


 トラヴィスは頬を赤らめつつ笑った。


 「驚きました。このような方法があるとは」

 「一応仮説は立証出来ましたが、トラヴィスさんだから成功しただけかもしれません。」

 

 クロード先生が小声で私に話しかけてきたので、私はこのために用意した嘘の説明を始める。

 

 「と言うと」

 「クロード先生は、今はもう魔法を使うときにあのを詠んだり祝詞のりとを捧げたりしませんよね。マナへの触れ方を覚えてしまえば、必要ないものだと」

 「ええ、それが」

 「教本の詩はマナに触れる、つまりは世界に触れるための儀式だとあります。ならば、その儀式が成功しやすいよう彼を誘導してあげればよいと思ったのです。彼は真面目で優秀だと聞きますが、平民。平民は魔法が使えないという常識にとらわれ過ぎてしまっていたのではないでしょうか」

 「考えることが出来なくなるくらい、疲れさせてしまえばよいと」

 「だいたいそんな感じです。成功してよかったですね。しかし所詮平民、残念ながらたいした魔法能力ではなかったようですが、それでトラヴィスさんが喜んでいるのなら結果よオーライです」


 本当はうたなんか最初から必要ないのだろうが、それを言うわけにはいかない。

 嬉しそうに、呪文のようなうたを詠んでいるトラヴィスにそれを告げるのはあまりにも……ぷぷぷ。


 「レイティアさんの言われた方法が確かなら、魔法能力を獲得できる生徒が増えるかもしれませんね」

 「ええ。ただし、マナに触れることが出来ても、魔法が使えるとは限りませんし。素質としての魔法能力に、貴族と平民では差がありすぎると思います」

 「それでも、希望を持つ生徒は多いかと」

 「それもそうですね」

 

 第一王子殿下のように、マナに触れることが身体的に不可能でなければ、あるいは。

 その言葉を、私は飲み込んだ。

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