第18話 俺の話⑥ 伝えるために
体育館は騒音に包まれていた。午前中最後のプログラムは田原先輩のバンドの演奏だ。オリジナルじゃあウケが悪いからって、渋々流行りのバンドのコピーをすることにしたそうだ。
それで正解だと思う。全く知らない曲を演奏されても、いまいち盛り上がれない。
俺たちの展示作品『be dying to live』はまずまずの観覧者数だった。去年に比べたら大好評と言ってもいいのかな。皆は自分達のクラスのこともあるし、部活は美術部だけじゃないし、他校の生徒が来ることもないから、やってくるのは結局、保護者だけなんだけどね。
あ、そろそろ演奏が終わりそうだ。
昨日の午後から始まった文化祭の、ちょうど折り返し地点だ。昨日はオープニングを3年のクラスが舞台で30分かけて発表しただけで、1年や文化部の展示、2年や運動部の売店の営業が始まった。ちなみに、俺たちの作品は、オープニングをやっている最中に何とか完成したから、その発表を見ることはできなかった。
これからの流れもちょっと話しとこうかな。
田原先輩のバンドが終わったから、昼休み。この日唯一のフリータイムだ。展示を見るのも、クラスの商売にのめり込むのも、どこかのクラスで飲み食いするのも自由だ。これから発表を控えている人たちは、最後の悪あがきの時間でもある。
で、2時間後に午後の発表が2時間くらいあって、この日は終了。
明日は午前中にフリータイムがあって、午後からはエンディングを3年生の有志が30分かけて発表して全てのプログラム終了になる。で、それが順調に終わったら、面倒な後片付けが待っているって寸法。
説明している間に美術室に到着っと。
あれ? 先客ありだ。電気が点いているぞ? この時間、俺以外はクラスの商売に参加するはずだが? 誰かの保護者かな。ポンポンポンと思考が脳を駆け巡った。緊張感のカケラもなかった。
気軽に自分の部屋に入っていった。
自分の部屋……、もうそう呼んでもいいだろう。
先輩達が最後に演奏していた曲をハミングしながらにこやかに。お客様には失礼のないようにしなければならない。もしかしたら、誰かの親かもしれない。それが芹菜のだったら気分を害す訳にはいかない。そう思うと、なおさら気をつけなければならなかった。
「こんにち……は?」
最後の最後で疑問形になってしまったのは仕方ない。テストの日に芹菜が先に教室にいた時よりも虚をつかれたんだもの。アイツの背中と同じ位の衝撃だった。
「何で?」
訊きたくなるってもんだ。
「おお、少年。ファンタスティック」
ジョゼフさんは前置きもなく抱きついてきた。何が何だか分かんねーよ。もう一回訊いとこう。あ、そうか。日本語で訊いても分からんのか。
「何でジョゼフさんがここにいるんですか?」
初めて会う訳じゃなかったけど、興奮していた。
「ああ、君に会いに来たんだよ」
ハッハッハと笑いながら、ジョゼフさんはポンポンと俺の両肩を叩いた。
頭の上にはクエスチョンマークが輪を作って手を繋いで踊っていた。そりゃもう派手に賑やかに。
「ジョゼフが言ってたのは、この子かい?」
またまたクエスチョンマークを増やす人が登場した。どうみても日本人でありながら、俺とは比べ物にならないほど流暢な英語だ。
「イエス」
ジョゼフさんは俺の肩に片手を置きながらその男性の方に返事をした。
「ああ、失礼。僕はジョゼフの通訳の木野枝。本職は映画の翻訳ね。はじめまして」
木野枝さんはジョゼフさんと同年代なんだろうけど、比較対象が余りにも若く見えるから随分年上に見えた。目尻の皺が、いい人だと知らせてくれる。
「あの、さっき、俺に会いに来たって言っていたような」
恐る恐る確認してみる。
「そうだよ。自分がしようと思っていたことをやっていた少年がいたのが、気になって仕方なかったみたい」
何も言えなかった。あの気紛れな行為をすることも目的のひとつだったなんて。
「どうやって?」
まとまらない頭のまま尋ねていた。
「どうやって君を見つけたか? ……かな?」
木野枝さんは嬉しそうに補足してくれた。ジョゼフさんはサングラスとニット帽を身につけると、俺たちを放っといて『be dying to live』をじっくりと鑑賞していた。俺は、黙って頷いた。
「それはなかなか大変だったよ。君の名前を聞いていなかったからね。ただ、制服が手掛かりだった。後は、あのマンションに住んでいる高校生を調べたって訳さ。岡村竜平君。ところで、お父さんは元気かい? 以前一緒に仕事したことがあるんだ。まあ、挨拶程度しか接点はないんだけどね。しかし、まさか君が岡村さんの息子さんだなんて、思ってなかったよ」
人の良さそうな笑顔で説明してくれた。そういや、父親は映画の仕事もやっていたっけ。
「ああ、はい、相変わらずです。それで俺が美術部員だって聞いてたんですか?」
電話でもしたんだろうか? うちの親はそういうところはしっかりしているから、ちょっとやそっとじゃプライベートなことは話さないはずだが。この学校を特定したのは納得出来たけど、そこがちょっとだけ疑問だった。
「ああ、『匂い』だよ」
クンクンと鼻で音を出しながら木野枝さんが答えてくれた。
「匂い? あ、絵の具」
なるほどね。あの日は4時間近くこの部屋にいたから、油絵の具の匂いが服に染み付いていたのか。でも、普通、気づくか?
それから俺たちは色んなことを話した。
アイツのことや、映画のこと、俺のこと。目の前の作品についても話したな。ジョゼフさんに許可をもらって皆も呼び出した。だって、こんなチャンスを教えなかったって知ったら、後でどれだけ怨まれるか分かったもんじゃない。
手伝ってくれたカズキも感謝の意味を込めて招待していた。
保護者の方も数人は観覧に来たけど、誰もその場にハリウッドスターがいるとは気づかなかった。英語の教師とでも思ったのだろう。もったいない。
ああ、そうそう。今度はサインもしっかり頂きました。家宝です。ミオコのカメラで記念撮影までしちゃたもんね。えっへっへ。
もうすぐ午後の部が始まりますというアナウンスが流れてきた。俺たちはそんなのどうでもよかったけど、無視する訳にもいかなかった。
ジョゼフさんも長居する気はなかったみたいだから、そこで帰ることになった。
代表して彼を見送りに校門まで一緒についていった。これは、その時の、ジョゼフさんとの最後のエピソードだ。
「リュウヘー。君はもっと素直になるべきだ。君は、胸の中に多くの物をしまい込み過ぎている。窮屈そうな感情では、人の心は動かない。説得力に欠ける」
木野枝さんが車を移動させてくる間、2人きりになった途端にジョゼフさんが話しかけてきた。サングラスを取って、人に見つかるのも気にする様子もなく、俺だけのために話しかけてくれたんだ。
でも、口をパクパクさせるだけで返事出来なかった。
「あの作品は実にすばらしい。それは私が保証するよ。しかし、足りない物がある。飛び出したいって叫んでいるのに、君は気づいていないんだ」
俺は彼の瞳に釘付けになっていた。言葉以上に多くを語る瞳。だから、言葉の壁なんて微塵も感じなかった。映像は、ダイレクトに脳の中に文章を作り出していた。
「私がリュウヘーに出会った時のように、もっと素直に行動しなさい。もっと素直に感情を表に出しなさい。内に秘めた闘志。それだけでは、人は堕ちてしまうんだ。秘めたままではいけないよ。いつかはそれを吐き出さなければならない。いいね?」
少し悲しそうにジョゼフさんはニッコリ笑って握手した。うんうんと頷きながら俺は握手した。ありがとう。いつかまた、会いましょう。
「Good luck」
2人はそう言って去っていった。
文化祭は……、いつの間にか終わっていた。俺たちが余韻に浸っているうちにエンディング。
ボーっとしながら時折ヘラヘラ、いたって変な奴らだった。
特に俺は重症だった。そりゃ、不思議でも何でもないでしょ。あのジョゼフ・ヤマガタに偶然出会っただけでもスゴイのに、わざわざ会いに来てくれたんだもの。気持ちがフワフワと浮つくのは仕方ない。
そんな俺たちだったから、後片付けも時間がかかってしまった。ちょっと気が弛むと、すぐにジョゼフさんの話になってしまっていたのだ。コウイチとミオコは映画好きだったからなおさらだったかな。俺とは違った興奮状態だった。だもんで奴ら、いつの間にか消えていた。アンニャロメ。
後で聞いたら、我慢出来なくなって、2人でジョゼフさんが主演した映画を借りに行ってしまっていたらしい。まったくもう。
3人しかいなくなったせいで、片付けは余計に時間がかかってしまった。しかも、アキトはバスの時間があったから先に帰っちゃうし、って、あれ……。
芹菜と2人きりですよ?
田原先輩? 来ている訳ないじゃん。
フワフワしていたものは、急に地に足をつけた。でもちょっと踵が浮いていたかな。単なる背伸びかな。
ほんのり緊張しながら、何食わぬ顔で片付けを続けた。で、やっぱりこのまま何の変化も期待出来ないだろうと思いながら、作業は終わりかけていた時だった。
「竜平君。ありがとうね」
一息ついた芹菜が急に話しかけてきたんだ。
「いやぁ、スゴイ体験だけど、単なる偶然だからなぁ」
話しかけられた緊張で、少し上擦った声になっちゃった。でも、ジョゼフさんに出会ったのは、本当にただの偶然だ。
「違う違う。僕が言ったのは、このオブジェのこと」
芹菜は笑いながら、教卓の上に置かれた『be dying to live』の雛型を指差した。
「やっぱりすごいよね。こんなデザイン、僕では考えつかないもの」
ここで思考は焦げ付いた。だいたい、文化祭ってだけでいつもと違う感覚なのに、ジョゼフさんに出会った興奮と、文化祭が終わった寂しさが混濁して訳が分からなくなっていた。そこに追い討ちをかけられたら、スーパーコンピューターでもフリーズを起こすってものだ。
「そ、そんなことないよ。芹菜ならもっとすごいデザインに仕上げられたさ。第一、それだって、芹菜がいなかったら思いついてない訳だし……」
俺は……、何を言ってるんだ?
言っちまった後で血の気が引いた。とんでもないことを言ったんじゃないかって。
「え?」
当然、芹菜は戸惑いを見せた。
「僕、何かしたの?」
ゆっくりと近づいてくる。それは、マズイですぞ。思考は益々こんがらがってきた。
「ああ、いや、あの。芹菜を見てると何て言うか、心臓をつかまれてる感じがして、血液が体中を駆け巡るっていうか、何て言うか……。俺って、人が落ちてる光景を見てたし、その落下現場も見てたし……。何言ってんだ? 俺」
焦った。本当に、何言ってんだ? って、思った瞬間だった。急にジョゼフさんの顔が思い浮かんでいた。最後に俺に言った言葉も一緒に。
「俺、芹菜のことが好きだから」
思わず……言っちゃったよ。
芹菜はその言葉を聞くと、時間が止まったようにピタリと動きを止めてしまった。「へ?」って顔をしている。そりゃ、そうだ。何てことを言っちまったんだ。
この沈黙は、その罪に対する拷問か。
どこからか笛の音が聞こえてきた。サッカー部辺りかな。そういや、体育館の方からバスケットボールが弾んでいる音も聞こえてくる。
口の中が気持ち悪い。水分があっという間に蒸発していた。ネバネバとしている。
芹菜は、まだ動かない。あ、瞬きならいつもよりも多いかな。
そうやって俺たちは見つめ合っていた。裁く者と裁かれる者の心境だろうか。
「いつから?」
唐突に芹菜は訊いてきた。
「去年の体育祭の時。先生の手伝いで看板を創っただろ。その時」
ビックリするほど反射的に答えていた。準備をしてなかった割にはスラスラと答えていた。そうしなければ、罪が重くなりそうだったから。
「だったら、僕の勝ちだね」
今度は、俺が「へ?」って顔をする番だった。
「僕はあの『サガシモノ』を中学生の時に観に行ってからだもの。知らなかったでしょ。あのコンクールで、僕も賞をもらってたんだよ。竜平君の足元にも及ばない賞だけど、授賞式では一緒だったんだよ? だから、高校に入って竜平君がいた時には嬉しかったんだ」
相変わらず、「へ?」って顔をしたままで、何も言葉が出てこなかった。
「テストの最後の日だって、ビックリしちゃった。足音が聞こえたから竜平君だったらいいのになぁって思ってたら、本当に竜平君だったんだもの。すごく気持ち悪そうな顔してたし、何も話しかけてきてくれないから、僕って嫌われてるのかと思ってたんだ」
サァッとアイツの背中が目の前を流れていった。アンタは、この時間をくれるために逝っちまったのかい?
「あの、うまく言えないけど……。これしか言えないけど……。好きだよ」
途中で足を止めてしまった芹菜の代わりに近づいた。
「僕も、好きだよ」
今度は、居心地の悪い沈黙が空間を支配する余裕はなかった。彼女の言葉の後には、気持ちのいい笑い声が2人の口から溢れていたから。それから、俺たちは掌を結び付けていた。抱きしめることも出来なかったし、キスなんて……。だから、今は握手で十分。それだけで、幸せだもの。
極上の喜びって、こんな時なんだね。
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