368
「え゛い゛さ゛ぁぁぁぁぁぁぁ、た゛す゛け゛て゛ぇぇぇぇぇぇ」
うっかり高い木の上に瞬間移動してしまい、下りれなくなった四歳のパドウィンがびぃびぃと泣き声を上げて助けを求めてた。
いやはや、実にお馬鹿で可愛らしい。
僕はその姿にケラケラ笑いながらも、彼を助ける為に木を登る。
瞬間移動が使えるのだから、地上に移動すればいいだろうに、どうやらそれも怖いらしい。
恐らくは、地に重なるように瞬間移動してしまう事を防ぐ為の、本能的な恐怖だろう。
ちなみにパドウィンは、高いところが苦手だった。
以前はそうでもなかったのだけれど、上空に転移しては風の精霊に助けられるという遊びを覚えてしまい、それを繰り返すようになった為、怪我をしない高さで頭部以外の保護を切って地面にぶつからせたら、それからは高所が怖くなったのだ。
もちろん僕も意地悪でそんな真似をした訳じゃない。
単に本来、高いところは危ないのだという事を忘れてしまえば、いずれ痛いじゃ済まない事故を起こす可能性がある。
転べば痛い、落ちれば痛い。
子供はそれを経験して危ないを学ぶ。
何からも守られていては、それを学ぶ機会を得られないままに育ってしまうから。
ただそう考えると、地上への瞬間移動、物体に重なる可能性がある瞬間移動を拒むパドウィンの能力に由来する恐怖は、理屈は理解できるが出所がわからず、少し興味深かった。
まぁ、高い場所は苦手な癖に、時々こうして木の上等に瞬間移動してしまう愚かさが、特殊な力を持ってはいても実に子供って感じで好ましい。
手が届く範囲まで登ると、木にしがみ付いてるパドウィンの襟首を掴んで引っぺがし、抱きかかえた。
木の上は、建物を避けて視線が通るから、眺めが良くて海がよく見える。
「ほら、もう大丈夫。……で、今回はなんで木の上に?」
抱きかかえたパドウィンの背を軽く叩いて宥め、彼が泣き止んだ事を確認してから、僕は問う。
するとパドウィンは、涙と鼻水でべとべとの顔に不思議そうな表情を浮かべ、首を傾げた。
何があったかは、泣いてる間に忘れたらしい。
僕は手拭いを取り出してべとべとになったパドウィンの顔を拭く。
四歳になったパドウィンは、喋れる言葉も大きく増えたし、活動範囲も更に広くなった。
理由のある行動を取る場合もあれば、衝動的に動く事もある。
何をしでかすかわからない怖さと面白さがあるのが、このくらいの年頃の子供だ。
もちろんパドウィンは瞬間移動を持って生まれたから、彼の両親は怖さや不安といった感情の方が勝るのかもしれない。
しかし僕から見て、パドウィンの両親が本当に凄いと思うところは、常に心配はしつつも、彼が宿して生まれた瞬間移動という力に関して、否定的な言葉を口にしない事だった。
僕はハイエルフだから、パドウィンの瞬間移動にもある程度の対応ができる。
空に飛ぼうが落下死はさせないし、海に飛び出そうが落とさない。
だからこそパドウィンの相手ができているのだけれど、彼の両親は普通の人間だ。
パドウィンの父母にとって、彼はいつどこに消えてしまってもおかしくない子だった。
『お母さんを置いて行かないでね』
パドウィンの母親が、そう言ってるのは聞いた事があるけれど、それは本当に切なる願いだろう。
但しそれでも、瞬間移動に関して否定的な言葉は口にしない。
父親に関しても同じで、彼らは辛抱強く我が子を愛してる。
それは本当に、凄い事だと僕は思うのだ。
パドウィンは、瞬間移動という翼を持って生まれて来た子供だった。
両親は彼のように翼を持たない人間なのに、パドウィンを籠に入れて育てようとはしていない。
それどころか我が子が自由に空を飛んで生きられるように、その才を含めて愛してる。
もう少しばかり成長すれば、パドウィンも自分の特異な能力を自覚して、両親の心配も理解して、己を制御できるようになるだろう。
だが彼の未来は、決して平坦な物にはなり得ない。
今は両親の庇護の下、パドウィンは守られている。
まぁ、僕の力に依るところも多いけれど、一応は僕を雇っているのは彼の両親なので、それも含めて庇護の下だ。
けれどもパドウィンが成長した後、その力を欲する者は少なくない。
実際、今でも彼の両親には、パドウィンを引き取りたいとの話は幾つも届いてるという。
このパンタレイアス島でも、好き勝手に瞬間移動を行う彼の存在は有名で、そうなれば船乗りを通して大陸の宗教組織にも話は伝わる。
神術の中でも、瞬間移動は特に有用な能力の一つだ。
それを先天的に発現してるというのだから、あぁ、そりゃあ欲しがられるのは当たり前だった。
パンタレイアス島はエルフのキャラバンが強く根を張ってる場所だから、今はそう簡単に強硬手段には出ないだろうけれど……。
それはこの島で暮らし続けるならの話だ。
瞬間移動という翼を持って生まれて来たパドウィンには、やがてこの島は狭くなる。
やがては、パンタレイアス島を出る日がやって来るだろう。
しかし大陸は、この島程に平穏な場所じゃない。
東中央部ではヴィレストリカ共和国すら滅びたし、西部ではサバル帝国が三つに分裂して争いを始めた。
パドウィンが島を出る時、どんな生き方を選んで、どこに赴くのかはわからないけれど、いずれにしても自分の身は自分で守る必要があった。
今は木の上が怖くて、びぃびぃと泣いてたパドウィンがである。
本当に、世の中は儘ならない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます