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 ハイエルフの聖域は、相変わらず不思議な空間だった。

 周囲の全てが、上まで絡み合う木々と葉に覆われて、外とは隔離されている。

 なのに何故か明るい光に満ちていて、そして随分と暖かい。

 いや、ちょっと暑いくらいだ。


 何となく、僕は座りの良さそうな場所を見付けて、腰を下ろす。

 地に尻を付けて座り込めば、あぁ、僕はもう二度と自分の足で立ち上がる事はないのだなと、そう思えた。

 根が生えたように動きたくないって表現があるけれど、今の僕の気分は正にそんな感じである。


 本来ならこのハイエルフの聖域は、長老しか立ち入る事はない。

 尤も普通のハイエルフは長く生きて、精霊になる前辺りには自然と長老と呼ばれるようになっている。

 ただずっと外の世界を渡り歩いてて、深い森に帰って来なかった僕は例外だ。

 精霊になる直前のハイエルフとしては、今の深い森では唯一長老とは呼ばれていない。

 とはいっても、普通に年長者としての敬意は受けるし、若いハイエルフが僕から外の世界の話を聞きに来る事も少なくはなかった。


 まぁ、それはさておき、だから長老でない僕は、本来ならばこの空間には立ち入れはしないのだけれど、実はそれに関しても僕は例外だ。

 何故ならこの空間の主である不死なる鳥、ヒイロが僕を招くから。


 不死なる鳥として成長したヒイロは、もうこの聖域に収まるようなサイズじゃない。

 ただこの場所はヒイロが生まれた場所だから、縁がとても強いのだろう。

『そう、その時が来ましたか』

 目を閉じれば、僕の頭の中に、ヒイロの声がハッキリと響く。

 その声は、少しばかり寂しそうに聞こえた。


「うん、もう、身体が本当に窮屈に感じるから、何時抜けちゃってもおかしくないかな。でも消えてなくなる訳じゃないのに、ハイエルフとしては死ぬって、どうにも奇妙な気分だね」

 死に対する恐怖はない。

 単に精霊になるだけだという実感は、身体の窮屈さと共に強くなってるから。

 きっと子供が成長し、小さくなった服を脱いで着なくなるように、僕は肉体から抜けるのだろう。


『えぇ、私達の死は形だけのものです。私も何度も繰り返してますから、ご安心ください』

 どうやらヒイロは、僕を慰めようとしてくれてるらしい。

 あぁ、うん、確かに、死に対する恐怖はないが、これまでの時間を愛しく思うだけに、肉体を失う事に寂しさはあった。

 ……そうか、僕が肉体を失えば、もうヒイロの背に乗って空を飛ぶ事もなくなる。

 きっとヒイロの声に含まれる寂しさは、そのせいだ。


「ありがとう。ヒイロが色んな所に運んでくれたから、本当に助かったよ。空を飛ぶのは楽しかった」

 これは別れじゃないけれど、しかし失うものがない訳じゃなかった。

 でもそれは、これまでだってずっとそうだったから。

 寂しくは思っても恐れないし、受け入れて僕は前に進めるだろう。


『私も、楽しかったです。もし貴方が風の精霊になるならば、また一緒に空を飛べるでしょう。きっと貴方にはそれが似合う』

 だけど僕は、そのヒイロの声には、思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 残念ながら、僕がどんな精霊になりたいのかは、もうずっと前から決めていた。

 ヒイロの提案も素敵だけれど、僕の望みは別にある。


 僕は、ずっと使ってきた魔剣を抱え込む。

 思えば、僕と一番付き合いが長いのは、この魔剣だ。

 鞘は作り直したが、魔剣自体は補修したり、手入れをしながらもずっとずっと使ってきた。

 この魔剣は、もう僕の一部だった。

 だから僕の肉体と一緒に、ここで地に還す事になる。

 僕の魔力の供給が途切れれば、単なる薄く脆い剣となり、早々と朽ちるか砕けて、聖域に取り込まれるだろう。


 あぁ、そう、僕は剣になりたかった。

 いや、少し違うというか、それは結論を急ぎ過ぎか。


 僕は精霊になれば、地の奥底に眠る金属に宿りたい。

 その金属に馴染み、僕とそれが一つになって、そしたら誰かに掘り出されて、鍛冶師に鍛えられて剣になりたい。

 仮にその鍛冶師が未熟だったら、囁きかけて導こう。

 僕を逸品の剣として製作するに相応しい鍛冶師になるまで、仮に精霊となった僕の声が聞こえずとも、あれやこれやと手を尽くして育てるのだ。


 それから剣士に所持されて、共に世界を歩きたい。

 もしもその剣士もへっぽこだったら、やっぱり僕が導く。

 別に剣士に関しては、僕に相応しい腕を持てだなんて言わないけれど、安易に命を落とさない程度には、鍛えたいと思う。


 また人の手から人の手へと渡り歩けば、中には僕と相性が良くて、声が聞こえる誰かもいるかもしれない。

 そうなればきっと、楽しい時が過ごせる筈だ。


 要するに、僕は精霊となった後も、人に交わって存在したいと思ってた。

 あぁ、随分と俗な願いだけれども、だって僕は俗物だから、仕方ない。

 これまでは、それをクソエルフと称したけれど、これから先は何を自称しようか。


 クソ精霊は語呂が悪いし、何だか他の精霊にも悪い気がする。

 いっそ精霊は名乗らずに、魔剣だとでも名乗ろうか。

 人格の宿った剣なんて、いかにも魔剣染みてるし。


 あぁ、想像すればとても楽しみになってきた。

 僕はハイエルフとしての最後の瞬間も、こうして楽しく過ごせてる。

 本当に恵まれた時間だった。

 そしてこれから先も、その恵まれた時間を見付けよう。


『そうですか、ええ、貴方は、私が見てきたハイエルフの中でも、とびきりの、一番の変わり者でした。そして共に過ごして一番楽しいハイエルフでした。ですから、もしも剣となった貴方を持った誰かが私の前に現れたなら、私はこの背に乗る事を許すでしょう』

 僕はヒイロの声に頷いてから、大きく大きく息を吐く。

 うん、そろそろだ。

 広がる自分を、身体の中に留められない。

 ハイエルフとしての時間が、もう終わる。

 でも僕は、ハイエルフとしての時間が終わっても、この千年で得た記憶は、全て溢さずに持っていく。

 これは僕の、輝くような宝物だから。


 僕は、転生してハイエルフになりましたが、過ごした千年はとても楽しい時間でした。

 だからいつか、またどこかで。



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