第26話:悪役令嬢と平穏でない日々1

 初夏の風が青葉を揺らし、額を伝う汗も爽やかな午後。

 皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 不肖、私レイティア・グランノーズはただ今、命の危機に瀕しております。

 ……いやまじで。


 「反応が遅い!」

 「はいぃっ」


 私はそれを、寸前のところで回避する。

 ごうっという、耳をつんざく音に数瞬遅れて巻き上がる風。

 その剣圧によって、私の髪が数本、きらきらと宙に舞った。

 視界の端に、木剣の剣先が僅かに映る。


 「見るだけでなく、相手をて、て、理解ってその先を読みなさい」

 「ひぃっ」


 私が木剣を構え直す間もなく、次の斬撃が飛んできた。

 無茶を言わんで欲しい。

 お母様は、私に何を求めているというのだ。

 死ぬ。

 まじで死ぬってこれ。

 最近お母様は、わりと容赦がない。


 数十合の打ち合いの末、突然霧散したお母様の殺気。

 それが終了の合図。

 私は汚れるのも構わず、その場にへたり込んだ。

 打ち合いとは名ばかりの、ほぼ一方的な蹂躙。

 私に出来ることとは、避けて耐えて、見ることだけ。

 打ち据えられた腕や脚よりも、考え抜いた脳みそがじんじんと痺れる。


 「今日はこのくらいいしておきましょう」

 「……はい」


 座り込む私に背を向けて、汗ひとつかかずに颯爽と立ち去るお母様を、ただ見送ることしかできない。

 私はまだまだ無力だ。


 「ティア、お疲れ様」

 「……ありがとうございます、アレク様」


 私の目の前に、タオルが差し出された。

 私が顔を上げると、そこには優しい笑顔があった。

 私はタオルを受け取ると、尽きかけた力を振り絞って立ち上がる。


 「今日の母君は、一段と厳しいみたいだったけど、なにかあったのかい?」

 「それは、むしろ私が知りたいくらいですわ。最近ずっとこんな感じですの」


 お母様が消えた方向に一瞥してから、タオルで顔を拭う。

 タオルがじっとりと汗を吸っていくのを感じた。 

 本当に、何があったのかしら。

 頭を捻ってみても、理由はなにも思い浮かばない。


 「あっちに冷たい飲み物を用意してもらったけど、先に着替えてくるかい」

 「うーん、折角だし先に頂きますわ」

 「では」

 

 そう言うと、第一王子殿下は躊躇なく私の手を取り、引き上げる。

 私は慌てて、取られた手を引きはがそうとするも、離れない。

 とても力を入れているようには見えない、色白で繊細な手は、私の手に添えられているようにしか見えないのに。

 

 「あ、アレク様っ、汗で汚れますよ」

 「君の汗なら、構わないさ。今も、とてもよい香りだ」


 そういうことを笑顔で言わないでほしい。

 私の顔が朱に染まる。

 自分の中身が遥かに年上だということを忘れそうになるのは、きっと疲れているせいだ、そうに違いない。


 「おいレイティア、来てやったぞっ、相手をしろ!!おう、兄上も来ていたのか」

 「なんで来るのよ……」


 鼓膜に響く聞きなれた大声に、私は思わず悪態を吐く。

 しかし、相手がそれを気にも留めないのも、いつものこと。

 それを聞き洩らさなかった第一王子殿下が、くすりと笑みを零した。


 「暇だからだ!」

 「殿下が毎度毎度暇では駄目じゃないですか。それに今の状況見てわからないのかしら?」

 「ん?お前は兄上と仲よくしてるだけじゃないか」

 「いや、そうじゃなくて。ああ、ちょっと殿下手をお離し下さいます?」

 「うーん、やだ」


 こっちの殿下も駄々っ子か!!

 第一王子殿下は私の手を離さずににこにこしている。


 「仲がよいのはまあ、この際よしとしておきましょう。それは置いておいて、ディグニクス殿下、私を見てなにかお気づきになりませんか」

 「いつも通り面白い顔だぞ」

 「面白くてよおございましたね!!私はっ、たった今っ、お母様の稽古という名のしごきを終えたばかりなんですのっ」

 「それはよかった。俺は気にしないぞ」

 「気にしなさいよ!!」

 「ぷっ」


 第一王子殿下は、私と第二王子殿下のやり取りを見て、とうとう吹き出した。


 「アレク様も弟ぎみになんとか言ってくださいよ……」

 「それもそうだね。デイックス、君には兄として一言、言っておかなければいけないことがあるよ」

 「ん?なんだよ兄上、あらたまって」

 「そうだね……」


 第一王子殿下はこほんとひとつ咳払い。

 ちなみに私の手を取った右手はそのままだ。


 「ティアは僕の大切な婚約者なんだ。兄弟とはいえ、ひと様の婚約者に対して呼び捨てはいけないな。あと、変な顔というのもよくない。うん、大変よくないね。せめて周りを笑顔にする魅力的な顔とでも言うべきかな」


 違うそうじゃない。

 それもあるけど、今は違う。

 ついでにこっちの殿下も、私の顔を変だと申すかそうですか。


 「じゃあ俺も愛称でティアって呼べばいいのか?恥ずかしいぞ、それ」

 「余計悪いわ!!そうじゃなくて、疲れているので休ませてくださいと申しておりますの!行きますわよ、アレク様」 


 私は第二王子殿下を無視して歩き出した。

 いまだに手を離してくれない第一王子殿下を引っ張る形になっているが、この際仕方ない。

 ぷんすかと怒ったせいで余計に疲れてしまった。

 早く水分を取らねば。

 ついでに着替えもしたい。


 「あ、レイティア姉様!」


 背後から声がかかった。

 やはり貴方もですか、第三王子殿下……。

 私はふうと息を整え笑顔を作り、振り向いた。


 「ウェルナッド殿下。ようこそいらっしゃいませ」

 「レイティア姉様は本日もお美し……随分お疲れの様子ですが、なにか?」

 「えーと……あちらの殿下のせいで少々」

 「ああ……兄様がいつも申し訳ありません」


 私が小声で、第三王子殿下に耳打ちすると、第三王子殿下はなるほどと頷いた。

 ちなみに、あちらのと顎で示した第二王子殿下は、すでに私に興味がなくなったのか、ブラウの姿を探してきょろきょろしている。


 「今からあちらで冷たい飲み物を頂くのですが、殿下もいかがですか」

 「よろしいのですか?アレクシス兄様」


 ふたりの逢瀬を邪魔してはならぬだろうとばかりに、遠慮がちに問う第三王子殿下。

 第一王子殿下は笑顔を返した。


 「もちろんだとも、ナッド。遠慮しなくてよいよ」

 「あ、ありがとうございます!」


 第一王子殿下がひっそりと咲く花のような笑顔ならば、第三王子殿下は太陽の下、一面に咲き誇る小さな花のような笑顔。

 第二王子殿下は……花ではなく、どとらかというと太陽そのものだと思う。

 それも真夏の、鬱陶しいくらい暑苦しい。


 「騒がしい子が来ないうちに行こうとしよう」

 「はい!」

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ごきゅ、ごきゅ、ごきゅ。

 ぷはー。

 私は用意された果実水を一気に飲み干した。

 季節の果汁を絞り入れ、はちみつたっぷり加えた一品。季節はずれの氷が遠慮なく浮かんでいるのは魔法様様である。

 水の魔法の熟練者がいれば、都度作ることも出来るが、それよりも便利な魔法氷室——つまりは冷凍庫があるのだ、この世界は。

 もちろん、めっちゃお高い。


 「では、私は一旦着替えて参りますので、両殿下ともごゆるりとなさって下さい」


 第一第三王子殿下の返事も待たずに、その場から逃げるように走り去った。


 屋敷に戻ると、玄関ホールではじいやことベルヘノートさんが、ミレーネ母様と共にいた。

 なにか楽し気に話しているようだ。

 ミレーネ母様の第一子、グランノーズ家第三子であり私の妹のエリザベスは、アマンダにでも預けられているのか、ここにはいない。


 「こんにちは、ベルヘノートさん」

 「やあレイティア様、お邪魔させていただいております。殿下たちは?」

 「アレクシス殿下とウェルナッド殿下はあちらのガゼボ(西洋東屋)でお休みに。ディグニクス殿下は……さあ?」

 「まっ、殿下を放っておかれるなどなんて失礼な!レイティアさん、だいたい貴女は——」

 「ミレーネ母様、これをご覧ください」


 私がドレスの裾をきゅっと絞ると、ぽたぽたと水滴が絨毯に零れ落ちた。


 「こんな姿で殿下のお相手をするなんて、耐えられませんわ、私」

 「は、早く着替えてらっしゃい!!エルマ、クラリッサ、大至急湯浴みの準備を!」

 「そ、そこまでは……」

 「着替えただけでどうにかなるわけないでしょうっ。それまで殿下の相手は私がしてきますから、とっととお行きなさい!ベルヘノート様、私はこれで失礼いたしますわ、ほほほ」

 

 走っているわけではないのに、物凄い速さで歩き去ってしまったミレーネ母様。

 私ものんびりしていられないので、ベルヘノートさんに詫びて部屋に戻る。


 思ったより時間がかかってしまったが、急ぎで着替えてガゼボに戻ると、ミレーネ母様の姿はなく、第一第三王子殿下、そしてもう一人、少女がちょこんと座っていた。

 

 「アレク様……ミレーネ母様がこちらに来られたはずですが」

 「ああ、彼女なら今しがた、ディッグスと君の弟君のケヴィン君、それとブラウを追いかけていったよ。うちのディッグスが迷惑をかけるねえ」

 「申し訳ありません、レイティア姉様」

 「いえ、そんなことは」


 大いに迷惑しておりますとは、さすがの私でも言えない。

 困ったものだと思いながら、私も席に着こうとした。


 「れ、レイティア様!!」


 ちょこんと座っていた、可愛らしい少女が声を上げた。

 ブラウンの前髪に僅かに隠れがちな深い蒼の瞳に大粒の涙をたっぷり浮かべて私を睨む。

 この子に怒られる理由は……思いた当たり過ぎて胃が痛いわ。

 私は一応の平然を装いつつ、少女を見る。


 「どうしたのかしら、ラスティーネ様」

 

 少女は拳を膝の上で握りしめ、私をじっと見つめ。


 「ディグニクス殿下が、酷いんですぅっ!聞いてくださいまし!!」

 「はぁ」


 あのぽんこつ殿下、今回はなにをしやがった。

 私は、心の中で特大の溜息を吐いた。


 少女の名は、ラスティーネ。

 ディグニクス第二王子殿下の婚約者になられた、公爵家ご令嬢。

 お歳は、私よりひとつ年上の11歳。


 そう、私レイティア・グランノーズは10歳になっていた。

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