第11話:悪役令嬢は魔法を学ぶ4

 そんなわけで、その日以降、魔法大全ラグペリアの魔法書を読む機会もなく、少々しょんぼりしたものの、そんなことばかりに構っていられない日々を過ごしているうちに春がやってきた。

 私の背も少しばかり伸びてたが、ブラウは出会った頃の倍ほどの大きさになり、飛びつかれると受け止めるには少々難儀するほどだ。

 いっそさらに大きくなって、その背に私を乗せてもらいたいものだ。


 「お嬢様におかれましては、健やかにお育ちになられて大変喜ばしく存じます。これで私のお役目もひとまず終わりでございますね」


 とアマンダの妙に仰々しい挨拶。

 そう、5歳になった私には、いよいよ本格的な家庭教師が就くことになる。

 初等教育、礼儀作法、そして魔法のそれぞれについての先生が我が家にやって来るのだ。

 とはいえ、母親が不在がちな我が家では、相変わらずその代役となる者は必要なわけで。

 つまりは、アマンダのお小言が無くなるわけではないのだが。


 「アマンダ、今までありがとう。それから、これからもよろしく」

 「無論でございますわ、お嬢様」


 なにかが変わるような、なにも変わらないような春。

 初等教育については、わりと前世うん十年の経験値をアドバンテージとしつつ。

 礼儀作法は厳しさは増すが、所詮今までの延長線上の代物と割り切り。

 お楽しみの本番は、いよいよ待ってましたの魔法の講義だ。

 やってきたのは初老の紳士然とした男性。

 白髪交じりの豊かな髪を後ろへ撫でつけた、オラクルの目立つひとだ。


 「バルマン先生、本日よりよろしくお願いしますわ」


 華麗なるカーテシーで出迎えた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 「あの、魔法大全ラグペリアの魔法書は使用なさらないのですか?」

 「ああ……あれかね。あれは使われている魔法文字を理解し、読み解くだけで終わってしまうからね。しかし、流石はグランノーズ公爵家御令嬢、魔法大全ラグペリアの魔法書を存じているとは、なかなかの博識ですな」

 「ええ……父のしょさいにございましたので少々」

 「おお、それは羨ましい。私めなど王立学院図書館の秘書庫で数度、閲覧した事しかありません。原本は既に逸失したと言われていますし、写本についても国に数冊とか」

 「っ!?」


 おいおい、そんな大事なもの、4歳の小娘に触らせたのかお父様!!


 「そ、そんなきちょうな本であったとは知らずに……」

 「いえいえ、あれを読み解ければ世界の真理に近づけるとも言われております。高貴なる血筋に連なる公爵家の血筋であれば、いつの日かそこに至れると閣下も考えられてのことに違いありません」


 いやいやいやいや、お父様きっとそんなこと考えてないと思うよ?

 いやマジで。

 あの時、濡らしたり燃やしたり破ったりなんてことにならなくて、本当に良かった。

 そんなことになっても、笑って流しそうなお父様が別の意味で怖いよ。

 そんなこんな、なかなかに怖い話を聞かされたのちに手渡されたのは、A4ぐらいのサイズの小ぶりな、糸で綴じられた紙の本。


 「これは?」

 「講義用の魔法教本になります。魔法大全ラグペリアの魔法書をわかりやすく翻訳したものですね」


 ほうほう。

 こんな便利なものがあるなら、これを読ませてくれればよかったのにお父様。

 バルマン先生に許可をとって、早速本を開いてみる。

 う……。

 マナと自己をひとつに融合し、あるべき姿を求めよ

 お父様が言っていた言葉が、一言一句違わず書いてあった。

 私は、めまいがしそうなのを我慢して、さらーっと目を通してみた。

 うん、わかった。

 どんとしんくふぃーるってやつだ、これは。

 書いてあることは分かるのに、何を言いたいかさっぱり分からねえ。

 世界の調和とか自己の革新とか、果ては女神の恋愛話まで。

 自己啓発本もかくや、という感じだ。


 「これは……むつかしいですね」

 「ええ、これを理解し、実践することによって、マナと触れ合うことが可能となるのです。公爵家令嬢たるレイティア嬢におかれましては、一日も早い理解が得られるよう、期待しております」

 「……頑張りますわ」


 マナと触れ合え、か。

 過程はともかく、目指すゴールはどうやら同じぽい。

 ならば、魔法大全ラグペリアの魔法書を読める私が圧倒的有利。

 これからは魔法大全ラグペリアの魔法書を読みたいと、お父様にねだっても怒られないだろう、きっと。

 私は、ささやかな勝利を確信した。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 半月後のとある夜、私は自室のベッドの上にちょこんと座りながら、魔法大全(上)ラグペリアの魔法書(1)を読みふけっていた。

 魔法の講義が始まり一週間後には、通常ふた月ほどかかると言われている、初等魔法——マナの凝縮から魔法の発現まで——をマスターした。

 バルマン先生曰く、過去最も優秀に近い生徒だとのことで、お父様も鼻高々である。

 本当は初日にそれくらい出来たのだが、さすがにそれはねえなと自重した。

 ひと月くらいは辛抱しようと頑張ったが、あまりといえばあまりな講義内容に辟易し、辛抱たまらんと爆発したのが一週間後。

 実際の講義内容については、あえて触れないでいただきたい。

 愛とか神とか世界の真理とか愛とか愛とか……うんざりなんじゃー。

 そういうわけで、ご褒美として魔法大全ラグペリアの魔法書をねだり、長い交渉の末、見事手に入れたのだ。

 お父様もお母様も、私がこれを読めるなど毛ほども思っていないことを、私は知っているだけに、少々心苦しくはある。 


 「ふむ、火を浮かすためにはやっぱり風なのね。けど……」


 火に風をぶつけても消えるだけ。

 そうではなく、火を風を混ぜるのか。

 火を浮かそうと思うのではなく、浮く火を作りだす。

 結果は同じでも発想が違うから、実現しない。

 これは……なまじ物理法則を理解してる前世の知識が本当に邪魔してるわ。


 「いやあ、これは……深いわね」


 私は掌の上に小ぶりの炎を浮かべながら、苦笑いを浮かべた。

 ブラウは、私の隣で面倒くさそうにばうと吼えた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 「これは……どういう理屈なのかしら?」


 私は、部屋の中をぐるぐる歩きながら、私の後ろをぴったり追尾してくる、空中に浮かぶ炎を眺めていた。

 浮かぶならわかる。

 飛んでいくのもまあ、理解の範疇に収まる。

 しかし、何もしていないのに自分の後ろに追随する炎をいうのは一体……。


「物理法則がん無視?」


 ものの試しに「浮遊したまま追いかけてくる炎」を作ってみたら、本当に追いかけてきたのだ。

 魔法大全(上)ラグペリアの魔法書(1)には、残念ながら、この事象に関する記述はない。

 中巻以降を読めば、なにかしら分かるかもしれないが、今のところ借りれそうな気配がない。

 なぜなら、(中)と(下)には(上)のように図解が沢山で、見てそれなりに面白そうという要素が極端に少ないらしい。

 すなわち、子供がこんなもの見ても面白くなかろうという、極めて単純な理由で許可されないのだ。

 解せぬ。

 理解はできるが、なんか納得いかない。

 後日談。

 恥を忍んで、バルマン先生に聞いてみた。


 「それはそういうものですよ。しかし、そこに疑問を持たれるとは流石公爵御令嬢の御慧眼とでもいいましょうか」


 うん、先生もよく分からないらしい。

 まさに、どんとしんくふぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃるって感じだ。

 ちなみに、癒し手とはなんぞや?と質問も後日ぶつけてみたが、魔法とは別枠扱いで、後天的に得られない才能のようなものだと、あっさり言い切られた。

 バルマン先生も専門外のことらしく、興味がないご様子。

 なんとなく悔しかったので、バルマン先生を追尾する炎を作ってみたところ、最優秀生徒から神童にランクアップされた。

 そうそう、いまさらすごくどうでもいいことなのだが、私の魔法適性についての診断は、「お顔を拝見するにお母様の血が濃いようですね、火の魔法で間違いないでしょう」とのこと。

 ただの顔相診断かよ。

 ちょっとワクワクしてたのに……がっかりだよ!!

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