第11話 私の話④ 疑惑
主人は、何をしてしまったというのでしょうか。主人の遺書にあった一言。「こんな私を許して欲しい」とは、何を示しているのでしょうか。
彼は許されなければならないような過ちを犯してしまったということです。そうでなければ、主人が自分でそのようなことを書くはずがないからです。
あの遺書――らしきもの――の筆跡は間違いなく主人のものです。
あなたは何をしてしまったのですか?
返事は返ってきてはくれません。
彼の日記にその答えがあると思うのは、不自然でしょうか。
そうは思いません。
だから、探すのです。彼のプライベートルームにないのならば、他に心当たりは彼のオフィスだけ。調べられたくなくて処分してしまっていない限り、どこかに必ず存在するはずでした。
彼の部屋の前に立ち止まり、念のためにノックをしてみました。コンコンという固い音の先には、少し前までは和やかな笑顔が待っていたものです。
部屋のほとんどを資料等で覆い尽くされ、客人をもてなすソファと自分のデスクが加わると、その空間はギュウギュウだったものです。
驚きました。確かに「はーい」と、微かに返事があったのです。返ってくるはずのない言葉があったことで、少々取り乱していたと思います。
ひんやりと心地良く冷えたドアノブを回し、一度深呼吸してからその扉を引きました。
思わず「あ」っと、声を出してしまったのでした。一瞬、いるはずのない主人がその場にいるような錯覚を起こしていたからです。
「ああ、すみません。どうしても必要なものがあったものですから……」
声に反応した相手は、主人と背格好の良く似た副社長でした。そうですよね。彼の部屋には重要な書類がまだ残っていたのです。資料だってそうでした。
その場で、当り障りのない話をして彼が出て行くのを待たなければなりませんでしたが、不思議と主人について訊くことは躊躇われました。どこか、いけないことをしているような感覚があったのだと思います。
人の死について詮索するのは、やはり、後ろめたい気持ちがあるのでしょう。
しかし、知りたかったのです。
ひとりになると、掃除を始めました。今度は誘惑される物が少ない代わりに、整理しなければならない物が所狭しと溢れていました。やはり、この作業も1日がかりのようです。必要な書類、必要な資料、必要な道具。積まれた資料を片付け、主人以外には不必要なメモをまとめるうちに、少し不安になりました。
主人は、こんな場所でのこんな仕事に満足してくれていたのでしょうか? 独りでこの会社のトップのイスに座ることを恐れた私の苦肉の策が、主人にも株主になってもらい経営に少しでも関わってもらうことだったのです。
思います。日がな1日、誰かの愚痴や世間話に無理にでも付き合わされ、資料の整理をこなすような生活に、満足してくれていたのでしょうか?
この生活から逃れるための死だったのではないか。だとしたら、彼を殺したのは私ということになってしまいます。
私は怖くなってしまいました。日記を見つけてしまったら、そこには私に対しての恨みや不満が塗り込められているような気がしてしまったのです。
真っ白だったページを真っ黒にしてしまうほどの罵詈雑言が、鋭い刃を持った鉄線となり、ギリギリと万力で締め付けられるように心臓に巻きつき、おびただしい量の血液を吹き出させながら食い込んでしまうような、そんな気がしたのでした。
ここにいるべきではない。何もかもが中途半端でしたが、その日、主人の部屋を逃げるように出て行ったのを覚えています。
あなたの心は、誰かを傷つけ過ぎて、傷つけることに慣れてしまっていませんか。それとも、世の中の全てのことに愁えてしまって、泣き続けてしまっていませんか。
その中間に居られる人は、幸せですよね。
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