第15章
第42話 僕の話⑮ 罪と罰と償いと
自分の中にある原因を探り当てた段階で、すでに満足してしまっていた。そして、死を冷静に受け止めようとしたのだ。
その瞬間だった。地面を背にし、上向きに落ちていた体は突如吹き付けてきた強風に弄ばれクルリと反転し、地上へと視線が移った。その目に飛び込んできた光景に、僕は怒鳴っていた。
その叫び声を上げながら、意図的に鎖していた記憶を抉じ開けていたのだ。それは困難な作業だったが、しなければならないことだった。どうしてなのか、残された課題をクリアしなければならなかった。
この状況にならなければならない始まりは、僕の創った竜平の物語の結末によく似ていた。
それもそのはずだ。僕の脳は、あの出来事を忘れてなどいなかったのだ。あのストーリーには、単純に、願望が塗り込められていただけなのだ。
僕の通っていた高校の体育祭では、応援用に巨大なパネルを創ることが慣習になっていた。
パネルの制作は、伝統と言うだけあって、体育祭には毎年必要な作業だった。彼女は1年生の時にその係りだった。僕は応援団でもなかったし、パネルの係りでもなかった。
ただ、僕がバスケ部で、陸上部のクラスメイトがいなかったという理由だけで、担任の先生が走り高跳びの選手に指名してしまっていた。彼女もクラスは違ったけど、その選手だった。どうして選ばれたのかは知らない。
この頃は、初めての恋人と別れた直後で、気持ちはとても不安定だった。寂しさと空しさと欲求不満とが混ざり合って、新しい恋を切望していた。束の間の寄り添いだったにも関わらず、すっかり恋の虜になっていたのだ。
彼女は、中学時代のアイドル、ユリちゃんに雰囲気がとてもよく似ていた。でも、2人が並んだとしても、きっと似ているとは思わないだろう。それでも、妙にイメージが重なった。
授業が終わって1時間ほど、先輩に混ざりながら走り高跳びの練習をしてから、彼女はパネルの制作に向かっていた。一方僕は、部活に向かうために体育館を目指していた。
その途中、小田切に呼び止められた。人手が全然足りないから少し手伝って、と。確かに、そこには小田切と彼女だけで、その他にはひとりもいなかった。基本的に、パネルの作製は地味な作業だから、皆して無責任になりやすかったのだ。
しぶしぶ僕は手伝った。すでに彼女に惹かれていたせいもあるのかもしれない。いや、きっとそうだろう。話せるチャンスを求めていたのだろう。そんなわずかな時間を共に過ごしただけで、本格的な恋になった。
2年生になって彼女と同じクラスになった時は、思わずガッツポーズをとったくらいだった。そうだ、2人が恋人の関係になったのも、竜平と同じで、文化祭がきっかけだった。
部活は一緒ではなかったけど、クラスの売店のグループ分けで同じ担当になったのだ。文化祭本番2日前の日曜日だったと思う。最後の準備で学校に集まった時だった。一瞬だけ2人きりになった時に、思い切って告白したのだ。
体中を真っ赤に火照らせながら一言「好きです」って。
彼女は少し恥じらいながら、快く頷いてくれた。今度の交際は順調だった。相変わらずひっそりとしたものだったけど、それで良かったのだ。
キスの味を忘れられなくて、唇を重ねたくて仕方がない時はあったけど、我慢することを覚えていた。大切にしたければ、もう少し我慢しなければならないと思っていたのだ。最初は……。
彼女はテニス部で、部活が終わってから一緒に帰る時間がささやかなデートだった。その最初に立ち寄ったのが、近くの喫茶店だった。そして、時間とお金に余裕がある時には必ず行くようになった。
彼女が頼むのは、決まってカフェオレだった。そのカフェオレに、たっぷり砂糖を入れていたのを見て、僕も同じ味を試したくなったのだ。
ひと月ふた月と、何の障害もなく時間を重ねていった。ほんのり心に余裕も出来てきた。
彼女とのファーストキスは、その年のクリスマスだった。彼女からのプレゼントは腕時計で、僕からのプレゼントは、小遣いを溜めて買った香水だった。香水なんて何が良いのか分からないから、とにかくその店で一番高い物を買っただけだった。そのビンからシュッと吹き出されたのは香りではなくて、幸せな時間だった。
その不思議な感覚に包まれながら、僕らは口付けをした。
我慢が出来ると思い込んでいたけれど、やっぱりダメだった。最初の誓いなんて、あっという間に消え去った。
その直後には、彼女の体を求めてしまったのだ。服の上から胸に手を当てながら問いかけた。そんな僕の「いい?」って問い掛けに、彼女は「いいよ」って耳元で囁くように答えてくれた。
なるだけやさしく抱き合った。12月の冷たい空気をものともせずに、1枚ずつ服は体から取られていった。最後の1枚が体から抜け落ち2人で裸になった時、今日は最後までいかなければならないと思っていた。
慣れない手つきでコンドームをつけ、ゆっくりと彼女の体内に入っていった。少し抵抗があったけど、ダメとは言われなかった。
両手を彼女の腰に当てながら、ズブズブとイキリ立ったアイツは根元まで入っていった。入り切った直後、彼女の体を思いきりギュッと抱きしめていた。あまりにも愛おしかったのだ。
そのまましばらく感動に浸った後で、ゆっくりと腰を動かし始めた。
終わりはすぐに訪れた。
予想以上に刺激は大きく、快楽も大きかった。堪能するなんて、不可能だった。
ドクドクと全身に刺激が走るように筋肉は波打ち、大量の精液は薄っぺらなゴムの中に勢いよく流し込まれた。
過ちは、それから4回目のセックスの時にやってきた。
バレンタインデーの直後の日曜日だった。
その日は、彼女の家族がいないということで、僕らはそこでセックスに励んでいた。
アイツが彼女の中に滞在している時間は、初めての時よりも長くなり、絡まる体位の種類はそれに伴い増えていた。グルグル回転するように主導権を入れ替え、性欲に任せて動いていた。
どれほどの時間そうしていたのか。存分に刺激を与え合った後で、いつものように彼女の中にアイツを入れたまま精液を発射させたのだった。この日は、今までよりも刺激が強かったので、多く出たような気がしていた。
しかし、そこで思いもよらぬ出来事が起こってしまったのだ。刺激が強かったのは、気のせいではなかった。
引き抜いたアイツには、ゴムの残骸しか残っていなかったのである。覆われているはずの先端は剥き出しで、ピンクのゴムは途中で引き裂け、意味をなさないゴミになていた。
ゴクリと喉が鳴った。
頭は真っ白になった。
彼女も、何が起こったのか把握し切れていなかった。2人して、彼女の陰部から漏れ出た白い液体を前にして、動くことが出来なかった。
僕らは、待つことしか出来なかった。彼女の体に、月に一度の変化が現れるのをジッと待つしかなかったのだ。残酷で、陰湿な時間だった。
その間も、僕らの関係に変化はなかったと思っている。ただ、毎日のように「どう」って尋ねる僕に、彼女がウンザリしていたのは間違いないだろう。分かってはいても、辞めることは出来なかった。
それでも、彼女は至って平然だった。平然さを装っていた。だから、彼女の少し安心した表情を見た時には、安堵の溜め息を漏らしたものだった。
が、その途端、彼女の態度は急変した。話しかけても表情は硬く、冷たい視線で無視することが多くなっていったのだ。
その理由は、全く分からなかった。どうして急に嫌われたのか、原因が分からなかったのだ。
僕の誕生日を待たずに、彼女は3年になる直前の春休みに転校してしまった。形だけは交際が続いていたので、泣きながら「どうして早く教えてくれなかったんだよ」と彼女のことを思いっきり責めたけど、その行為が筋違いのことだったとは、もっと後にならなければ知る由もないことだった。
高校を卒業して、ピザ屋でアルバイトして、そこを逃げるように辞めた直後だった。僕らは拒否することも出来ずに成人式を迎えた。そして成人を祝って、と言うより、それを口実にして同窓会が催された。この時、僕らのほとんどは大学の2年生だった。
そこで、彼女と再会したのだ。人でなしと言われるかもしれないけれども、この時、会ったことを激しく後悔するという結果になってしまった。
久しぶりの再会でハイテンションになってしまい、無鉄砲に呑み明かした。回りの雰囲気も明るかったし、僕は鬱憤が溜まっていた。呑んで、呑んで呑み続けて、気がついたらどこかのカラオケボックスで軽く気を失っていた。記憶がなくなる一歩手前ってところだった。
彼女もそれに近かったと思う。他に誰かいたような気もするけど、起きてはいなかった。
その部屋は、そういう脱落した人間を収容して介護するための部屋だったようだ。ただ、介護する人間がどこかに行っていて、たまたま覚醒しているのが僕と彼女だけの時間がポッカリと空いてしまっただけだった。
そこで、昔を懐かしむように少し話が出来た。少し、恨み話もしたかもしれない。問題は、酒で緩んだ脳のせいで、それまで保たれていた自制心が薄らいでしまっていたということだった。
僕のではない。彼女のだ。
3年前の心の傷が、弛んだ心に対応するように開いてしまったのだ。
彼女は話したことを覚えていないかもしれない。僕も覚えていなければ良かったのに……。不幸なことに、脳はしっかりとその事実をインプットしてしまっていたのだ。
あの時。僕の前から突然姿を消してしまった時。彼女の体の中には、本当は子どもがいたのだ。だから、彼女は僕に嫌われようと冷たい人間を演じていたのだ。
唖然とした。
彼女は、そのことを告げることをせず、独りで解決することを選択したのだ。転校などではなかった。彼女は親に打ち明け、堕胎することを決意していた。その決意と引き換えに、罰として高校を辞めさせられた。たぶん、学校に残っていても、つらい思いをするだけだろうという親心もあったのだろう。
僕のことは一切口に出さず、周囲の友だちにも真実を話すことなく、今までひっそりと生きてきたと言うのだ。親子の関係もギクシャクしたまま、3年もの歳月を生きてきたのだった。
僕はその間、ダラダラと生きていた。目的意識もなく大学に進み、映画に耽り、アルバイトでの人間関係で腐っていた。
そんな僕の人生も、彼女に比べればはるかに幸せだったように思えた。
僕は悩んだ。どうすればこの過ちを償えるのか。悩んで悩んで悩み続けたけど、その時の僕に出来ることなどなかったのだ。昔の関係に戻れるとも思えなかった。確かに、愛情のようなものは湧き上がっていたけど、その中にはきっと、同情も含まれていたのだと思う。この時、彼女の傍にいるべき存在ではなかったのだ。
だから、自分のけじめとして、ひとつの手紙を渡した。これは解決策なんかではない。単なる自分の気休めだ。それでも、しなければ気が済まなかった。
彼女に渡したのは、遺書だった。
《生きる資格がなくなりました》
どうとでも取れることを書いておいた。実際に使うかどうかは考えていなかったけど、それだけ書いてビニール袋に入れ、手紙を添えて渡したのだった。
《僕のことを殺さなければならなくなった時には使って下さい》と。
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