第4話:悪役令嬢は領地に行く2

 「さあ、ようこそがグランノーズ領へ!」


 お父様はわざとらしく両手を広げ、馬車の窓にかかるカーテンを開け放った。


 「わぁ……畑、ですね」

 「う、うむ。素晴らしい畑だろう」


 私が感動のあまり涙でも流すことを期待していたのか、ことのほか簡素な感想にやや失意のお父様。


 「すばらしいのは見てわかりますが、草しかありませんね。あ、あちらはぶどう畑でしょうか」

 「そうか。収穫前の、見渡す限り黄金色に輝く大地をティアはまだ見たことがないのだな。それは申し訳ないことをしたね。」


 思い起こせば、岩清水小枝いわしみずこえだであった頃の私の田舎は稲作が主産業。

 麦と米との違いはあっても、遠目に見た限りでは然程違いはなかろう。

 そういえば、麦は米と収穫時期も種まきの時期も違っていたな。

 四季が元居た世界とだいたい同じとすると、あれは麦の新芽かしらね。

 なんにせよ。

 すまぬお父様、その光景は嫌というほど見てきたのだよ。


 「それはさぞ美しいのでしょうね。いつかぜひ見たいものです」

 「うむ。ならば来年はもうふた月ほど早く来るとしようか」

 「ルドルフが過労で倒れないと良いのですけど。ね、旦那様」


 お母様の目が、出来もしないことをよくもまあ、と言っている。


 「なにごとも愛するティアのためだ」

 「はいはい。私の時もそれくらい頑張っていただきたかったものですわ」

 「……すまない」

 「旦那様がご無理なさらないのが一番。それに私とレイティアだけ先に来れば良い事ですもの。ね、レイティア」

 「はい、お母様!」


 強い方に即座に乗っかる女、それが私。


 「そんなぁ」


 あ、お父様がへこんだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 さらに約半日ほど馬車に揺られ、流石にお尻に限界を感じた頃、本邸へ到着した。

 事前に先触れが出されていたようで、重々しい門扉は領主の帰還を迎え入れるために開け放たれ、左右を守り直立する守衛の間を何事もなく通り抜けていく。

 玄関には手の離せない者以外ほぼ全てと思われる使用人たちが整列し、私たちを待ち受けていた。


 「お父様、皆お父様をお待ちしていたのですね」

 「うむ。それもあるが、今日の皆のお目当ては間違いなくティア、君だ」

 「私が……ですか」

 「本来であれば公爵家の子を生み、育てるのはここ、本邸となる。しかしながら私もロザリアも王都にて忙しい身。故に王都にて出産してもらった。そして今日、ティアは初めて我がグランノーズ領と本邸を訪れた。そういうことだよ」

 「そう、でしたか。申し訳ないやら恥ずかしいやら、ふくざつな気分ですね」

 「はは、主役がそんな顔をしていてはしまらない。とびきりの笑顔を見せてやると良い。皆、喜ぶだろうよ」

 「そうよ、レイティア。私が初めてここに来た時なんか、皆珍獣を見るような目でしたわ」

 「ち、珍獣……」

 「ははは、そりゃ、公爵家に嫁いできたのが噂に名高い北の鬼神。皆どんな怪物が来るか気が気ではなかったろうさ」

 「全く失礼な話ですわ。こんなか弱い貴婦人を捕まえて鬼神だの魔獣殺しだの」

 「まあ、君のひと睨みで皆黙るしかなくなったしなぁ」


 昔を懐かしみ、遠い目になるお父様。


 「ま、その鬼神とやらから生まれてきたのが、こんなに愛くるしい天使なのですもの。それはそれで、さぞ驚くに違いなありませんわ」

 「天使か。それは間違いないな。さあ行こうか私たちの天使、ティア」


 お父様はそう言うと、私に手を差し出してきた。

 天使といってもこの世界では某一神教の神様に使えるアレではなく、多くの神々に使えるアレによく似た連中のことを天使と呼ぶ。

 容姿は幼児から青年期までの男女で洩れなく美男美女。

 神様ご本人が降臨しない代わりに現れると言われている。

 さすがにそれらに例えるのは親バカが過ぎるのではないかと思う。


 「……天使、ですか。ははは」


 私はぎこちない笑いを浮かべながら、お父様の手を取った。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その日、本邸の使用人たちからの好奇の目にさらされながらの歓待に、余計に疲れた私は早々に退場。

 歓迎会は夜更けまで続けられたらしく、音楽や歌声、笑い声がいつまでも聞こえていたが、私はいつの間にか眠りについていた。

 慣れないベッドではあったが、道中間借りする屋敷での落ち着けなさと比べれば、曲がりなりにも第二の我が家。

 思った以上に快眠できたようで、すっきりと目覚めることが出来た。

 初めての本邸で洗面所の場所すらわからずに難儀したものの、私を見かけた使用人の誰もが率先して——というか我先に声を掛けてくれたおかげで、致命的な問題が起きることはなかった。

 朝食を両親と摂りながら、今日以降の予定を確認した。


 「本日は、午後に代官はじめ役場の重鎮と、各村の代表の方々が挨拶にお見えになりますので、その方々との食事会が済みましたらお休みいただきます。明日以降はこちらから各村へと赴き、豊穣祭への出席となりますので、くれぐれも昨晩のような深酒をなさらないよう。奥様に置かれましては、く・れ・ぐ・れ・も、出席者の方々と力比べなどなさらぬようきつくお願いします」

 「おほほほ」


 笑顔で軽く右から左へ受け流すお母様。

 力比べって一体。

 お父様は目が覚めているのか覚めていないのか、胡乱な表情で頷いている。

 お父様はお酒が強くないのだから、あまり無理はしないでほしいものだ。


 「今週いっぱい、つまりは明日より5日間で豊穣祭への出席は終了。その後およそ一か月の間、当屋敷にて休暇となります。それで宜しかったですな、旦那様」

 「へ?」


 おいおいお父様、大丈夫かよ。


 「ええ、問題ありませんわ。本番にはお強い方ですから」


 流石お母様。


 「本当に、奥様がいらっしゃらなかったらどうなっていた事やら」

 「あら、ルドルフのお陰で楽させていただいておりますわ、おほほほほ」


 当事者そっちのけで妙な連帯感に頷きあうお母様とルドルフさん。

 それに気付かず、虚ろな目でもっちゃもっちゃとパンをかじるお父様。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 「そういえば、部屋の窓から森と……山が見えましたね」

 「ああ、ハーケルの森とその先にあるのはグルタフス連峰ですね。連峰の麓には銅鉱山もありますよ」


 本邸使用人のチェルシーが明るい声で答えてくれた。

 その隣に立つメアリは、チェルシーに先を越されたことが悔しそうだ。

 この本邸に滞在中、本邸と別邸の使用人同士の交流のため、数日の間組み合わせを変えつつ仕える事になっていた。

 今日の私のお供はいつものメアリと、本邸使用人の最年少チェルシーだ。


 「森には、なにかあるんですか?」

 「この時期だとまるまる肥えた鹿や猪がとても美味しいですね。旦那様も奥様も猟がとてもお上手と伺っております」

 「鹿と猪……」


 私は、思わずごくりとつばを飲み込んだ。

 私の中身であるところの岩清水小枝いわしみずこえだはジビエ料理が大好物だった。


 「あ、お嬢様もお好きですか?鹿肉や猪肉。癖が強いので好みがわかれる味ですがいいですよね、あれ」


 はい……と危うく言いそうになったところで留まった。

 今生では、多分食べた事がないはずだ。

 既に猪から豚への家畜化改良も済んでいるらしく、王都別邸での食卓に上るのは牛、豚、そして羊がほとんど、だったと思う。

 ちなみに、魔獣がいるのだから魔獣肉などという超ジビエもあるかと期待したが、ないらしい。

 魔獣は食以外にはいろいろな素材として有効活用されているようだが、残念ではある。


 「いえ……おそらく口にしたことはないと思うのですが、まるまるこえたと言われて美味しそうだと思ってしまいましたわ」

 「そ、そうでしたか!それでしたら機会がありましたら、是非一度召し上がってみてください」


 私が誤魔化すために少しだけ恥ずかし気な「ふり」をすると、チェルシーは自分の失言だったと勘違いしたらしく、慌ててフォローしてくれようとした。

 うん、いい子だ。

 このまま健やかに育ってほしいものだねえ。

 それに比べて隣でにやにやしてるメアリのなんと擦れてしまったことか。

 もっとも、メアリについては最初からこんなんだった気がしないでもない。


 「ええ、ついでに猟というのも一度見てみたいものですね」

 「猟銃は、ぱーんってすんごい音がするんですよお嬢様!!」


 私がメアリをフォローすると、今まで話に入れていなかったメアリが、ここぞとばかりに飛び込んできた。


 「初めてそれ聞いた時、あたしは腰抜かしちゃいましたね」

 「あら、メアリさんてば案外臆病なのですね」

 「臆病じゃないですぅ、びっくりしただけですぅ。あ、お嬢様、この時期だと果物や木の実も沢山取れますよ。それ使ってジャム作ってもらいましょうよ!」


 「あら、それもいいですわね。では、豊穣祭でのおつとめが終わってからのお休みに連れて行っていただけるよう、お父様にお願いしなくてはね」


 メアリとチェルシーは、私の背後でいまだ何か小声で言い合っているが、気にしないでおこう。

 どうせなら、仲良くなってもらいたいものだ。

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