第14章

第40話 僕の話⑭ 封じ込めた記憶

 僕らは非常に、いや……異常に運が良かった。

 もちろん、最初に作ったアプリがヒットしたのは妻の企画が良かったのも一因ではある。あるけど、それだけでは納得出来ない部分を埋める言葉はこれしかなかったわけである。

 僕らは、運が良かった。

 情報ウェブサイトや雑誌で高評価を得ることが出来たのはもちろんだが、何より大きかったのは、サッカー日本代表のキャプテンも務めた選手がオフにヨーロッパから帰国した際、なぜだか動画配信アプリの宣伝用に作った帽子をかぶってマスコミの前に現れたのだ。そういった経緯もあり、有名インフルエンサーのブーストもかかりやすい土壌となっていたわけである。

 続いて発表した『ノアの箱庭』というゲームも、自社の動画配信アプリと相まって広く知れ渡ることになる。ただ、遊びの部分を追求することは当たり前だったけど、ガーデニングをテーマにすることで、教養的な要素が大きかったことで、違った興味を持たれたのも事実だ。

『ノアの箱庭』のベビーユーザーは、子どもを持った主婦だった。

 凝ったグラフィックよりも、味のあるキャラクターと、リアルな植物の成長や知識の獲得が初心者でも受け入れやすかったし、子どもにも推奨することが出来た。子どもと一緒になって遊ぶことも可能で、親子の会話が増えましたなんていう便りも来たほどだ。

 順調な出だしは、その後の進行方向を決定した。娯楽を追求するのは義務だが、そのゲームをやってくれた人に、何かの道標を提供すること。ゲームが害になるだけとは限らないということを、胸を張って言っていこうということになった。

 その目標が決まった背景は、高校時代に遡らなければならない。

 それは、高校時代の恩師の説教があったからだ。確か、2年生の時だった。あれは、誰かが宿題をしてこなかった時だ。その先生が転任してきて3回目の授業だったはずである。

 刑事コロンボみたいな雰囲気の先生はこう言った。

「いいか。親はな、お前達に教育しか残してやれないんだ。教育だけだ。お金も心も十分に残してやれるとは限らない。しかし、教育だけは違う。お前達がしっかりと受け取れば、必ず残ってくれるんだ。その機会を、しっかりと使い切らなければならんぞ」

 大きく真ん丸のお腹から響き渡る超重低音で、僕たち一人一人に語りかけるように諭してくれたのだ。その言葉に、その先生の心意気に、胸を打たれた。

 その先生の言葉を皆に話した時だ。その言葉を小田切も覚えていたみたいで、僕の意見に真っ先に賛成してくれた。つまり、教育は、親でなくても残すことが出来るのではないだろうかって、ゲームでも残せるのではないだろうかって、考えたのだ。

 何しろ、僕たちはゲームが示してくれた道標がきっかけでクロスGを生み出したのだから……。「ツクリテ」に、僕たちはなれたのだもの。教育を与えつつ、夢を育てることの出来るゲームを創り続ける。

 これが、クロスGの経営理念に加わった。


 そう決めてから分かったこともあった。映画を創りたいと思ったのも、それが元にあったということだ。何かを残したかったのだ。

 残せる物があるのか、確かめたかったのだ。

 会社が軌道に乗ってから、仕事から帰ると、地道にシナリオを考えるようになった。幸い、定時に帰れることが多かったので、時間だけはあった。帰るのに、時間もかからない。調べることも得意だった。

 最初はショートフィルムにしようと思っていた。初めてのことだったので、作品を創り上げる感覚が分からなかったからだ。しかし、パソコンと向かい合っているうちに、とてもショートストーリーでは収まらなくなっていた。

 

 幼い頃の単純なモノとは異なる、成長した……、成長しつつある感情。それを表現したかった。その中に、命に関する混沌とした想いを加えて出来上がった。

 ただ、皮肉なことは、オープニングで主人公の竜平が目撃するのが飛降り自殺の現場で、それをひとつの軸にしてストーリーが展開されるということだ。まさか、自分が落ちるはめになるなんて、考えてもいなかった。


 ……………………。


 映画?


 ストーリー?


 何だ? この胸の中に目一杯広がっている違和感は、不信感は、焦燥感は。けたたましく鳴り響く警鐘は一体何だ?

 思考は急激な不安と憤りを高速で生み出していた。ギュンギュンとそれは回転を始め、今まで思い出してきたことを再生していた。記憶の中に、犯人が存在する。直線で繋がれていると思い込んでいた記憶を一刀両断して、輪切りにして確かめてきたのは、ある一点を取り除くためのトリックだったのではなかろうか?


 夢よりも現実を選択した僕。

 時期尚早にもかかわらず浮かんでいた結婚の二文字。

 彼女をサポートしてやらなければと思い込んでいたのは、なぜだ?

 味方も証拠もなく、戦う術もなかった俺が貶められた後、塞ぎ込んでいたのはなぜだ? 何があったんだ? あるはずの記憶で欠落させている部分は何だ? どうしてその部分は甦ってこない?

 この胸に残る大きな未練は何だ?

 アイツが女性の体に初めて吸い込まれたのいつだ? いつ、女性の体内の温もりを知ったんだ? 高校生の時だと思い込んでいるのは幻想か?

 現在撮影に入っている映画のシナリオを考えたのは僕だ。間違いなく僕の生み出したストーリーだ。


 では……、どうしてあんな物語になった?


 バチッバチッと思考に火花が飛んだ。

 たどり着こうとする答えを否定するように、思考はショートしてしまう。

 怯むな。

 死を寸前にして、何をこれほど恐れているんだ。


 僕らが一番無邪気だった頃。帰れるならば、あの時に帰りたい。そう思った本当の理由は何だ? 芳文のこと以上にこの胸を締め付ける罪悪感は何だ?

 僕の部屋に自由に出入り出来て、気づかれずに睡眠薬を飲ませることの出来る人物。僕を殺さなければならない人物。見えているのに見えてない人物って、誰だ? 

 何を忘れている?

 この記憶の中に犯人がいるという確信は何だ? 大き過ぎて見つからなかった凶器。目の前にあり過ぎて見えなかった地球。

 意識的に閉ざした記憶って、何なんだ?

 なぜ、永川さんを解雇出来なかったんだ? そうだ。妻があの結論を出す前に、引き留めるように進言したのは、僕だったはずだ。過ちを償うチャンスを与えなければと思ったのは、どうしてなんだ!?

 誰かと自分を比べて自己嫌悪に陥っていた僕に、もっと自信を持てって囁いたのは誰だったんだ? やさしく励ましてくれたのは誰だったんだ? どうして思い出せないんだ!?

 時間の分かり難い時計を見つけることが好きになったきっかけは何だ? 誰がそんな時計を初めてプレゼントしてくれたんだ?

 成人式の時に待っていたのは、本当に芳文だったのか?


 脳細胞を壊そうとする火花は激しさを増していた。

 確信に近づくことに抗うように痛みを与えていた。

 ここを乗り越えなければならない。

 そうしなければ、死にきれない。きちんと、死へと堕ちることを許されない。


 妻と出会った頃、なぜにあれほど酷く塞ぎこんでいたんだろう? 何をそんなに憂えてたんだろうか? 小田切と2人で完成させたパネルにどうして女性を選んだんだろう?

 初めてデートした相手って、誰だったんだ? 忘れもしない2人して飲んだカフェオレの味なのに、誰と飲んだのかが思い浮かばない。


 ダンッ、ダンッ、ダンッと脳みそを直接震わすような衝撃が走った。


 記憶では、突然転校してしまって会わなくなったはずだ。……はずだ?

 違う。違うぞ!

 僕はその理由を知っている。知っているんだ。

 そうか。そうだったのか……。答えは、竜平と芹菜の物語にあったのだ。

 ただ、僕の場合はあんなに肯定的な結末を迎えなかっただけである。


 現実は、胸の奥に償いきれない想いを降り積もらせたのだった。どうしてこんなにも重要なことから目を逸らしてしまっていたのだろうか。

 キーワードは、大学2年だと、もっと早くに気づくべきだったのだ。

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