第7話:悪役令嬢は領地へ行く5
「うん、内臓も傷付いてないみてえですし、失血で衰弱してるだけみてえですじゃ」
馬丁のナッドさんは真っ白な顎髭をこすりながら、シルバーウルフの怪我は問題ないと話してくれた。
彼は今でこそ馬丁ではあるが、王都にて獣医学を学んだ優秀な人物だそうな。
シルバーウルフは本邸敷地内の厩舎片隅に急遽作られた柵の中、藁の上に包帯を巻かれて横たわっていた。
「ありがとう、ナッド」
「いえいえ、とんでもごぜえません。よもやこの年でおとぎ話の神獣の怪我を診れるたあ、死んだ女房への良い土産話が出来ましたじゃ」
おとぎ話の神獣。
お母様の故郷、ゼイカは北方の隔絶された土地。
そこを訪れる者も少なく、他地域との交流もごくわずか。
そして人間との不干渉を守る彼らシルバーウルフとあっては、それを遠くに目撃することはあっても、こうも間近に、それも触れることが出来るなど、地元の者でなければそれこそ王族ぐらいしか許されないだろという話。
その王族が率先して不可侵不干渉を推奨しているとあっては、神獣扱いもやむなしといったところか。
「ご安心くだせえお嬢。昨晩はちょっとだけですが牛の乳も飲んだみてえですし、狼は元来頑強ですから、すぐに起き上がるにちげえありませんや。それにしても流石シルバーウルフ、きらっきらで目が潰れそうでさあ」
ナッドさんはシルバーウルフの方を向いて目を細めた。
丁寧に清められたらしいシルバーウルフは、僅かな陽の光にきらきらと輝いていた。
一年の半分以上が雪で覆われるらしい場所にしか棲まないというのも、なるほどと頷ける。
目立つことこの上ないな、うん。
密猟してでも欲しがるひとがいても、それは責められないなあという気にもなってくる。
「あとは神獣様への不敬罪で首でもくくられねえよう、旦那様にはくれぐれもおねげえしますじゃ」
がははと笑いながら、さらっと怖いことを言わないでほしいナッドさんよ。
どうやら大事には至らなかった今、喫緊の問題はシルバーウルフ保護の是非。
ここから先はお父様の頑張り如何にかかっているのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、厩舎を訪れると、厩舎の隣になかなか見事なドッグランが出来上がっていた。
ナッドさん曰く、暇な連中で頑張りましたじゃ、とのこと。
あとでお酒でも持ってこさせよう。
シルバーウルフは昨日よりも体調が良くなっているらしく、よく挽いたミンチ肉を食べるまでになったそうだ。
「さっきまでは起きていたんですがね。起こしやしょうか?お嬢」
「いえ、ぐっすり眠るのもちりょうのうちと聞きます。安心したねがおが見れただけでもうれしいですわ」
このぶんなら数日中には起き上がるだろうという、ナッドさんの言葉にほっとした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「いやー、今回はちょっとだけ頑張ってしまったよ。流石公爵の爵位は伊達じゃないねぇ。無理を通せば道理も引っ込むというものだよ、はっはっは」
「お父様……」
「旦那様……」
本来ならお父様の頑張りに感涙を流して抱きつく場面なのかもしれない。
しかしながら、私もお母様もややどん引きな表情だ。
なんと、お父様はシルバーウルフを保護したその日のうちに、緊急連絡用の魔法具を使い、数度のやり取りをもって、わずか二日でシルバーウルフ保護及び飼育の権利を勝ち取ってしまったのだ。
王都の管理局では臨時緊急会議が丸二日、昼夜に渡って開催されたみたいだねと、爽やかな笑顔と共に聞かされたときは、管理局とやらの皆さんの心労に涙せずにはいられなかった。
嗚呼、下働きの諸行無常よ。
彼らだって大半は貴族だろうに、大変だなあ。
「王家に献上せよという案も出たらしいのだがね。そこは一喝で黙らせたよ、うん」
味方にすれば頼もしいことこの上なく、敵に回れば厄介すぎる。
流石はお父様ですわ、そこに痺れないし憧れもしない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「では、ブラウでどうだろう」
「ブラウ……ですか?」
「ブラウディーノ——獣の神ですわね」
獣の神。
おおー、なかなかに神秘的かつ響きもよろしいじゃあありませんかお父様。
こうして、新たに我が公爵家メンバーに加わったシルバーウルフはブラウと名付けられた。
当初、
「どうだいティア、せっかくだし名付けをするかな」
と、お父様に命名権をいただいた。
しかしながら不肖私め、今生はまだ4年、加えて前世うん十年の知識と経験を総動員したところで、出てくる名前は「ぽち」とか「はち」とか「しろ」とかである。
名前の由来など問われた日には、なんとも困ってしまう。
よって、なるべくしおらしさを演出しつつお父様に丸投げした訳であるが、思った以上に良い名を付けていただき結果オーライだ。
それにしても獣の神までいるとはね。
えこぱゲーム内ではもとより、公式サイトやウィキにも載ってなかったような気がしたが、見落としていたか、よほどマイナーな神なのだろう。
そもそも、ゲーム本編ではシルバーウルフなど出てこない。
つまりは本編が始まる約十年後、私の側にはこの子はいないのだろう。
無事に故郷に戻れるか、それともこの本邸で幸せに暮らしているか。
それとも……。
頭に浮かんだ、少しだけ悲しい結末を頭から追い出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
小さな体が、4本の脚でゆっくりと持ち上がる。
銀色の毛玉は数日前に大きな怪我を負っていたとは思えない、しっかりした足取りで、厩舎隣のドッグランへ出て行った。
厩舎の壁に、ブラウ専用と思われる扉まで取り付けてくれた暇なひとたちには大いに感謝だ。
ブラウは周囲を見渡し、ゆっくりと柵に沿って歩き出した。
そのうち速度を上げ、走り出した姿は楽しそうに見えた。
その可愛らしい毛玉姿をほわんと眺めていると、ブラウが脚を止め、私の方に顔を向けた。
まあ、なんと可愛らしいのでしょう!!
と思った瞬間毛玉が跳んだ。
私の背より遥かに高い、大人の胸程まである柵を一気に飛び越え、私に飛び掛かってきた。
あまりに咄嗟のことで、背後に控える使用人もナッドさんも反応できない。
銀色毛玉が私の胸に体当たりしたことで、私は踏み台から足を踏み外し、地面にどすんと転がってしまった。
「お嬢!!」
ナッドさんがようやく反応したときには、私の顔はブラウ——銀色毛皮の駄犬ならぬ駄狼の唾液まみれになっていた。
「や、やだぁ、くすぐったいよう、うおっ、ぎゅむっ……」
私、穢されちゃった……くすん。
ようやく私から引き剥がされたブラウは、ナッドさんの腕の中ではっはっはっと舌を出し、尻尾を大きくふりふり興奮しているようだ。
シルバーウルフの誇りとやらはどこに置いたきたのだ。
その後、私が立ち去ろうとすると悲しそうな目をして、いなくなると敷地内に遠吠えが響き、顔を見せると途端に大喜びで走り回るようになった。
私が見えないと食事すらろくに摂らない有様らしく、困り果てたナッドさんの懇願により、とうとう私はブラウ係に任命されてしまったのだった。
私がそばにいない時は極めて大人しいらしく、試しにリードを付けて厩舎内を歩かせてみたら、馬や牛などの家畜が怯えることもなく、一定の距離感を保っていたそうだ。
そして、私たちが王都別邸へ帰還する予定日近くには、リードも噛みつき防止のマズルもなく、常に私の隣で自由に闊歩するブラウの姿が本邸敷地内いたるところで見られるようになっていた。
ブラウが私に飛び掛かった翌日、ドッグランの柵の高さが倍ほどになっていたのは、今となってはご愛敬。
あの時慌てふためいた、ナッドさんはじめ使用人の皆さんの苦労がとても偲ばれる。
公爵親子が立ち去ったのち、グランノーズ公爵領本邸ではいつの間にか複数の犬が飼われるようになり、ドッグランが有効活用されることを私が知るのは、もっと先の話。
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