第30話 俺の話⑩ オレンジ色の世界で待っていたもの
眠れなかった。
あれほど待ち望んでいた時が来たっていうのに、気持ちはちっとも晴れやかではなかったんだ。
カーテンは開けられたままだったけど、今はアイツが現れることもなかった。新月に近い頼りない三日月が弱弱しい光を届けてくれるだけだった。
その四角い光の枠の中で、『サガシモノ』を久しぶりに鑑賞していた。
陰鬱な曇り空からわずかに顔を覗かせた太陽、それをつかもうとする弱弱しい手。そんなわずかな光さえも、信じることが出来なかった。
ジリジリジリ。何だか後頭部が痛いぞ。って思ってから跳ね起きた。
外は快晴、日光は頭に降り注ぐほど昇っていた。新学期早々遅刻かと思ったけど、ギリギリ間に合いそうだった。うっかりアラームをセットするのを忘れていたようだ。鳴らなかったケータイを鞄に放り込み、バタバタと仕度を済ませると、ダッシュで駅に向かっていた。
こんな時に限って、両親は親戚の葬式で出かけているなんて、まるで映画みたいではないか。
教室に着くのと同時に全校集会のアナウンスが流れた。すでに皆は体育館に移動した後だったから、やっぱり猛ダッシュでその場へ向かった。後ろの入り口からそっと体育館に潜り込み、クラスの列の後ろに紛れ込んだ。何人かの先生に睨まれたけど、ペコッと頭を下げてその場は繕うことに成功した。
真っ先に目が探したのは芹菜だったけど、あのベリーショートの頭は見つからない。一気に不安な感情が込み上げた。あのまま芹菜は本当に消えてしまったのではなかろうかと。
そこで、視線は一点に釘付けになった。ゆっくりと首は斜めになってった。引き締まっていた口元も、アホみたいにポカンと開いていたかな。
列の後ろの方だった。俺の所からほんの5人前。
一瞬見えた横顔のシルエット。
芹菜だった。
彼女の髪は、ロングとまではいかなかったけど長くなってた。耳がきれいに隠れるほどね。
これは、何を意味するのだろうか。それとも、やはり何の意味もないのかな。
昨日の映像が甦った。
始業式が終わってから、急ぎ足で美術室に向かっていた。何となく、芹菜と顔を合わせるのが怖かったんだ。新しい季節に合わせて好転すると思っていた考えが、どこかで崩れてしまっているような気がしていたんだ。体育館から引き上げる人の気配が消えるまで、そこでうずくまっていた。この場所で途切れた思い出を、リプレイしていた。
一度思い出してはリスタートして、また見直していた。
完全に人気がなくなると、急いで教室へ戻っていた。担任を廊下の向こうに確認しながら教室に滑り込んだ。何人かが声をかけてくれた。久しぶり。おせーよ。何やってたんだよ。元気だった? なんてね。チラリと芹菜と目が合ったと同時に担任が登場してくれた。
ホームルームが終わってから始まった掃除の時間、一目散に担当の場所に移動していた。芹菜は教室の担当で、俺は進路指導室の担当だった。どうしてこれほど接触を避けるのか、自分でも分からなかった。
そして、この日の全ての行事が終わったところで、重大な決断の時がやって来た。部活に行くか、行かないか。その場に芹菜が来るとは限らない。でも、迷っていた。
あの時と一緒だ。中間テストの最終日、芹菜と2人きりになってしまった教室で思ったこと。このまま時が止まりますように、早く誰か来て下さい。ケンカする訳でもなく、同じ場所で互いの顔色を伺う感情。
ゆっくりと話しをしたいような、したくないような……。
で、気がついたら独りで教室にいた。そのまま残っていた訳じゃない。一度誰もいない美術室に行ってから図書室に移動して、それから再び教室に戻っていた。
意識してそうした訳ではなく、落ち着かない感情がそうさせていた。
窓際の誰かの席で、足を伸ばして空を見つめていた。頭を抱えた格好で、芹菜のことばかり考えていた。そして、オレンジ色になる世界を眺めながら、家路についたのだ。
駅の側にある本屋で立ち読みしている間に、オレンジの反対側は青から黒になっていた。
ズッ、ズッと踵を地面に擦り当てながら歩いていた。考えるだけ考えて、考えることもなくなっていた。だって、何を考えても答なんて出てこないんだもん。
「遅いっ!」
その声に立ち止まり、足元にあった視線をゆっくりと上げていった。彼女は、初めて来た時に花を供えた場所に座っていた。
俺はどんな顔をしてたんだろう。
この時の心境? 複雑さ。
「ごめん」
ぼそりと呟いた後の言葉が続かない。
「何か言うことないの?」
上半身を振り子にするように、伸ばした両足でトントンと地面を叩いていた。
「あの、何でここに……?」
おずおずと尋ねる俺。
「竜平君に会うため」
ぶっきらぼうに答える芹菜。
「あっ! 髪……、似合ってるよ」
相変わらず他人行儀な台詞。
「ありがとう」
俯いた表情で、変化は読み取れなかった。
やはり、ここは不思議な空間なんだろうね。こんなぎこちないやり取りでも、鼓動はやさしく全身に血液を送り出すことを思い出していた。この場所だから、ジョゼフさんの顔も浮かんでいた。
「あの、ごめんよ。芹菜の気持ちも考えないで余計なことばかり言っちゃって。反省してる」
急激に強張った筋肉から力が抜け、素直に謝っていた。
「私もごめんね。竜平君に酷いこと言っちゃって」
この時、初めて芹菜の顔を真正面から見た。笑っていた。
「そんなことないよ。俺が悪かったんだ。芹菜の意見は正しいよ」
芹菜のやさしい笑顔に釣られて俺も笑っていた。照れ臭さと、安堵感と、不安と緊張が入り混じって変な笑顔だったと思うけどね。
「あれ?」
そうやって笑い合っている途中で、やっと彼女の変化に気づいたんだ。相変わらず鈍感です。スミマセン。
「今……、私って」
今度は、芹菜が照れ臭そうな笑顔になっていた。
この場所は、死を知っている。この場所は、幸運を知っている。この場所は、愛を知っている。この場所は、これからどれだけの出来事を見てくのだろうか。
両親がいないのをいいことに、芹菜を家に上げていた。
もっと、話がしたかったんだ。
話しをすることって、こんなにも大事なことなんだね。改めて思ったよ。
何で芹菜があれから学校に来なかったのか。簡単なことだった。雨に打たれて帰ったから、風邪を引いた。それだけだった。夏休みになってからは、両親の実家に行ったり従兄弟が遊びに来たりで部活には出れなかったらしい。それよりも雨、こいつが話しをややこしくしてたんだ。
ケータイが繋がらなかったのも、雨のせいだった。
濡れて壊れた。以上。
肩を落としそうなほどクダラナイ理由でしょ?
ケータイが壊れているから繋がらないし、メッセージのチェックも出来ない。買い換えるにも時期が悪かったらしい。
「そうだ! 明日が誕生日だよね」
その話しを聞いて思い出していた。ガサゴソと昨日買っていた物を取り出した。
「ちょっと早いけど、おめでとう」
小さな包みを手渡した。芹菜はうれしそうに受け取ると「開けて良い?」って、訊いてきた。もちろん、イイヨって返事をする。
外は不安定な時間だった。日も出ているけど、夜と言ってもいいような時間。活動と終止符が混在していて、そわそわと落ち着かない。今の俺みたいに。
ライトグリーンのチェック柄の包装紙を丁寧に取ると、中から濃紺の箱が現れる。表にはスワンのマークが白で入れられている。箱の中には……。
「綺麗だねえ」
芹菜の表情が一気に輝いた。
「小さくてごめんね」
俺の小遣いじゃ、この大きさの物がやっとだったんだ。
「そんなことないよ。すごく綺麗。んふ、カワイイ」
想像してね。誰かにプレゼントを贈る時の箱を。立方体のボックスに幅は大き目のリボンをつけるんだ。上から見たら十字の形になるようにリボンは掛けて。想像出来たかな。それを、2センチ四方のクリスタルキューブに金メッキのリボンがついている物にすれば、今彼女が見ている物になる。
と、良い雰囲気になっているところに邪魔が入った。芹菜へのプレゼントを取り出すのと同時に鞄から出したケータイが、机の上でチカチカと点滅を始めた。
「あれ……? マナーになってるや」
昨日、映画を観る前にバイブすら切っていたことを忘れていたらしい。今朝もバタバタしていて確認すらしてなかった。
電話は母親からだった。ご飯は冷蔵庫に準備してあるとか、明後日には帰るとかだった。問題は、その電話を切ってからだった。ディスプレイに新着のメッセージが届いているマークが出ていたし、着信ありのマークもあった。
その両方を確認すると、急いで芹菜の顔を見つめていた。
「ごめん。俺、全然気づかなかった」
両方とも、芹菜からのものだった。しかも、日付は昨日の深夜前だった。
《やっとで新しいケータイ買えました。心機一転で色々変えちゃったからお知らせします。一番に返信欲しいから、一番に送るね。じゃあ、明日学校でね。バイバイ。芹菜より》途中で適当に可愛く装飾を入れといて。
「だと思ったよ。ねぇ。早く返信ちょうだい。じゃないと私、他の子には教えてないんだから」
クスクス笑いながらケータイを取り出していた。俺は登録し直してから《好きだよ》って送っていた。
この日の話は、これで終わらなかった。
何がどうなってこうなったのか、いまいち思い出せない。舞い上がり過ぎて、記憶が飛んでしまっているようだ。
帰ろうとした芹菜を抱きしめた。うん。そんな気がする。そして、キスをした。懐かしかった。柔らかかった。どれくらい舌と舌が絡まっていたのかは定かではない。
で、気がついたらベッドの上にいた。抱き合ったまま、唇が重なったまま、無言のまま。
隔絶された時間から解放された感情が高鳴り過ぎて、互いにハイになっていたのだと思う。互いを求め過ぎて、自制心なんか吹き飛んでしまっていた。
背中に回していた手は服の上から芹菜の胸に当てられ、柔らかい感触を知らせてくれた。それだけでは止まらなくて、俺の手は服の下に潜り込み、直接彼女の乳房を弄っていた。
その間も唇が離れることはなく、時折空気を求めた瞬間に離れると、ハァアッと芹菜は湿った声を吐き出した。制服のボタンを外すのももどかしくなって、乱暴にお互い脱ぎ捨てた。恐る恐るスカートの中に右手が入っていった。左手は彼女の胸の感触を残していたし、唇も定位置のままだった。
その後のことは、真実なのか確かじゃない。
薄いシーツに包まれただけで、身に付けているものが何もないまま抱き合い、不器用な手つきでアレが彼女の中に入っていった。入っていく瞬間は痛そうだったけど、そこで自制できるほど精神は発達してなかった。温かかった。想像以上の不思議な刺激に、思考は麻痺していた。
安物のベッドは動きに合わせてギシギシと軋む音を響かせていたように思う。
俺はがむしゃらに腰を振り、芹菜は必死に声を振り絞っていた。
「芹菜ぁ」って叫びながら、僕は果てていた。
それから、どれくらいそのままだっただろう。ハァッ、ハァッと俺たちは息切れしながらしばらくそのまま横たわっていた。本当にひとつになったことに、ただただ笑い合っていた。ただただ、幸せだったんだ。
これを知るまでは死ねないって思っていたけど、これを知ったら、なおさら死にたくなくなった。その時は、単純にそんなことを思っていた。
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