第35話:悪役令嬢は邂逅する1
「レイティアさん」
「レイティア様」
「レイティア嬢」
ここ数日、学院のどこにいても四方から投げかけられる黄色い声に、私は愛想笑いを張り付けつつ、片手を挙げたりして受け流していた。
初等部風紀問題(というほどのものではないが)が一応の終息を迎えた翌日には、なぜか私がそれを解決したことが、学院中に広がっていた。
その犯人は。
「あっはっは。人気者っすねえ、レイティアさん」
「……貴女ですわね、マルチナさん。なぜ?」
私はジト目でマルチナさんを睨みつけるが、当の本人はどこ吹く風。
「いやあ、公爵家令嬢で第一王子殿下の婚約者様ってだけでなく、奔放横暴な第二王子殿下と、暴挙が目立つ公爵家令嬢の手綱を握られるなんて、親友とその親族としても鼻が高いっすよ、ね」
「そんなことのために……」
「いやいや、結構重要っすよ。こちとらしがない貧乏男爵家とその縁戚連中。学院内ヒエラルキーの底辺っすよまじで。そんな連中の期待を今一身に集めているのが、このあたいってことっすね。ちょっと自慢して立場向上に利用されるくらいはご容赦くださいよ、減るもんじゃなし。」
「私のメンタルががりがり擦り減りますわ。マルチナさん、最初からその腹積もりで私に?」
「打算がないと言えば嘘になるっすから正直に言うっすけど、あたしらにとって天上人にも近しい公爵家ご令嬢が、まさかこんな気さくに接してくれるとは夢にも思わなかったっすね」
「それはだって、学院内では……」
「建前は所詮建前っすよぅ。どんな美辞麗句綺麗ごとずらり並べても、ここは社会の縮図。口には出さなくても、外の世界の上下には縛られるっすよ」
「……分かってはいますが、面倒くさい難儀ですわねえ」
「レイティアさんが自由過ぎるっすね。第二王子殿下と大差ないっすよ、あたしらにとっては」
「
「そういうとこっすよ、レイティアさん」
心底嫌そうな顔になる私に、がははと笑うマルチナさん。
この陽気な笑顔に救われている部分も、確かにある。
所詮、持ちつ持たれつなのだ。
「れ、レイティア様、よろしかったら召し上がりませんか」
誰が持ち込んだのか、お菓子の盛られた皿が、私たちの目の前におずおずと差し出された。
おさげの可愛いクラスメイトの女子だ。
「ありがとう、頂くわ」
私は礼を言ってお菓子を摘まんで、ちらりと入口に視線を送ると、そこに立つクラリッサが僅かに頷いた。
それを見て、私はお菓子を遠慮なくかじる。
私の様子をじっと見るおさげ女子。
「美味しいですわ」
「いけるっすね」
当たり前のように、頬張っているマルチナさん。
「本当ですかっ、レイティア様!」
「ええ、とても好みの味ですわ」
おさげの女子が私の返答に目を輝かせた。
「ありがとうございますっ。お店にもそうお伝えしますね!」
おさげの女子は嬉しそうにぱたぱたと、自分の輪に戻っていった。
マルチナさんが私と話すようになってから半月、遠巻きに観察するだけであったクラスメイトも、なんだかんだぼちぼち私に話しかけてくれるようになっていた。
まだまだ腫れ物に触るような、おっかなびっくりな対応ではあるが、まずまずの進歩と言えよう。
お菓子で思い出したことがある。
「マルチナさん、先日のお礼の件ですが……お菓子とかでよろしいかしら」
「いいっすねえお菓子、大好きっすよ。皆お小遣いも少ないんで飢えてるっすよ」
「飢えてるって……貴女のご兄弟といとこのの皆さんって、貴女と同じような……」
「いやいや、こんななりしてるのは、流石にあたいだけっすから安心してくださいっす」
「そ、そう」
マルチナさんが20人以上ずらっと並んだところを想像してぞっとしたが、そうではないと言われほっとする。
「では折角ですし、先ほど頂いたお菓子をお礼としましょうか」
私はそう言って席を立ち、先ほどの女子たちのところへ向かった。
私が話をしてる間に、マルチナさんはちゃっかりお菓子のおかわりを獲得していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「——というわけなのですが」
その夜、私はお母様とミレーネ母様にお礼のお菓子について相談をした。
お母様は生暖かい笑顔、対するミレーネ母様は渋い顔。
これはちょっと……不味い時の合図だ。
「レイティアさん、件の菓子店について私は存じておりません。ということはその程度の店ということで、公爵家が利用するには少々問題があるかと」
「そ、そうでしょうか」
「ええ、食べ物ひとつ、小物ひとつとっても爵位家名に恥じないものを揃えるのも、貴族としての嗜み。ここはひとつ——」
「まあまあミレーネさん。落ち着いてください。相手は初等部の学生さんですわよ」
「ロザリア様、だからこそです。何事もは初めが肝心。だいたいロザリア様もレイティアさんもその辺りにいささか無頓着が過ぎるかと思われますわ」
「ちなみに、ミレーネさんは王立学院へは?」
「無論ですわ。高等部からですが」
「ははは、ならばお知りにならないのも無理はない。初等部など所詮猿の群れみたいなものですわよ」
猿……そのまで酷くはないが、上手いたとえだ。
ミレーネ母様も目を見開いている。
「猿……?」
「そうそう猿です。第二王子殿下がご入学された以降は、入学前の躾けも随分厳しくなったと聞いておりますが。巷では王立学院初等部を指して動物園と揶揄するのですよ。あそこは、動物を人間に育て上げる場所だ、ともね」
そこまでは酷くなかろうと思うが、第二王子殿下入学以前を知らないので反論も出来ない。
ミレーネ母様は納得のいかなそうな顔だ。
「そもそも、同じ教室で学ぶ生徒同士であっても、下級貴族から直にお菓子を渡されたことはおありで?ミレーネさん」
「いえ、そのような記憶は」
「でしょう。そのくらい物を知らないのですよ、初等部1年生というのは。もっとも、それを食べてしまったレイティアも似たようなものです。
「申し訳ございません」
「いえ、最初の、マルチナさんでしたっけ?の件は使用人から話を聞いておりますし、以降はなるべく貴女の自由意志を尊重するようにと指示しておきましたから、こちらの不手際もありますわ」
結局、そのあとの話し合いで、あまり高価なものを用意したところで、その価値も分からず、家族に話したりでもすれば、逆に叱責されかねないだろうと。
幸い件の店はお母様が学院在籍中にも存在した中流やや下の、少し裕福な者なら手が出るランクの店とのこと。
それでもとごねそうなミレーネ母様の顔を見ていて、私は思い出し、ポケットからハンカチに包まれたものを取り出した。
「お母様たちに味見していただきたいと思いまして、少し頂いてまいりましたこと、忘れておりました」
包みを開くと、中には小ぶりなお菓子が出てきた。
「粗雑な見た目ですわね」
「せっかくレイティアの学友からのお土産、頂いてみましょう」
汚物を見るように、とまではいかないが、顔をやや歪ませるミレーネ母様をまあまあと宥めつつ、躊躇なくお菓子を手に取り口に入れ、かみ砕くお母様。
「うん、昔より味が良くなった気がしますわね」
「ご存じなのですか?」
「ええ。当時、自分ではとても買えませんでしたけどね。男子生徒からの貢物……とでも言いましょうか」
お母様は北方の田舎の貧乏貴族出身だが、腕っぷしだけは子供のころから大層強かった。
初等部入学時から、家や身なり、果ては言動まで馬鹿にされ、日々同級生どころか上級生まで相手に喧嘩ばかりしていた。
結果、初等部1年にして初等部歴代最強の地位を得て、そのまま無敗にて中等部進学。
中等部からは、ただで喧嘩するのも馬鹿らしいとばかりに、学院での問題解決手段の一つである決闘を開催するようになった。
お母様に勝てば、最強という名誉と、なぜかお母様との一日デート。
お母様が勝てば、敗者は賞品として美味いものを差し出さなくてはいけない。
挑戦者が頻繁に現れてくれたおかげで、お母様の学生時代は、それなりに豊かな食生活だったそうで。
中には、勝つ気などさらさらなくて、お母様に食べ物をプレゼントするためだけに勝負を挑んだ物好きもいたとか。
……それでよいのかお母様。
「——そんなわけで、店の名前は覚えていたのですわ」
「ロザリア様……貴女という方は……あら、これはなかなか」
お母様の昔語りに呆気にとられていたミレーネ母様は、嫌々指で摘まんでいたことを忘れて、口の中に放り込んでしまったようだ。
お母様が微笑む。
「でしょう。素材の良し悪しは無論隠せませんが、市井の店とて、そう侮るものではありませんわ」
結局、ミレーネ母様が折れる形で話はまとまった。
マルチナさんとその縁戚の子供たちにならば、逆に問題にならない程度の品。
ただし家族には知らせず、誰から貰ったのかも伏せたうえで、自分たちで食べきることを約束させるようにと。
「ありがとうございます。お母様、ミレーネ母様」
「良いのですよ、レイティア。さて、これはこれでおしまい。では本題に入りましょうか、ミレーネさん」
「ええ、些事に思わず時間がかかってしまいましたわね、ロザリア様」
「えっと……私はこれで?」
「いえいえ、レイティアさん、貴女の問題ですわよ」
お母様とミレーネ母様はとてもよい笑顔になった。
貰ったお菓子を褒め、それを店にそれを伝えると言われたのををスルーした事。
それは貴族としては決して安易に許してはいけないことであると、こんこんと説かれた。
店の格とは、すなわち信用。
素材、品質、味はもとよりのこと、それを裏付けする人脈。
分かりやすく言えば、有力者のお墨付き。
王族御用達とか、どこぞの貴族家お気に入りとかが、その最たるもの。
今回に関していえば、上級貴族の目にはまず止まらないような菓子店の商品を、国内数家しかない公爵家の長女、それも第一王子殿下の婚約者が口にしたうえで褒め、それを店に伝えることを許した。
これがどういう意味かは、いくら私でも容易に想像が出来る。
「も、申し訳ございません……」
ミレーネ母様が大きなため息を吐き、お母様に進言する。
「件の店に関しては、少々時間が遅いですが、今からでも使いを出した方がよろしいかと」
「うーん、そっちは、良いではないでしょうかこの際」
「なぜ、でしょうか」
「蛮勇も勇なり、ですよ。もの知らずとはいえ、勇気を振り絞って我が家の娘に声を掛けた栄誉くらい与えてもよいのではと思いますわ」
「そうでしょうか?」
「ええ、実際味は良かったでしょう?これで名が売れて、良い素材を仕入れることが出来れば、それなりの店になると思いませんこと。見た目については精進いただくかありませんけど」
「そうですね。有名になった暁には、我が家がそれを見出したと言えますしね」
「ええ、そちらの方面では、我が家の家名に泥を塗らぬよう釘を刺す必要はありますが。
おいおい、なんだか怖い話になってまいりましたね。
「それはそうと、レイティア」
「は、はいぃっ」
「その場にいた生徒の名前は、覚えておいでで?」
「え、それはどういう……?」
「勇気ある女生徒はよしとして、その他大勢の方が問題です。来週から、同じ目に遭いますわよ、貴女」
「え?………………あ」
クラスメイトがこぞって食べ物を持ってくる可能性があるのか。
公爵令嬢お墨付きを貰うために。
「ああ、すでにに他所に洩れてる可能性もありますわね。面倒ですからクラス全員押さえておきましょうか」
「それがよろしいですわねミレーネさん」
そう言うなり、お母様は執事を呼び、なにか指示を与え始めた。
執事が立ち去って間もなく、部屋の外が慌ただしくなる。
「とまあ、こういうことが起きたりしますから、十分注意してくださいね、レイティアさん」
私は首をぶんぶんと縦に振ることしかできなかった。
お母様たちがなにを手配したかは分からないが、週末であったことが幸いしたのか、週明け、高級なお菓子が私の目の前に並べられることはなかった。
それを期待していたらしいマルチナさんが、すごく残念そうな顔をしていた。
マルチナさんのお菓子やパンについて問題視されなかったのは、彼女は自分の好きな食べ物については、自分の取り分が減るからという単純な理由でなにも教えてくれなかったからだ。
使用人を通じてお母様たちも裏を取ったらしいが、見事なまでの真っ白で、むしろあまりの貴族らしさのなさに呆れていた。
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