第11章

第31話 僕の話⑪ 自立のきっかけ

 高校時代最後の体育祭は、例年通り3年生チームの圧勝で幕を降ろした。次は激しい戦争への準備が本格的に始まった。難攻不落の城に攻め込むことは避けなければならないが、たいていは攻め落とすのは困難な所ばかりだ。センター試験500点以上。それは、最低条件として僕らの前に張り出された。

 その頃は、疑うことを知らなかった。決められたレールの上を歩くのはイヤだと心が叫んでも、耳を塞いで机に向かっていた。

 疑うことは、即刻負けに繋がることだった。

 そう思っていた。

 はずなのに。


 ある日、プツンと何かが切れてしまった。何の前触れもなく、唐突にそれはやってきた。

 その頃僕は、3階にあった教室の窓際に座っていた。その日は信じられないくらい天気が良くて、窓からは気持ちのいい風が時折流れ込んでいた。当時、学校の裏庭には見事な楓の木が1本だけあって、秋になると真っ赤な紅葉を見せてくれていた。

 ファァーと、ノートの上に羽のような小さな埃がひとつだけ舞い降りた時だった。スッと、やさしい風がその埃を払いのけてくれたのだ。

 その風の吹いてきた方向に何気なく目を向けた。視線の先には、真っ赤な楓が荘厳な面持ちで鎮座していた。その姿は拝みたくなるよう姿で、しばらくその光景に見入ってしまった。

 肘をついて掌に顎を乗せる。世界中の学校で、必ずといっていいほど見られる風景だったことだろう。どうして、見なければならない方向とは逆の方が、あんなにも魅力的なのだろうか。

 どこでも一定に流れ続けるはずの時間でさえ、その流れ方を変えてしまっているように感じたものだ。せかせか流れるこっち側、ゆったりと留まっている向こう側。何となく、今の状況に似ていたかな。

 そんなことを考えている直後だった。風を全身に受けて、凧のように上空に浮いていた僕を繋ぎ止めていた糸がプツンと切れたのだ。

 と、思っている。

 その時から目標が掠れたのは間違いないのだから。ただ、少し勘違いしないでもらいたい。それで大きく生き方が変わったわけではないのだ。学校には飽きもせずに毎日通ったし、家族とも普通の高校生らしく口をきいた。世界から隔絶されたいなんて、思い浮かべたことなんてないのだ。

 閉じこもったまま独りで生きられるほど、強い人間なんかではなかったから。

 ただし、大学受験に対するモチベーションは格段に下がったのは否めない。成績も全く伸びなくなった。

 幸い、それまで地道に蓄えた貯金があったので、辛うじて生き延びたというのが事実だ。そう、戦死だけは免れた。何をもって死と呼ぶかは別にして、大学に受かったのは事実だった。しかも、一応希望していた大学だった。

 あの時、何がプツンと切れてしまったのか、今では何となく理解しているつもりだ。確かに、あの日から変わったことがあった。

「ムカツク」って言葉を使うことが少なくなった。

 それから、「ダルイ」って言葉も。

 これはもう、全く原因不明だ。けど、つまりは競う心が熔けてしまったのだと思うのだ。その結果が、ムカツクとダルイの排除に繋がったのだと思っている。人が使うから自分も使う。そんなクダラナイ理由から開放された。

 自分が成長したなんてことがハッキリと感じられるなんて滅多にないから、ムズムズとした痒みを覚えてしまっただけなのだろう。


 大学に進むと、兄と暮らすようになった。それを条件に、親が県外への進学を認めてくれたというのが正直な話であるわけなのだが……。兄が結婚していたら、もしかしたら、ずっと地元で親の庇護の元、束縛された自由の中で暮らしていたのかもしれない。

 僕ら兄弟は、互いの目的地まで15分という便利な場所に住むようになった。部屋は3DKと広く、結構きれいだった。しかも、家賃はその広さに比べ、めっぽう安かったのではなかろうか。

 生活に必要な物は、何もかもを自分たちでそろえた。むろん、資金に限りがあるから贅沢など出来なかったのだが、必要な物は全てあった。


 好きなこと。

 桜を眺めること。この頃も桜が満開だった。しかも、駐車場に見事な桜の木があった。高校を卒業したばかりで寂しさもあったけど、ハラハラと舞う桜吹雪に新たな生活を感じたものだ。初めての地で見る桜の花びら。きれいだった。

 似た感覚は、花火だ。

 どんな花火でも、消えるからこその美学が大好きだ。儚さはたいてい美しさに結びつく。

 思えば、僕の人生も随分儚いものだ。僕の人生は、美しいのだろうか。

 あまりそうは思えないな。


 無闇に競い合う心が鎮まっていたお陰だろう。4年間、兄とは何の問題もなく暮らすことが出来た。相手のことには干渉しなかったのが、一番大きな理由だったというのは言うまでもない。ある意味、無関心と言えなくもない。

 年の差も年の差だったから、ケンカ自体が成立しなかったし、兄は僕と違って外交的だったから、家に帰り着くのは決まって遅かった。顔を合わせること自体が少なかったのだ。

 兄はこの土地にやって来てすでに6年も生活していたから、余裕みたいなものもあったのだと思う。仕事もプライベートも順調だったようだ。

 一方、僕はといいますと……。ダメだった。

 最初は見知らぬ土地で受け入れられようと張り切り過ぎて空回り。次第に打解けずに孤独になった。朝食は兄が仕事に行ってからノソリと起き出して独りで食べたし、昼食も学食には近づけず独りでパンをかじっていた。当然、学校終わりに部屋に招待する友達なんていなかったから独りだった。

 けど、それが苦痛じゃなかったことの方が、人間としては重大だったのではなかろうか。

 不思議と、孤独だと思っていても、寂しさは全くといっていいほど膨らまなかったのだ。むしろ、浸っていた。心地良い時間だったのだ。

 誰にも気兼ねなく自由にテレビを見られたし、勉強しなさいと叱りつける厄介な人間もいなかった。無論、ゲームもダラダラと一日中できた。食べたい物を食べられたし、食べたい時間に食事が出来た。食べたくなければ食べないという選択も自由だった。気が向かなければ学校だって休んでいたのだ。そんな日々で最高だったのは、映画を誰にも干渉されずにゆっくりと観られたことだった。例え、レンタルだろうが、映画に浸かれるのは楽しいことだった。

 今まで映画とは全くといってほど縁のない生活だっただけに、その面白さにめりこんでしまったというわけだ。

 大学生になってから映画の面白さを知ったのは、おそらく比較的普通のきっかけだったのだと思っている。その日は学校をサボって、意味もなく繁華街をブラブラしていた。前日のクラスの親睦会で空回りしていた僕は、自分の居場所を見つけることが出来なかったのだ。家から出たまではいいけど、学校に向かう気にはなれなかった。

 目的なんか何もなかった。単純に、人込みに紛れて、集団の一部になってしまいたかっただけだった。

 そうやって1時間もグルグルとアーケードを彷徨ってると、さすがに疲れてしまったのだ。ダラダラと歩くのは、疲労感が溜まりやすい。かといって、ファストフード店で時間を潰せる技術も持ち合わせていなかった。

 そこで目に留まったのが、映画館だった。

 それまで映画館に行ったことなんてなかった。住んでいた田舎では、映画館までの道程が果てしなく遠かった。本当に遠くて、バスで2時間ほど揺られないとたどり着けやしない。交通費だけでもバカにならない。両親も映画には興味がなかったようだから、映画館に行くことはおろか、家で鑑賞することもなかったのだ。

 もの凄く緊張したのを覚えている。

 チケットを買うのすら声が震え、一般料金を支払った。学生割引なんて、知っているはずもなかった。

 初めて、大きくて真っ白なスクリーンの前に座った時のことを表す言葉はきっと、感動、だと思う。自力で汗水垂らして1500メートル上の山頂までたどり着いたことなんかよりも、僕にとっては、よっぽど感動に値した。

 初めてだったからだ。

 今までの人生で、誰にも指導されずに自力で何かを達成したのは、きっとこのことが初めてだったからだ。そのことに気づいたのはもっと後のことだったけれども、独りでやっていけるという、自信めいたものが芽生えたのは事実だ。

 それは、まったくもって勘違いだったのだけど……。僕にとってそれは、重要なことだったのだ。とにかく、それからだ。映画鑑賞が趣味に加わった。

 いや、初めて趣味と呼べるものを持った。

 毎週のようにレンタルショップに通った。さすがにそれだけの本数を映画館で見るには、金銭的に無理があったからだ。

 旧作の格安レンタルも、むしろ好都合だった。

 観たことのない作品ばかりだったのだから。

 本数を重ねていくうちに、不思議なことに、選別の基準は俳優になっていった。誰が出演しているかだけをチェックするようになったのだ。

 アクトレスではなく、アクターの方。

 多分、色気のある男性に惹かれていたのだと思う。どうやったら、この雰囲気を自分のものにできるのか。カッコイイ男になるためにはどうすればいいのか。ストーリーと共に、それは重要なことだったのだ。

 結婚してからはそんなことはなくなった。心にグッと突き刺さるかどうかだけが評価基準だ。しかし、やはりお気に入りの役者が出演していると観たくなってしまうのは、軽い病気かな。それでガッカリきても、あまり気にならない。

 朝も昼も夜も関係なく映画漬けになったのは、大学入りたてのこの頃だけだ。何曜日なのかも分からないまま生活するようでは、さすがに、マズイと思ったのだ。

 でも、この不健康な時間がなかったとしたら、僕のシナリオが今回の映画に採用されることはおそらくなかったのだろうから、何が己を助けてくれるか分からないものだ。

 ああ、小田切、木村君。どうか最高の映画に仕上げてくれよ。2人の才能を、最大限に活用してくれよ。激しくぶつかって、極限まで作品を鍛え上げてくれ。

 必ず、必ずスクリーンに映るそれを観に行くから。眼球だけになろうとも、どんな姿になろうとも、この目でスクリーンの前にたどり着くから……。そうでなければ、何のために生まれてきたのか。せめて自分の生み出したものくらいは観させてくれ。


 この身に残った未練なんて、いくらでもあるんだなぁ。

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