第4章
第10話 僕の話④ 生きる意義
グシャッかな。それとも、ドサッ、ドサリ。はたまた、ガチャン、ガシャン。いずれにしても僕がこの世で最後に聞くのは、多分そんな耳障りな音。あまり気持ちの良いものではなさそうだ。
オーケストラの生音源を聴きながらなんて贅沢は土台無理な話とはいえ、もう少し穏やかなものだと嬉しいのだけど……。
さて、犯人は絞られているのでしょうか。この思考の筋道が正しいなんていう確証は何もない。けど、今はひとりずつ検証していくことしか出来ない。事件現場を捜査することも出来ないし、結果を報告してくれても、僕の耳に届くかは不明だ。考えるしかなかった。
ただし、考えるうちに、これだけは言えることがあった。僕の頭の中に、犯人は必ずいるってこと。漠然とした確信とでもいえるかな。
パッと頭に浮かんだのは、新米プランナーの丸岡君と音響補佐から最近昇格した青島君だった。
この2人とオタク系プログラマーの前畑君を合わせた3人には、ひとつだけ共通点があった。
3人とも、テストプレイヤーからの抜擢。こういう人材にハズレはいない。しかも、即戦力として使えるのだから一般採用よりも割がいい。
事実、今年プログラマーとして採用した3人のうち、きっちり仕事をしてくれているのは前畑君だけだ。他の佐伯君も石田君も、プログラムルームの補佐的な仕事しかまだ出来ない。
ただし、選ぶ権利はこちらにあるのだから、生半可なレベルだったり、性格的に問題があったりするような奴だったらそんなことはしない。まぁ、そういう人材は誰が何も言わなくても、伝わってくるものだ。僕みたいな関係ない人間にまで仕事振りが伝わってくるようになれば、その資格ありってことになる。
そういう意味では、テストプレイヤーから社員になるってのは、本当に狭き門だと思っている。彼ら3人は、その門の鍵を渡された選ばれし勇者ってところだろうか。勇者ってガラではないのだけど。
前畑君は会社にいる間はパソコンの前から動くことが少ないので、僕と顔を合わせる機会があまりないからよく分からないけど、丸岡君と青島君は頻繁に僕のところにやって来てくれた。
2人とも、自分の目標に向かってがんばってるんだってことを、キラキラした目で教えてくれるのだ。そんな2人の表情を目の当たりにすると、目標に向かえる場所を提供出来たのだと嬉しくなるものだった。
うん。この2人も僕を殺している場合じゃない。全速力で余所見もせずに夢へと突き進んでいる若者だ。容疑者としては力不足だ。
お? そう言えば、そんな若者をまだ知っているぞ。
現テストプレイヤーの柏木君と安原さんだ。まだ大学2年生で就職なんて漠然としか考えていないみたいだけど、希望すればきっと勇者の鍵を渡される。だって、仕事振りは僕の耳にまで届いているもの。
まぁ、テストプレイヤーで僕の部屋に出入りしているのも、この2人だけだっていうのもあるけどね。イイ子たちさ。この2人の将来がどうなるのかを知ることなく死んでしまうのが残念でならない。きっと、ステキなことを成し遂げてくれると思っている。
この2人も違うな……ァ……………………………ア……アアアアアァァァァァァ……………。
何の前置きもなく、コマ送りよりもスロウな外界の変化が、狂ったように通常の速さを取り戻してしまった。
あうっ。
キーワードが何だったのか、ポンと意識が一瞬飛んでしまった。
ガクリと夢の中で落ちてしまった時のような、居心地の悪い目覚め。
ジュクジュクとした傷口を連想して、不快な感情が全身に広がった。
どこからか迷い込んだ真相の手掛かりは、澄んだ水の入ったバケツに絵の具を一滴垂らしたように、一気に水面を覆ってしまったようだった。ところが、意識が正常になった途端、それは全てに混ざり込み、真実を導き出す能力を失ってしまっていた。
何なんだろう。この全身を痺れさすような不快な感情は……。額から流れ落ちる汗を思い浮かべながら、持ち上げられたように元の状態になった世界を確かめていた。
初めて、死への恐怖が全身の毛穴から吹き上がり、浅く小刻みな呼吸で震えているようだった。
好きなこと。
時間の分かり難い腕時計を見つけること。
例えば、カメラのシャッターみたいな扉をいちいち開けないと時間の分からない奴とか、針がグルグルと動くんじゃなくて、文字盤の方がグルグル回転するような奴が好きだった。
そういう遊び心が好きだし、時間に縛られているという感覚も薄まる。同じような理由で、正確に時を刻むクォーツ時計は何となく好きになれない。10万年に1秒しか狂わないような電波時計に至っては、その時計をはめていること自体が狂っていると感じてしまうほどだ。
だから、1日で30秒前後も狂ってしまうこともあるゼンマイ式の機械時計の方が、性格的にはあっていた。1分1秒を争う仕事ではない。でも、そういう機械式の時計は、それなりの物を買おうと思ったら、やたら高額。
それでも、専務として働く都合上、おもちゃっぽい腕時計で人前に出るわけにもいかなくなった。この会社の節目を迎えた時、役職に見合うものを身につけねばと、奮発して購入したものだ。
ま、正確ではないくせに高額ってところも、職人技が光っているようで好きな要因ではあるのだけど。それに、どこか、機械式の腕時計には生命力を感じるので、それはそれで満足したものだ。
落ち着いたか。
うん。もう大丈夫だ。喉の渇きは、この際、我慢しよう。
そう言えば、時間に縛られない男がひとりいた。音楽担当の岡村さんだ。彼は締め切りを決められるのを嫌う人だ。何というか、締め切りがあることを認めようとしない人だ。
どんな物でもいいから、音を消してゲームをやったことがあるだろうか? ゲームでなくても、映画やドラマに音楽がなかったらどうだと思う?
面白さは激減だ。
つまり、音楽のないゲームなんて考えられないってこと。そうである以上、どうしても締め切りは必要なんだけど、僕が何とか調停役になって進行が詰まらないようにしているのだ。如何にゲーム制作がメインの会社ではないとはいえ、ゲームでなくとも音源は様々なところで必要になるのだから、なかなかに苦労させられたものだ。
僕がいなくなったら、誰があの勝手気ままに動き回る風船をつかんでおくのだろうか? しかも、慎重に扱わないとすぐに破裂してしまう。あれで子持ちだっていうんだから信じられないものだ。
誰だろう? うーん。木村君かな。そうだろうなぁ。彼以外では、そんな繊細な仕事は無理っぽい。
ごめんよ。こんなことになってしまったばっかりに、余計な仕事がまたひとつ増えてしまう。
でも、決して悪い人ではないのだ。単純に束縛から離れたところでなければ音を生み出せないってだけ。心の締め付けを取り除くことで音を膨らませる人なのだ。
そうだな。悪い人では決してない。僕を殺そうなんて考えるようなことはない人さ。そもそも、僕らは似た者同士って感覚が強い。彼が僕を殺そうと思うなら、僕も彼を殺そうと考えている可能性が強い。そんなこと考えたこともないから、彼も犯人じゃないだろうさ。
ここだけの話、岡村さんのお陰で僕の価値は社内でグッと高まった。青島君がテストプレイヤーから引き抜かれて入るまで、音のスペシャリストは岡村さんひとりしかいなかったからだ。
木村君も素晴らしい才能を持ってはいたけど、ひとりで全てを賄うなんて無理な話なのだ。かといって、全てを外部に任せてもおけない。それに、木村君には他にもやることが山盛りあった。
つかみ所のない岡村さんと、心底打解けることが出来たのが、たまたま僕だけだったというわけだ。
2人とも、ある音が好きなことで話が盛り上がってしまっただけだったけど、それは大きな進歩だった。それがなかったとしたら、制作期間は少なく見積もっても3割増しってところだったんじゃなかろうか。
その音ってのは「髪を切る時、熟練の美容師さんが耳元でシャカシャカ心地良く鳴り響かせるハサミの音」だった。
その日は新作ゲームのメインテーマの締め切り日だった。で、あるにもかかわらず、岡村さんはボンヤリ僕の部屋でコーヒーを飲んでいた。締め切りだというのは知っていたので、内心ハラハラしながら相手をしていたような気がする。
でも、決して口には出さなかった。僕だけでも見守るスタンスを取ろうと思っていたのだ。
案の定、関係する全ての人間が入れ代わり立ち代りやって来ては「まだですか?」と急かしてた。しかし、どれだけ時間が過ぎても、一向に岡村さんは立ち上がる気配を見せなかった。
1日の半分とナポレオンの睡眠時間ぐらいが過ぎた頃だったと思う。それまで黙ってコーヒーを飲んでいた岡村さんが、不意に訊いてきたのだ。
「ねぇ、専務。専務の好きな音って、どんな音?」
突然の問い掛けにビックリしながら答えたのが、さっきの「髪を切る時、熟練の美容師さんが耳元でシャカシャカ心地良く鳴り響かせるハサミの音」だったって訳。たまに思い浮かべる「好きなこと」も、役に立つことがあるんだぞって、事件だった。
何の期待もせずに問いかけたのだろうけど、いや、だからこそ、それを聞いた途端、岡村さんの表情が赤らんだのを覚えている。少し興奮していたと思う。何度も大きく頷いた後で「他には?」って訊いてきたので、少し考えてこう答えた。
「そうですねぇ。足音、かな。それも、静寂な締め切られた空間。例えば、早朝の学校の中とか、人気のない病院の廊下。そこに響き渡る革靴の硬く響く音は好きですよ」
それを聞いた途端だった。
岡村さんはスックと立ち上がり、満足そうな表情で部屋を出て行った。
全ての音楽が出来上がったのは、それから時計の長針が180度動くのよりも早かったんじゃなかろうか。それくらい驚異的なスピードで彼は完成させたのだ。
その音楽を皆に披露した後で、岡村さんは僕の所にやって来て朝まで語り合った。
それからだ。
僕たちの共存が始まった。誰の言葉にも耳を貸さない岡村さんに言葉を届けるのが、僕の仕事に追加された。
ちなみに、この時の作品が切っ掛けで、岡村さんには映画音楽の仕事もいくつか入るようになっていた。それくらい素晴らしい作曲家というわけだ。
誰かに必要とされる。新鮮なことだった。
前の会社では考えられないことだったからだ。僕の仕事が必要とされていない訳ではないのは分かっていた。にもかかわらず、感謝することを知らない人間しか回りにいなかったのだ。
同じ課の人間には、年上しかいなかった。
だから、付き合いのある課の河原君と親しくなれたという面もあるにはあるのだけど、ダラダラと時間を消費するような仕事には、正直ウンザリしていた。一生懸命の結果を、意味もなく、アッサリと否定されるのはツライよね。
腐臭が漂いそうなほど働く意義を見失っていた時、妻が助けてくれなければと思うと、頭が上がらない。
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