第17話:悪役令嬢と平穏な日々

 ああ、なんと素晴らしき日々か。

 花びらが風に舞う、心地よい昼下がり。

 私は庭園の小径を優雅に散歩していた。

 月日は流れ、季節は巡り。

 日々、貴族令嬢としての厳しい鍛錬を重ね。

 私は淑女として、大きく成長した。


 「お嬢様っ、早くお屋敷にお戻りください!先生がお怒りですよ!」

 「……やばっ、忘れてたわ!!!」

 

 私は手にしたサンドイッチを無理やり口に詰め込んで、全速力で駆け出した。

 まあ、現実はこんなもんですわ。


 私の名は、レイティア・グランノーズ。

 ガルトラル王国に四家しかない公爵家、グランノーズ公爵家令嬢。

 えたぱことエターナル・ガーデンパーティの、よりによって悪役令嬢に転生した日本人岩清水小枝いわしみずこえだ

 今際の際の夢かもしれないが。

 そんなこんなで早くも8歳。

 概ね、今日も元気です。


 祖父母の暮らす別荘地で、母と共に襲撃されてからおよそ半年後。

 めでたくグランノーズ公爵家第二子誕生。

 玉のようなという表現が、比喩でもなんでなく、まさにこの子のために存在する言葉だと疑いようのない赤ん坊が生まれた。

 念願の、公爵家男子誕生である。

 私の誕生が喜ばれなかったわけでは決してないのだが、そこはやはり爵位を継ぐべき男子の存在は重要重要超重要。

 その知らせを出すや否や、おじい様とおばあ様が別荘地より駆けつけてきての大騒ぎ。

 私の時は、果たしてどうだったのだろうかと興味本位に尋ねたら、出産予定のひと月前から戦場最前線、いわゆる野戦病院に張り付いて待ち構えていたそうな。

 出産の苦しみより、祖父母のうっとうしさに辟易したというお母様。

 出産後、即起き上がって、いい加減にしてくれとこんこんとお説教したらしい。

 そんなこともあって、元々格差婚で生じていた軋轢は一気に険悪となってしまったとのこと。

 それも件の襲撃事件によって、結果論として双方の関係は多少緩和されたようだが、さすがに今回は出産前に押しかけてくるようなことはなかったと、お母様は安堵していた。

 さて、そんな待ちに待った男の子であるが、


 「ねーね、ねーね」

 「まあっ、ケヴィンちゃん、かわいいでちゅねー、ねえねですよぉー♪」


 とてとてと歩み寄る小さな生き物をよっこらしょと抱き上げて頬ずりした。

 容赦なく顔を舐めてくるが、気にしないしむしろうぇるかむよ!

 目に入れても痛くないとは、まさにこのことね。

 入れないし入らないけど。

 見事なまでの親バカならぬ姉バカと化した、公爵令嬢の姿がそこにあった。


 「あ、ぶあう」

 「ああん、ケヴィンちゅわぁんー」


 私の腕をするりと抜けて上手に着地し、銀色に輝く生き物にぽてぽてと駆け寄るケヴィン。

 今日もまた、アイツに負けてしまったか。

 やはりもふもふが良いのか、もふもふが。

 ケヴィンにぎゅっと抱きしめられて、ややうんざりした顔をしつつも、されるがままになっている銀色に輝く毛並みの生き物——そう、シルバーウルフのブラウ。

 神獣様の威厳とやらも、子供には形無しだ。

 当初はケヴィンからの遠慮ない可愛がりから逃げいていたのだが、あまりしつこく追いかけてきて、転んで泣くまでワンセットだったため、いつの間にか諦めたようだ。

 保護した時には、愛らしい銀色毛玉だったブラウもすっかり成長し、いまでは通常の狼の成犬ならぬ成狼程度の大きさにまでなっている。

 お母様が言うには、まだまだ成長途中らしく最終的にはここから三倍ほどの大きさになるとのこと。

 ちなみにケヴィン的には7対3ぐらいの割合で、ブラウの方が好きな様子。

 解せぬ。


 お母様はケヴィンの出産を機に騎士団の教官を休職。

 いわゆる前世的表現で育休というやつだ。

 私のときに育児に積極的に関われなかったことを悔やんでいたらしい。

 とはいえ、育児全般に関しては、百戦錬磨のアマンダが仕切っているので、アマンダの隙を盗むように、こそこそとケヴィンに関わろうとするお母様の姿は、なかなかに涙ぐましいものがある。

 お母様がんばれ、ほどほどに。


 さて、ケヴィン誕生とお母様の休職以外にも、この三年の間にグランノーズ公爵家には大きな変化があった。


 「レイティアさん、ごきげんよう」

 「あ、ミレーネ母様」」


 お母様とは真逆の、線の細そうな美女が 腕の中に赤ん坊を抱いている。

 彼女の名はミレーネ・グランノーズ。

 グランノーズ公爵家第二夫人だ。

 お母様との結婚後、かたくなに第二夫人どころか側室も愛人も拒否していた父様ではあった。

 しかしながら、別荘地での襲撃事件をきっかけとして、公爵家の妻がひとりしかいない状態こそが、公爵家最大の弱点であることが露呈してしまった。

 それでも、周囲からの提言に対し、お父様は随分と悩まれたらしい。

 なんな中、


 「愛は与える相手が増えただけ増えるものです。それくらいの度量を持ち合わせずしてなにが公爵ですか、旦那様!」


 お母様の一喝で覚悟が決まったそうだ。

 流石はお母様。

 こうして迎え入れられたのが、お父様の従兄にあたる侯爵家の次女であるミレーネ母様。

 見た目の線の細さと儚げな雰囲気から、周囲の庇護欲をかきたてる女性でありながら、実に貴族らしい思考の持ち主。

 貴族としての損得、そして家を守る事こそ女の役割と割り切っているようだ。

 あるとき、こんなことがあった。


 お母様が休職に入り時間が取れるようになったので、良い機会だからと、私に剣術の指南を付けてくださるようになった。

 それはかつての事件からの反省もあり、私自身が最低限身を守れるようになるべきというお母様の配慮からだ。

 お父様は私が剣を振るうことに、あまり良い顔はしなかったものの、武器は持たずとも、相手の動きを予測できれば生存率も上がるというお母様の持論によってねじ伏せられた。

 そんなわけで、お母様の指導に加え、朝晩の素振りが私の日課になってしまった。

 ミレーネ母様が我が家にやってきて数日後。


 「レイティアさん、なぜ貴族女性が剣を振るうのでしょうか?」

 「自らの身を守れるようにせよと、お母様がおっしゃりましたので」

 「自らの身を?淑女がそのような無駄なことを」

 

 ミレーネ母様が呆れたような顔で言った。 

 

 「無駄?ですか。私はそうは考えませんが」

 「貴族女性は自ら守るのではなく、守られるべきです」

 「それはそうですが、その守りが破られたときはどうなさるのですか?」

 「その時、私なら……そうですね。剣ではなくこれを用います」


 そう言って、ミレーネ母様は、胸元からペンダントを取り出した。

 そして、ペンダントヘッドを指先で弄ると、蓋が開き、中からころりと錠剤が出てきた。


 「それは……?」

 「これを飲めば、速やかに自害できますよ」


 ミレーネ母様はにこりと微笑んだ。

 

 「自害ですか」

 「ええ、私が生き残ることによって、旦那様が不利益をこうむるのであれば、迷わず」


 いやいやいやいやいや、いくら何でも極論すぎて駄目だろうそれは。

 貴族的にオッケーだとしても、私的にはアウトだよ!!

 とはいえ、ミレーネ母様を理論的に説くだけの言葉を持ち合わせていない私は、なんとなく気まずいままとなった。


 その後、ほぼ同じようなことを、お母様に笑顔で言い切ったミレーネ母様。

 激しい口喧嘩に発展したものの、お父様の介入により一応の和解となった。

 口喧嘩といっても、激高していたのはお母様だけで、ミレーネ母様はほぼ顔色を変えずに淡々と持論を述べていたにすぎず、それを見ていた使用人たちによって、炎のロザリア様と氷のミレーネ様と密かに呼ばれるようになったとか。

 ミレーネ様の魔法は風なのだが、まあいいか。


 「私たちは貴族だから、時としてたとえ家族であっても切り捨てなければならない場面はあるだろう。しかし、簡単に諦めてしまうのはよくないと、私は思うよ。ロザリアを失っても、ミレーネを失っても、子供たちの誰を失っても、同じように私は悲しむだろうからね」


 結局、お父様ですら理論ではなく情に訴えるしかったのだから、やはり貴族というのは難しいものだ。

 そうそう、言い忘れたが、ミレーネ母様はお母様より10歳下にも関わらず、怒るお母様に全く怯みもしなかったのは、ミレーネ母様の祖父がとても理不尽な怒り方をする方だったらしい。

 そしてミレーネ母様の持論も、件の祖父からの教えとのことだと聞かされ、なるほど納得した。


 こうして今、ミレーネ母様の腕に抱かれているのは、グランノーズ公爵家第三子であり次女。

 つまりは私の妹である。

 彼女の名はエリザベス。

 それはちょっと遠い将来、主人公に心酔し、私を陥れようとする女の名前。

 そんなことはなにも知らない、愛くるしい赤ん坊は、母親の腕の中で幸せそうな寝息を立てていた。

 物語の強制力とでもいうものは、なかなか手ごわい。

 主人公に心酔する前に、いっそ私にめろめろにさせてやろうじゃあありませんか!

 と、景気よく思うものの……どうしたものか。

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