第36話:悪役令嬢は邂逅する2

 その日、授業を終えた私が、自宅からの迎えの馬車に乗り込むと、なぜかお母様がいた。

 

 「どうしたのですか?わざわざお迎えにいらして下さるなんて」

 「今日は件の菓子店に、お礼のお菓子を買いに行く日でしょう。貴女のことですから、なにをしでかすか分かりませんし、ミレーネさんと相談して、付き添うことになりました」

 「それは、ありがとうございます」


 公爵令嬢10歳、初めてのおつかいは、やはり保護者同伴。

 まあ、当然と言えば当然の対応よね。

 件の菓子店とは先日、おさげのクラスメイト女子、オードリーさんに頂いたお菓子の販売店。

 王都中心区画からやや外れの方にある、庶民には手が出ないというほど高価ではない店。

 本来なら、公爵家が利用するには憚られるランクではあるが、先行投資的意味合いも込めての選択となった。

 その旨を、当のオードリーさんに伝えたところ、泡を吹きかねないほど驚かれた。

 まあ、そうよね。

 そんなわけで、突然の上級貴族ご来店に店主が卒倒しないよう、あらかじめ1週間前に先触れを出して店を訪れることになり、結果としてマルチナさんたちを待たせてしまっているのは、少々心苦しい。


 見慣れぬ、いかにも高貴そうな馬車が、あまり整備されていない通りをがたごとと進むと、道行く人の注目は自然に集まるもの。

 そして、とある菓子店の前に堂々と止められたその馬車から、使用人と思われる背に高い女性が現れ、続いてその馬車の持ち主と思われる、馬車同様高貴そうな、小さなご令嬢が手を取られ、地面に降り立った。

 そう、私、レイティア・グランノーズ公爵令嬢その人だ。

 じっくり見つめるのも不敬とばかりに、物陰からちらちらと観察してくる皆の視線を感じるのは、ちょっとむず痒い。


 「お母様は来られないのですか」

 「ええ、貴女の社会勉強も兼ねていますので、おひとりで。粗相をしそうな場合はクラリッサに呼びに来るよう伝えてありますから安心なさい」


 粗相って……。


 「えーと、頑張ります」

 「はい、行ってらっしゃい。レイティア」


 お母様の笑みが怖いわ!

 私は、店の入り口に立ち深呼吸する。

 就職の面接を思い出すよ。

 店の外観は、古いもののそれなりに清潔に保たれている。

 私の来店を知って、大急ぎで掃除したのだとしたら、なんとも申し訳ない。


 「クラリッサ」

 「はい、お嬢様」


 クラリッサが店の扉に手を掛けた。

 扉が開ききるのを待って、私は店内に足を踏み入れた。

 

 「いいいいらっしゃいませ!!」


 正面のカウンターの奥に立つ長身の男性が、声を張り上げた。

 あまりの音量に、私は顔をしかめた。

 次の瞬間男性の頭がすぱーんと景気良い音と共にはたかれた。

 はたいた主は、男性の隣に立つ、髪を後ろでひとまとめにした女性。


 「ご令嬢びっくりしちゃったじゃないですかっ、あなた」

 「す、すまん……じ、じゃなくて、申し訳ありませんっ!!」

 「いえ、お気遣いなく。急な来店、迷惑ではなかったかと」

 「いいいえ、そんな、とんでもございません」

 「そのように固くならずとも結構。私もまだ貴族の作法も勉強途中の未熟者です。多少の失礼をしてしまうかもしれませんし、お互い、気楽に参りましょう。よいですよね、クラリッサ」


 クラリッサの方を見ると、彼女はこくりと小さく頷いた。


 「——というわけで——」


 私はこの店選んだ理由をあらためて述べた。

 オードリーさんに貰ったお菓子が美味しかったこと、お礼の品ではあるが、学院内で肩肘張る立場同士ではないことを。


 「オードリーから話を聞いたときはびっくりしました。まさか公爵家のご令嬢にうちの商品をお出しするんなんて、どんな命知らずだと」

 「おほほほ」


 構わず食べてしまった私も同罪なのだが、笑って誤魔化すしかない。

 その場にいたのは確かクラリッサだと思い出し、クラリッサを見ると目を逸らしている。

 

 「オードリーは私の姪でして、ここのお菓子を気に入ってくれているのは知っていましたが、こんなことになるとは夢にも思わず」

 「ブレントさんは貴族の出でしたか。この店はそれなりに古くからあると聞いていましたが」

 「ええ、しがない準男爵家ですが。本家は兄が継ぎましたので、居場所もなく、こちらに拾っていただきました。先程のは妻のリンダで、この先代の娘ですね」


 よく見れば、店主のブレントさんは、お母様と同じくらいの年齢か。

 妻のリンダさんは少し年下に見える。


 「そうだったのですね。母が、昔より味がよくなっていると言っていましたが、代替わりされていたのですね。ああ、母はここの店名も覚えているようでしたね」

 「そう、ですか……」

 「どうかしました?ブレントさん」


 ブレントさんはちょっと遠い目をした。

 なにかを思い出しているようだ。

 そして、ちらりと店の奥で作業している奥さんの方をちらりと見た。


 「レイティア様の母君というのはロザリア様、でよろしかったでしょうか」

 「ええ、母を知っていましたか」

 「同級でした。彼女、いやロザリア様は学院の有名人でしたしね」

 「そういえば、決闘で食べ物を巻き上げていたらしいですね、母は。食べ物を母にあげるために、わざわざ母に挑んだ物好きな方もいたと聞きました」

 

 ブレントさんの顔が、僅かに朱に染まった。

 まさか。


 「えっと……もしかして、その物好きな方というのは」

 「ええ、そのうちのひとりは、恐らく私ですね。初恋でした……あっ、ロザリア様のご息女様にこんなことをお聞かせするのは不敬にも程がありますね、ははは」

 「いえ、とても興味深いお話ですわ。よろしければ続きを」

 「ロザリア様には、くれぐれもご内密にお願いしますね。あの頃——」


 先日のお母様の話を、私は話半分くらいに思っていたのだが、実際はそれ以上。

 入学時より、その美しさと物理的強さ、そして魂の高貴さは群を抜いていた。

 男女を問わず強者弱者問わず分け隔てなく接し、講師相手でも決して膝を屈せずこうべを垂れないその姿勢に、皆の注目と畏怖と羨望を集めていた。

 中等部から開催されるようになった決闘は、お母様に勝ちたいという純粋な動機だけでなく、お母様により美味しいと言わせた者が決闘の裏勝者として、密かな賞賛を浴びるようになったそうだ。

 そんな中で、ブレントさんはお母様に振り向いてもらいたい一心で、当時自分のお気に入りだったこの店のお菓子を手に、何度もお母様に挑戦し、容赦なく打ちのめされたとのこと。


 「それは、なんというか……さぞ痛かったでしょう」

 「それは勿論。死ぬかと思いましたね。けど、不思議なもので、翌日になると一切の痛みがなくなったんですよね」

 「ああ、それは……」


 そう。

 お母様の剣は、不思議だ。

 死ぬほどの痛みを受けても、翌日には痛みどころか痣ひとつ残らない。

 そうでなければミレーネ母様が、私の鍛錬などお許しにならなかっただろう。


 「卒業前に、一度思い切って告白したんですけどね。真面目に戦う気すらない者に興味はないと切り捨てられました」

 「お母様らしいですわ」

 「お前の持ってきた菓子はなかなか美味かった。そう付け加えてくれましたけど」


 らしい、実にらしいわ、お母様。

 ブレントさんも、昔を懐かしむような顔をしていた。


 「このひとがそんな馬鹿やってたお陰で、私と出会ったんですけどね」


 いつの間にか、こちらに来ていたリンダさんは苦笑いを浮かべていた。


 「しょっちゅううちの菓子買いにくると思ったら、ある日死んだような目でやってきて、もう菓子を買う必要はなくなりましたとか言ったんですよ、このひと。うちの菓子だってこのひとには安いものではないだろうに、バイトまでしてたのに。理由を聞いてあきれましたね。一切強くなる努力をしなかったんですから、このひと。そりゃ振られもするわと。」

 「お恥ずかしい話ですが、ロザリア様のことは忘れられても、ここの味は忘れられなくて、それで」

 「あら、私に絆されたんじゃなかったんですか、あなた」

 「そ、それはほら、物は言い様というかなんというか」


 仲がよろしいようで、お腹いっぱいですわ。

 お母様にもそんな時代があったのね。

 どんな心境の変化でお父様と結婚なさったのかしら。


 私は、用意してもらったお菓子をクラリッサに持たせて店を出る。

 家からは後日正式に連絡が来ると思うが、公爵家令嬢が来店したこと、そして私とお母様たちがこの店のお菓子を気に入ったことは宣伝に利用して構わないこと。

 むしろ利用して店を大きくすべきだという旨をブレントさんに伝えた。


 私は馬車に戻ると、いつもと変わらぬお母様。

 

 「失礼はありませんでしたか?レイティア」

 「はい、大変面白い話を聞けました。お会いしなくてよろしいのですか」

 「遥か昔の話ですよ。……ミレーネさんには、くれぐれも内緒で。旦那様には……構いませんわね」

 「お父様はご存じなのですね」

 「いえ、全く。旦那様が妬いてくだされば、それに越したことはありませんわ」

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