第15話 俺の話⑤ 出会い
作業開始から1週間目、文化祭まで残り3日というところで俺の中に降ってきたイメージは、1時間ほどで形になった。後は、この粘土細工を元に大きなオブジェを完成させるだけだ。
前後左右、あらゆる角度からチェックしている時だった。
いきなり俺の後ろから芹菜が声をかけてきたんだ。
「出来たんだぁ」
「うをぉう!」
驚いて振り返ると、皆が覗き込んでいた。
1時間と思っていたのは勘違いで、2時間半も没頭していたから、外が真っ暗になっていることに気づいてなかった。皆、すでに帰る仕度が済んでいた。
「タイトルは?」
帰る準備を始めようと立ち上がったところに、ミオコが訊いてきた。
一瞬動きを止めて、目の前の粘土細工に視線を集中させた。そんなもん、考えてもいなかった。
「dead or alive……違うなぁ」
生死を問わず、って感じじゃない。
「dying message……これも違う……、お?」
これじゃあ、死者にしか視点がない。って思った瞬間だった。
「be dying to live……だな」
深く考えた訳じゃない。それでも、これだろうなって思っただけだ。
「カッコイイけど、何て意味?」
ミオコが首を45度傾けて訊いてきた。
「死ぬほど生きたい。って感じか?」
生と死の狭間で揺れ動いていても、結局は心底生きたいんだと思うんだよね。俺の場合。
出来上がったオブジェの心臓から延びる透明な管は血管で、それは周囲の七つの作品に結ばれる。その管の中には電球を仕込んで血流みたいに光が流れるようにする予定。
心臓は単にそこにある訳ではなくて、土台から突き出した掌が握り締めていた。俺的には、その手が生と死の境目を表している。握り潰してしまうか、優しく鼓動させてくれるかは見た人の判断に委ねられる。
そして、土台だ。これは、上にある心臓が生を象徴しているのに対をなすように、完全な死を象徴していた。もしかしたら、俺にしか分からないことかも知れないけれど、それでも良かった。
土台は、アイツが落下したあの歩道を再現してたんだ。掌サイズの小さなひび割れ。これはオブジェの掌とサイズを合わせるから、実際は大きなものになってしまうけど……。で、その上に溢れた血液。これは、そこから突き出した腕に吸い上げられるような感じにしたいと思っている。
「最高の思い出になりそうだね」
芹菜がうれしそうに俺の作品を眺めていた。
この日の夜だった。俺にとって、その出来事は転機と呼ぶ他ないことだった。
『be dying to live』を見て、皆が興奮してくれた。だから、それぞれに感想なんか言い出しちゃって、なかなか帰ろうと言い出さなかった。
結局、見回りの先生が来るまで俺たちはお喋りをしていた。そのことは別に始めてじゃないから転機と呼ぶほどではない。
じゃあ、何があったのか。そりゃあ、もう、ビックリなことさ。
いつもよりも遅い帰宅になったけど、別に慌てていなかった。慌てたところで電車の時間が早まる訳じゃないし、家までの距離が変わる訳でもない。それなら、急いで疲れる分、無駄って思う性格。
「あ、母さん。ごめん。もうすぐ帰り着くよ。うん。今、駅」
これで、オーケー。ケータイで家に電話をすれば、怒られることもないって寸法。メッセージだけ送り付けても問題ないだろうけど、小言攻撃をくらう恐れがあるため、電話で直接告げておく。
駅からは割りと近かったけど、向かっているマンションの近くには特に何もなかったから、人通りはなかった。
そうやって、ぼちぼち帰路を急ぎながらマンションの前に立った時だった。何でか分かんないけど、あることを思いついていた。
思いついてしまったからには、行動に移さずにいられなかった。
俺が、日常であれば見かけることのない体勢だったからだと思う。その人は音も立てずに独りで近づいて来た。
だから、俺たちの出会いは不思議なものになってしまった。
マンションのエントランス内には照明が付いていたけど、外には自転車置き場の方にしかなかったから、俺が居た所は少し暗かった。
月が出ていなければ、目が慣れるまでは本当の暗闇に近い。
その人も、まさかそこに人がいるとは思ってなかったし、俺は俺で靴底がゴム製で足音が響かなかったから、お互いに気づけなかった。よっぽど歩き方がキレイだったんだと思う。本当にまったくの無音だった。
気づいたのは、その人が隣に来てからだった。でも、その段階でもその人は気づいてなかったみたい。そりゃそうかな。だって、俺はその場に寝そべってたんだもん。アイツが落下した地点で、その死の上で考え込んでいたのだ。生とか死とか、愛とか心なんてものをね。
青臭いね。
そしたら急に顔の横にクツがあったんだ。その足を伝って視線を上げていった。
で、視線がぶつかった。
「何をしてるんだい?」
その人は問いかけた。まぁ、訊きたくなるわな。
ちなみに、これからの会話は英語なんです。そうです。英語で質問されたんです。それだけでもビックリですよ。ええ。
「人がここで死んだ。俺はその人が生きているのを最後に見た人間。だから、ここで考えてた。色んなことについて。あなたは何でここに?」
たどたどしく英語で返事をしてから尋ねてみた。ここの住民に外国人はいなかったはずだ。遠くの照明と欠けた月の淡い光に照らされた人物は、30代前半、白色人種、髪はダークブラウン、ガッチリと均整の取れた体格に見えた。ただ、こんなに暗いのにサングラスをしているのは胡散臭かった。
「私の友人もここで死んだと聞いてね。花を供えに来たのさ」
そう言ってからその人はサングラスを外し、胸のポケットに押し込んだ。
その人の顔を見て、言葉を失っていた。映画をそれほど見ない俺でも、さすがにその人は知っていたからだ。30代前半だって? 完璧にミステイク。この人確か、40代後半のはずだもん。勘違いでなければね。
「ジョゼフ・ヤマガタさん?」
しばらく無言のまま見つめ合った後、相変わらず仰向けになって大の字のまま確認してみた。他人の空似にしては、似過ぎていた。でも、まさかねぇ? ハリウッドの大物俳優がこんな所にいるなんて信じられる訳ないだろ?
「自己紹介しなくて済むってのは、楽だな」
ちょっと小首を傾げるように鼻で愛想よく笑ってから、すんなり彼は認めた。それを聞いた途端に、起き上がっていた。
「どうしたんだい? サインでも欲しいのか?」
ジョゼフさんを黙ったまま見上げている俺に、彼の方から話しかけてきた。
「いや。……、ああ、サインは欲しいけど、それよりも不思議に思って」
こんなにキレイに伝わっているかは分からないけど、こう言っているつもり。
「花を供えるためだけに来たんですか?」
知らないだけかもしれないけど、彼の映画が近々公開される予定はなかったはずだ。宣伝以外で、彼が日本にやって来るイメージがなかった。
ただ、ヤマガタの名の通り、彼のルーツは日本なので、思っている以上に日本を訪れているのかもしれない。
「難しいことじゃないよ、少年。悲しいことがあったら、悲しみに暮れるのが私の流儀なんだ。楽しいことがあったら笑うのと、たいして変わらない。花を供えたいと思ったからここに来た。それだけさ。幸いなことに、金には困っていないからね」
そう言って悪戯っぽく笑うと、ジョゼフさんは誰かが備えた花束の中に、自分が持って来た花を付け足した。手を合わせる訳でもなく、十字を切る訳でもなく、アイツの死に場所に花を供えただけだった。涙を流して供えただけだった。
その姿に、その潔さに、感動していた。
「あなたは、死にたいと思ったことがありますか?」
何でかな。訊いてみたかったんだ。
「少年。君はあるのかい? あるんだったらやめときなさい。ないんだったら、そのままでいい。放っておいてもやって来ることなんか考えるんじゃない。消えてしまうことは、とても悲しいことだからね。だから、死にたいと思った時は戦うんだ。負けちゃいけない。勝つ喜びを知らないことは、愚かなことだから」
温かくて、大きくて、優しい掌が俺の両肩をつかんでいた。流れる涙を気にもせず、彼は俺にシンプルなことを教えてくれたんだ。
それからジッとその場に佇んで、彼は空を見上げていた。アイツが最後に通った道を見ていたのだと思う。それは、叫び声も上げずに落ちていった肉体が通った道なのか、叫んでも聞こえなくなってしまった魂が通った道なのか、そこまでは分からなかったけど。
5分も居たかな。随分長いこと留まっていたような気もするけど、そんなもんだったと思う。ジョゼフさんは俺の肩を一度ポンと叩くと、来た時と同じように足音を立てずに去ってしまった。
「あ……、サインもらい忘れた」
って思ったのは、完全に見えなくなってからだったんだなこれが……。
なぁ、アンタは本当に、何で死んじまったんだ? 世界のジョゼフ・ヤマガタが、花を供えるためだけに来てくれるような人生だったんだろ? 本当に自殺だったのかい?
俺も、アイツが最後に通った道を見上げていた。
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