おまけ
あるかもしれない未来1
仲間の背を踏み台に跳び上がり、爪牙を剥き出しに降ってくるのは、ヒューヒと呼ばれる猿の魔物。
体長は人間の成人男性よりも一回り小さい程度だが、膂力は比較にならない程に強く、群れを成す厄介な魔物だ。
だがヒューヒの最たる特徴は、魔物の中でも人に近い程に頭が良い事だろう。
例えばヒューヒの群れが冒険者を殺した場合、その武器を奪って自分達で使用する場合がある。
ヒューヒは自分達の爪牙よりも、冒険者の持つ武器の方が強力であると、理解する頭を持っていた。
そしてヒューヒ達はその賢さが故に、自分達が決して魔物の中では強者でないと知っており、うっかり縄張りに踏み込みでもしなければ自分から襲ってくる事はあまりない。
縄張りを侵した相手には容赦をしないが、自らが縄張りの外に出たりはしない、賢くも臆病な魔物なのだ。
けれども、今、ヒューヒ達は自らが暮らす森を出て、人里に向かって侵攻してる。
私は大きく一歩退きながら、剣を振り上げるようにヒューヒを断つ。
ヒューヒの勢いは凄まじく、下がりながら斬らねば、その爪が私を引き裂いただろうから。
剣の切れ味と、ヒューヒの勢いだけで、その身体は両断された。
死の間際でも、私から逸れなかったヒューヒの目に宿っていたのは強い焦り……、或いは恐怖。
このヒューヒの群れは、飢えから森を出て人里を襲おうとしてる訳じゃない。
彼らは何かから逃げてるだけで、しかし不幸な事にその逃走の先には人里があるのだ。
刃を返して、今度は振り下ろす。
先程、背を仲間に踏み台にされたヒューヒが既に迫って来ていて、振り下ろした剣はその頭蓋をザクリと切り裂く。
幾ら生命力の強い魔物でも、脳を切られればもう動けない。
ただヒューヒを一撃で仕留められているのは、私の腕というよりも剣の力に依るところが大きかった。
薄っすらとした光を放つこの剣は、魔術の力で切れ味と強度が高まっている。
魔力を流す事で魔術の力を纏う剣は魔剣と呼ばれ、この剣はその魔剣の一振りなのだ。
尤も私は魔力の扱い方なんて知らないから、剣に魔力を流しているのは当然ながら私ではないのだけれども。
でも今はそんな事をのんびりと考えてる暇はないから、剣を振って、斬って斬って斬りまくる。
決して前には踏み込まず、常に後ろに下がりながら、一体ずつ、ひたすらに魔物を屠っていく。
魔物との戦いにおいて、相手が多数の場合は特に、至近距離に近付く事は非常に危険だ。
何故なら魔物の膂力は人間とは比較にならず、爪牙に切り裂かれずとも、ぶつかるだけでも致命傷になりかねない。
私はハーフエルフで、普通の人間よりも少しばかり華奢だから尚更に。
だから彼我の距離を詰める事はせず、相手の動きの全てを視界に捉えられる位置を保つ。
相手の数は圧倒的だけれど、この魔剣なら一撃で相手の急所を切り裂けるから。
ただ、うん、わかってる。
私は今、迫りくるヒューヒの群れをどうにか相手をしきれているけれど、本当の問題は彼らじゃないのだ。
森から、大きな咆哮が聞こえた。
その途端、生き残りのヒューヒ達が四方八方に散るようにバラバラに逃げ出す。
これまで私がたった一人でヒューヒ達を相手取れたのは、彼らが固まり、群れの維持に固執していて、群れの一部を足止めすればそれを置いて突破される事がなかったからだ。
にも拘らず、一度の咆哮を聞いただけで、ヒューヒ達は恐怖に群れすら忘れ、恐怖に呑まれてパニックになる。
これはどうしようもなく、拙いかもしれない。
今回、私が冒険者として受けた依頼は、氾濫の兆候があるかもしれない森の調査。
溢れた魔物の始末は、依頼の内容外だった。
実際、冒険者組合に依頼の届け出があった時点では、森の状態は氾濫の兆候があるかもしれないというのが正確だったのだろう。
但し、報酬額が少ない訳ではなかったが、危険は多いこの依頼を、他の冒険者は厭うて受けようとしなかったから。
私がこの依頼を受けた時には、既に状況は極めて悪かった。
調査を始めて間もなく森を溢れ出た魔物を前に、私に選べた道は調査依頼を出した村を見捨てるか、魔物を倒すかの二つに一つ。
村を見捨てたところで、私を責める人は居ないだろう。
正しくは、責める人なんて、魔物に殺されて全て居なくなる。
だけど私は嫌だ。
人が魔物に殺される事は、今の世の中では珍しくもない。
別の地域では国が魔物に滅ぼされたという噂も耳にする。
でも私は、私の選択で、私が仕方ないと諦めた結果、大勢の人が死ぬという事は、どうしたって嫌だから。
せめて私が、もう少し上手く精霊を使えたら、村人が逃げる時間稼ぎだってできたのかもしれないけれども。
残念ながら私に力を貸してくれる精霊は、一人しかいない。
ズン、と地揺れを感じた気がした。
べきべきと木々を圧し折りながら、森の中から姿を見せたのは一頭の熊。
もちろん単なる熊じゃない。
二足で立ち上がればその体長は森の木々よりも高く、目を血走らせて口から涎を垂らす頭は二つ。
更に足の数は八本だ。
……頭が二つあるのに、一頭と数えるべきなのかは、ちょっとわからない。
それはまるで、二頭の熊を一つにしたかのような巨大な魔物。
間違いなく、ヒューヒはこの熊の魔物を恐れて、森を捨てて逃げ出そうとしたのだろう。
そしてそれを追って、或いは私とヒューヒが戦って流れた血の匂いに惹かれて、熊の化け物は姿を現した。
ニヒと呼ばれるその熊は、双頭の暴君とも称されるくらいに強力で、狂暴な魔物だ。
町の一つや二つくらいなら、単体で容易に壊滅させてしまう。
討ち取るには、それこそ軍か、或いは最高位の冒険者が幾人か必要になる。
本来なら、私なんかが到底かなう相手じゃない。
……そう、私が一人でこの場にいるのなら、選べる道はニヒに食べられて死ぬか、自害してせめて苦痛を少なく死ぬかくらいだったけれども。
さっきも言ったけれど、私にはたった一人だけ、助けてくれる精霊がいる。
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