第23話:悪役令嬢と婚約破棄6

 がらがら、がらがら、がたんごとん。 

 馬車は、王都を横切る川に架かる橋を渡っていた。

 ここまで来れば、グランノーズ公爵邸、つまりは我が家はもうすぐだ。

 王都中心部から、馬車で向かうには大した距離ではないが、しかし遊び疲れた8歳児が眠りを我慢するには、少々厳しい距離と時間。

 先祖代々のご趣味だか責務だかを呪うわけにもいかないが、わざわざ王都のはずれにある我が家を、今だけは少しだけ恨めしく思う。


 「綺麗……」

 「もしよろしければ、馬車を止めましょうか」


 私が豊かな水の流れる川と、その先に広がる豊かな土地を見て呟いたのを聞き取ったのか、第三王子殿下は言った。


 「でも、もう我が家まですぐなのですが」

 「しかし、こうしてレイティア嬢をお誘いできる機会も、そうそうないかもしれません。あ、兄様のことですから明日にでもと言い出しかねませんけどね。どうですか、少し散策でも」

 「いいですわね、少々お尻も痛くなってしまいましたしね」


 私がくすりと微笑むと、第三王子殿下は顔を赤らめて逸らした。

 馬車を橋のたもとに停め、私と第三王子殿下は馬車を降りた。

 絶賛爆睡中の第二王子殿下はベルヘノートさんに見ていていただいて、護衛騎士に付いてきてもらうことにした。


 「ディグニクス殿下がいらっしゃらないと、静かでよいですわね」

 「ええ、賑やかなのも嫌いではありませんが。こうしてゆっくりとできるのも。それに……」

 「どうかなさいましたか?」

 「いえ、なんでもありません」


 第三王子殿下が顔を逸らしてなにか言い淀んでいたようだが、まあいいだろう。

 私は第三王子殿下に手を取られ、土手をゆっくりと歩いた。

 道の脇には季節の花が鮮やかな色どりを添えている。

 私たちは、花を褒めつつ、緑を褒めつつ、お互いを褒めつつ。

 ついでに馬車に置いてきたあれに困りつつ。

 なかなかに楽しい散歩を楽しんだ。

 第三王子殿下も、近頃では第二王子殿下の背後に隠れなくなり、会話もそれなりにに弾むようになった。

 ふと川に目をやると、水鳥たちが優雅に水面を滑っていた。

 そこを流れていく、やや大きな影。

 大きなゴミでも……と思ったところで、私は目を見開いた。


 「ん?あれは……ひと?」

 「どうしましたレイティア嬢」

 「殿下っひとがっ、ひとが流されています!!」

 「あぁ流されてますね。死んでいるのでは?」


 驚きもせず平然と言い放つ第三王子。

 平民の命などどうでもよいとかいう、貴族の倫理観ってやつか!


 「わかりませんって、助けないと!」

 「でも、危ないですよ」

 「危ないのはあっち!!」

 「ちょっ、待ってくださいレイティア嬢!」


 私は第三王子殿下の手を振り払って、走り出した。

 背後で声が聞こえるが、無視無視。

 走りながら周囲を見る。

 他にひとの気配なし、つまり手助けは得られそうにない。

 川の前方……ちょっと急流になってない?

 

 「走って、泳いで……いや無理かこの服じゃあ私も溺れるわ」


 当たり前だが、ドレスで泳ぐなど死ぬようなものだ。

 脱いでいたら間に合わない。

 けっして恥ずかしいからとか、そんな理由ではない。

 第一、今生では水泳など習ったことはない。

 近くで見る川の流れは、思ったより早くて、追いつくのが精いっぱい。

 じゃあ魔法?

 流水を操ったことなんてまだないわよ。

 火……土……風?

そんなことをぐるぐると考えながら土手を走っていると、後ろから誰か追いついてきた。


 「レイティア様、私が参りますので」


 護衛騎士が来てくれた。

 第三王子殿下が寄越してくれたのだろう。


 「ありがとう。けれどあの先、流れが速くなってますよ」

 「難しいですが行ってみます」

 

 そう言って、護衛騎士は私を追い越し、流されているひとも追い越したところで川に飛び込んだ。

 護衛騎士の泳ぎは達者なようだが、着衣のうえ革製とはいえ鎧を着ているので速度は出ない。

 このままでは追いつかないかもしれない。

 私は、ちょっとだけ覚悟を決めた。

 ふいにあの夜、別荘で目覚めた日のことを思い出す。


 『学びなさいマナのなんたるかを。その制御の方法を。貴女が学び育つにつれ、魔核も丈夫になっていく。そうすればきっとうまくいく。それまではそう、あまり強い魔法は使うべきではない——』


 心の奥に、確かに残る言葉。

 だけれども、誰に言われたのか分からない言葉。

 そして、それからの三年間その言葉になぜか従い、地道に真面目に魔法に取り組んできた。

 無茶をせず、無理をせず。

 私の身体も随分と成長した。

 今なら、きっと出来るはずだ。

 心を落ち着かせ、感情を高ぶらせず、あくまで冷静に当たり前に出来ると信じて。

 そして私はしゃがみこみ、地面に掌を添えた。


 「『草よ、育てグロウプラント』」


 選んだのは、お父様の魔法。

 公爵家血統の魔法ならきっと……。

 なんの根拠もないが、自分自身をを安心させようと、心の中で言い訳をした。

 私の前方、無数の雑草や草花が一斉に伸び始める。

 そしてそれは川まで続き、水草も大きく生い茂り、水面を越えて茂みのようになった。

 「間に合えっ」


 流れていたひとは、なんとかその茂みに引っかかってくれた。

 これなら、護衛騎士も追いつける。


 「よかった……いっ!!」


 やばい、またか。

 また?

 いや違う、これはたぶん、彼女が残してくれた仕組み。

 私を守るために。

 私の中の魔核を守りつつ、私がが無茶をしないために、残してくれたもの。

 私は、痛みの中で彼女——白の魔女のことを、あの晩のことをすべて思い出した。


 『——ああ、言い忘れたけど、君が無茶しないように制御の術式リミッターを仕込んでおいてあげたから。無茶すると、ちょっとだけ痛いかもよ?あと、念のため、ボクのことはしばらく忘れてもらうよ。じゃっ』


 いったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぅわあああああああああああっ。

 ちょっとどころじゃないわ、この痛み!!

 あの魔女、なに仕込んでくれてるのよ。

 悶絶しそうな痛みに、私は魔法の制御が出来なくなりうずくまる。

 生い茂った草花が、しおしおと萎んでいく。

 かすむ目で川面を見れば、護衛騎士が流されていたひとを抱きかかえていた。

 どうやらそのひとは、成人男性だったようだ。

 良かった、間に合った……。

 それにしても。

 

 「いってぇぇぇぇぇぇ……」

 「大丈夫ですかっ、レイティア嬢!!」


 第三王子殿下が追い付いてきてくれた。

 私は胸を押さえ肩で息をしながら、ゆっくりと立ち上がり、振り向く。


 「ええ、なんとか」

 「すごい汗じゃないですか。それにしても何ですか今の魔法は。グランノーズ公爵家の魔法のようですけど、もうあれだけの魔法を?」

 「ちょっと……無茶しちゃいましたね」


 私はハンカチを取り出そうとしたが、その前にハンカチが差し出されてしまった。

 第三王子が、申し訳なさそうに笑う。

 

 「助かったって良かったです。僕は何もできませんでしたから、せめて」


 見れば、護衛騎士の助けた男性も、気が付いたのか、肩を支えられながらがら覚束ない足取りでこちらへ向かってくる。

 私は第三王子殿下からハンカチを受け取り、額の汗を拭った。


 「ありがとうございます。助かったみたいで良かったです」

 「レイティアさんが無理をなさることはなかったのに。助けられなかったとしても、相手は所詮——」

 「知らないところ、見えないところまでは、とても無理ですが、手の届く範囲ぐらいは手を伸ばしたいですわ。それが平民であっても」

 「よく分かりませんが、素敵な考え方だと、僕は思います」


 貴族的思考ではないと言われてしまえば、そうだろう。

 だが、残念ながら私の中身は偽善大好き日本人。

 やらぬ善よりやる偽善。

 良い言葉だと、しみじみ思う小市民。

 たとえ貴族令嬢の皮を被っていてもだ。


 「殿下、お願いがあるのですが」

 「なんでしょうか?」

 「今日の、私があのような魔法を使ったことは、できれば秘密にしていただきたいのですが」

 「どうして?公爵殿もさぞ自慢でしょう」

 「いえ……じつはまだお父様にもお母様方にも、秘密なのです。いつもはなかなか上手に使いこなせなくて。もっと上手くなってからおほめ頂きたいと思っておりますの」

 

 そんな殊勝な理由ではないのだが、しゃあしゃあ嘘を吐く女、それが私。

 私が年齢不相応に強力な魔法を使えることによって、制御不能な方向に物語が動いてしまうことを、何となく恐れていたから。

 ただ、実際問題として、使うたびあんな痛みが襲ってくるのなら、ほいほい魔法は使いたくないと切に思ってしまったというのもある。

 

 「そうでしたか。では、助けた者にも言い含めておきましょう」


 そう言うと、第三王子は護衛騎士を手招きし、指示を出してくれた。

 指示された護衛騎士が助かった男性に何やら言うと、男性は青い顔になってぶんぶんと首を縦に振った。

 なんか脅されたかなと思うが、それくらいの方がちょうどよいのかもしれない。

 このことはくれぐれも口外無用。喋ったら命はないものと思え、とかそんな感じか。

 それを見ていた第三王子殿下も満足そうに頷いた。

 

 「お疲れのようですし、戻りましょうか」

 「そうですね」


 再び差し出された手に、私は手を添えた。

 

 「このことは、僕とレイティア嬢、ふたりだけの秘密ですね」

 「はい」


 第三王子はちょっとだけ嬉しそうに、微笑んだ。

 全然ふたりだけじゃないけどね。

 護衛騎士もいるし、助かったひともいるが、そこらは相変わらず数には入らないらしい。


 「ああ、ベルヘノートさんも気付いてらっしゃると思いますから、くれぐれもよろしくお願いしますね」

 「任せてください」


 流されてきた男性は、上流の川沿いにある王都外壁の修繕作業中に足を滑らせたそうで、後日何らかの保証が口止め料込みでされるだろうとのこと。

 まったく、平民の命が安い世界とはいえ、安全には気を付けてもらいたいものだ。


 私たちが馬車に戻ると、第二王子殿下は気持ち良さそうに眠っていた。


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