第18話:悪役令嬢と婚約破棄1
「そろそろティアには婚約をしてもらおうと思う」
「ふへゃ?」
ある日の夕食。
あまりといえばあまりに突然の、お父様の宣言に、私は思わず間抜けな声を上げてしまいました。
「レイティアさん、はしたないですよ」
「も、申し訳ございません……」
ミレーネ母様がすかさず嗜めてくる。
お母様はそれを見て「自分の役目なのに!」とぐぬぬな表情だが、こう言った場面での適切な貴族的対応において、ミレーネ母様にはとても敵わないことを自覚しているらしい。
「まあまあミレーネ。ティアが驚くのも無理はない。まずはティア、婚約というのは分かるね」
「はい、お父様。将来ご結婚する相手とのお約束のこと、ですよ……ね?」
分かってはいるが、なんとなく違っていてほしくて確認をする乙女な私。
「その通りだ。昨日王宮にて国王陛下から直々にお話があってね」
「は、はあ……」
ついに来てしまったかこの時が。
私は当然知っている、相手が誰なのかを。
エターナル・ガーデン・パーティのゲーム内で主人公にかっさらわれた挙句、卒業パーティで婚約破棄を突きつけてくるあいつだ。
「我が国第二王子のディグニクス・ラクセリア殿下だ。お歳は……ティアよりふたつ年上だね」
「まあ素晴らしい」
「おめでとう、レイティア」
ミレーネ母様はもろ手を挙げて喜び、お母様は妥当な判断だと納得しているようだ。
うん、やっぱりね。
いつ婚約するかは知らなかったが、相手は思った通り変わってはいない。
第二王子かー、やだなー、マジやだなー。
「ん、どうしたティア、顔色がすぐれないが」
「い、いえ……あまりに突然のことで、しかもあまりに高貴な方ですのでびっくりしてしまって」
「あまりに高貴か。確かに我が国に、これ以上高貴な血筋はないがね。しかしそれに連なる我がグランノーズ公爵家とて、高貴さにおいてはなんら恥じることはないのだよ」
「そうですわレイティアさん。とはいえ社交デビュー前にそれを自覚しろというのもまだ酷な話ですわね」
「レイティア、自信を持つのですよ」
お父様とお母様方がそれぞれに私をフォローしてくれる。
嬉しいやら、悲しいやら。
口々に王族と縁続きになることの素晴らしさ、婚約者となる第二王子殿下の優秀さを褒めちぎっている。
盛り上がりがひと段落したころ、私は思い切って聞いてみた。
「あ、あの、お断りするわけには」
「それはいくらなんでもないだろうティア」
「お断りするなんてもったいない」
「覚悟を決めなさい」
三人揃っての大却下だった。
ここで婚約なんか嫌だって選択肢は……やっぱないな。
第二王子は見た目だけは良いのよね、見た目「だけ」は。
性格最悪だし女好きだしで、振り回されっぱなしだったわね、えたぱの中の私。
生来の病弱により、継承順位を下げられた第一王子に代わって継承権一位となった第二王子。
横柄で傲慢でやりたい放題。
その上、主人公にころっと騙されて……あ。
もしかして、なんとかなるんじゃないかこれ。
私はやや思案したのち、申し訳なさそうに口を開いた。
「あの……第二王子殿下ということは、第一王子殿下もいらっしゃるのですよね?」
「ああもちろん。だが、第一王子のアレクシス殿下は病弱でな……」
「そうなのですか。それで、アレクシス殿下はご婚約の方は?」
「い、いや、まだだったはずだが。ティア?」
私は大きく深呼吸。
そして天使のごとく(自称)微笑んだ。
言うだけならタダだしな。
「ならば、第一王子殿下とご婚約させていただくのでは、駄目なのでしょうか?」
その場が凍りついたように静まり返った。
父母だけでなく、壁際に控える使用人たちすら動けない。
空気を読まず、料理を美味しそうにもぐもぐしているケヴィン。
ケヴィンちゃん、貴方大人物になれますわよ。
皆の視線が、わずかだけケヴィンの方を見て、そして私の元に戻ってきた。
そりゃそうだろう。
まさか自分の娘、それも貴族令嬢が婚約相手となる王族を選り好みするなど、お父様もお母様方も想像すら出来なかったはずだ。
第二王子も、そしてここでの話には出てきてはいないが弟の第三王子も、正直全力でご遠慮したい相手だ。
どっちも攻略キャラで個人的に恨みしかないうえ、揃って非常に性格がよろしくない。
ならば、出会う前に逃げれば良いのだ。
なんて頭の良い私。
スチル一枚どころかシルエットすら見た記憶のない、深窓の第一王子殿下。
病弱設定で将来的にどうなっちゃうか分からない相手だけど、私の逃げ場としてこれ以上うってつけの相手がるだろうか。
ごほんとお父様が咳払い。
凍りついた空気が溶ける。
「あーティア、お前は自分が何を言っているのか、分かっているのかね」
「もちろんですわお父様」
「こんなとき、私の父であれば、即座に口答えするなとテーブルを殴りつけるところだし、貴族であればそれが正解だろうと私は考える。しかし、やや理解が追い付かないのだがね、お前のその言葉の——」
「理由を申し上げてもよろしいでしょうか、お父様」
「あ、ああ」
私は背筋を伸ばし、姿勢を正した。
「第一に、第一王子アレクシス殿下より先に婚約をお決めになろうとする第二王子ディグニクス殿下が、どのようなお方かは存じ上げませんが、それだけ評価されている方であれば、たとえ私がここでお断りしたとしても、相応しい方がすぐに見つかるかと」
「うむ」
「んまっ、なんてことを」
「第二に。あ、こちらがもっとも大きなな理由ですが、ディグニクス殿下のご婚約が決まろうというのに、お身体が弱いというだかけでご婚約すらできないアレクシス殿下のことを思いますと……。もし、私のわがままが許されるのであれば、そんなアレクシス殿下のおそばにこそ寄り添いたいと、私は考えました」
「そうは言ってもだな、ティア」
「そうですよレイティアさん。わがままが過ぎます」
「……」
お父様とミレーネ母様の反応は予想通りだが、お母様だけは腕組みをして無言で私を見つめている。
怖いよお母様。
「よくお聞きなさいレイティアさん、今回のご婚約は貴女にとっても、いえ、このグランノーズ公爵家にとっても、またとない素晴らしいものなのですよ。それを貴女の一存で断るなど不敬にもほどがあります。だいたい貴族子女というものは——」
ミレーネ母様が貴族心得について滔々と語りだした。
氷のミレーネ本領発揮である。
食堂の気温が数度下がった気がする。
お父様もこうなったミレーネ母様を止めることは、容易ではない。
時折、ミレーネ母様が息継ぎをするタイミングで口を挟もうとしているようだが、上手くいかない。
お父様のへたれ。
「あはははははははははははは」
突然、場の雰囲気を横殴りにぶち壊した笑い声。
見れば、お母様が大声で笑っている。
どこかに笑いどころあったのかしら。
「ロザリア?」
「ちょ、ロザリア様っ、笑うところではありません。真剣なお話をしているのですよ!」
困惑するお父様と、諫めようとするミレーネ母様をよそに、しばらく腹を抱えて笑い続けたお母様は、やがて笑いを止めると目じりに浮かんだ涙を拭った。
そして真面目な顔になり、
「レイティア。さきほどの言葉は本気?」
「え、ええ……本気ですわお母様」
「貴女が苦しむことになるかもしれなくてよ」
「わかっている、つもりです」
お母様の射貫くような鋭い視線に、私は目を逸らしたいのを必死に堪えた。
第一王子と婚約したいかと本気で問われたらノーではあるが、第二王子との婚約から逃げたいのはマジの大マジで本気。
あえて言うなら本気と書いてマジと読ませるってやつだ。
お母様は大きく頷いた。
「ならば結構。旦那様、私はレイティアの気持ちを尊重したく存じますわ」
お母様が言い切ってくれた。
「お、おいロザリア」
「ロザリア様なにをおっしゃっているの」
お父様とミレーネ母様の動揺に、大きな笑みで返すお母様。
「旦那様、ミレーネさん。私、レイティアの考えはそれほど悪いものではないと思いますの」
「それはどういう意味だね、ロザリア」
「そうですね。それは——」
お母様はそう言いながら周囲をぐるりと見渡した。
「この場では少しばかり申し上げにくいことですわね」
やや困ったような儚げな微笑み。
しかし、お母様がそれをすると、なにかろくでもないことを考えているような悪い笑顔に見えるのはなんでだ。
「うむ……では、この話の続きは後ほどするとしようか。料理もすっかり覚めてしまったしな。よいかな、レイティア」
「はい……」
その後、温め直してもらった料理を、皆で黙って食べた。
ケヴィンだけはとっくに食べ終えて、ミレーネ母様の長話の途中で夢の中。
ケヴィンちゃん、貴方は既に超大物の風格よ。
いることすら忘れかけていたブラウは、食堂の隅でふわぁと大きな欠伸をしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日。
どうやら昨晩遅くまで話をしていたであろうお父様とお母様方は、やや眠そうな目をこすりながら食堂に現れた。
「ティアの希望に添えるかどうかは、さすがに王家が相手では保証はできかねないが、話はしてみるよ」
「侯爵家当主として、恥じない戦果を期待しておりますわ、旦那様」
「あまりご無理をなさらぬよう、旦那様」
父様はやや疲れているようで、大きなため息を吐いた。
対するは、変わらず威風堂々たるお母様。
ミレーネ母が気遣うのは、お父様か、それとも侯爵家の家名か。
たぶん、どちらもなのだろう。
「ありがとうございます」
私は深くお辞儀をした。
貴族的マナーではないが、時どき出てしまう前世の癖なので仕方がない。
朝食を済ませたあと、お母様に呼び止められた。
「レイティア」
「はい」
「私は貴女を誇りに思いますよ」
お母様は優しく微笑んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ディグニクス第二王子殿下と養子にくる弟ディックの名前が似てしまっていたので、ディック→カイルに変更しました。
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