366


 パドウィンが神術を発現させている事が発覚したのは、まだ彼が生後五、六ヵ月くらいの時だ。

 母親がパドウィンを抱きかかえ、仕事に行く父親の背中を見送る最中、不意に母親の腕の中の重みが消え、父親は背中に衝撃を感じた。

 そして母親の絶叫に即座に振り向いた父親がみたものは、地に落下する我が子、パドウィンの姿。

 理解は働かずとも父親の身体は動き、パドウィンが地にぶつかる前に何とか受け止める。


 普通に考えれば、母親が父親の背に、パドウィンを投げ付けたのかと思っただろう。

 だが父親は、自分の妻がそんな真似をするような女でない事くらいは知っていたから、その日は港での荷運びの仕事を休み、パニック状態の母親を宥めて事情を聴き出す。

 そして判明したのが、母親の腕の中からパドウィンが突然消えて、父親の背にぶつかるように現れたという事だった。

 まるで仕事に出掛ける父親に付いて行こうとするかのように。


 普通ならあり得ない事だけれども、父親はその話を即座に信じた。

 何故なら、受け止めた自分の腕の中からもパドウィンは消え、気付けば床に寝転がって泣いていたから。

 そう、パドウィンの持って生まれた神術は瞬間移動。超能力でいうところのテレポーテーションだったのだ。

 もうこうなると、パドウィンの父親も母親もまともに生活するどころじゃない。

 我が子がどこかに消えてしまわないように常に見張り、神経をとがらせるようになる。


 幸いだったのは、パドウィンが移動できるのがごく狭い範囲だった事だ。

 仮に父母の手の届かない距離に瞬間移動してしまってたら、下手をすればパドウィンはそれで死んでいたかもしれない。

 恐らくこれは、赤ん坊の視力が弱く、生後五、六ヵ月くらいではごくごく近い範囲しか見えていないから、パドウィンは近くにしか瞬間移動をできないのだと思われた。

 逆に言うと、これまでは瞬間移動を活かせないくらいに目が見えていなかったのだろう。

 しかしそれでも、手に負えない子供を抱えた父母の生活の破綻は見えていて、本来ならここで、自分達が信じる宗教の聖職者を頼る事になるのだ。

 超能力を神術と称し、能力開発を行って使い手を集める宗教組織は、その扱いにも慣れている。

 高い才能を示す神術の使い手に大喜びをして、父母には多額の礼金を支払い、神術を宿して生まれた赤子を引き取った筈。


 ただここは、パンタレイアス島。

 宗教組織の力は弱く、その代わりに頼りにされるのは、何百年とこの島を差配し続けたアイレナだ。

 彼女は既に島の代表の座を後継に譲ってはいたが、それでも島の住人からの信頼は未だにとても厚い。

 困り切った父母が相談相手として選んだのは、人間が及びもつかない時間を生きて、知識を蓄えている女エルフ、アイレナであった。


 まぁ、アイレナが知れば僕にも伝わる。

 もう随分と昔になるけれど、マルテナという神術の使い手にして聖職者を友人に持ってたアイレナは、パドウィンに起きる現象が宿した神術である事にすぐに気付く。

 故に最初は、父母に対して大陸の宗教組織を頼れば、神術の専門家達がパドウィンを育て、二人には多額の礼金が支払われる事を伝えたそうだ。

 だが父母は、二人にとって最初の子であるパドウィンとは離れ難く、どうにかして手元で育てられないかと、アイレナに縋ったらしい。


 アイレナも親から子を引き離したくはなかったのだろう。

 少し考えた後に、パドウィンの両親にある提案をしたらしい。

 神術の専門家ではないけれど、パドウィンがどこに瞬間移動をしても助けられそうな、ベビーシッターを雇う心算はないかと、そんな風に。

 そのベビーシッターの協力があれば、少なくともある程度の年齢に育つまでは、二人はパドウィンと一緒に暮らせる筈だと、そう言って。


 ここまでくれば話のオチも見えたと思うが、アイレナに推薦されたそのベビーシッターが僕だ。

 確かに僕なら、パドウィンがどこに瞬間移動してもそれを察して、落下する彼を風の精霊に頼んで支えて貰って軟着陸させられるというか、落ちそうになったら支えてねって頼んでおける。

 仮に好奇心から火の中に飛び込んだとしても、火の精霊に頼んで助けられるだろう。

 ついでに言うなら子供好きで、子育ての経験もあるから、……宗教施設に引き渡す気がないのなら、僕がベビーシッターとしてパドウィンの両親を助けるのが一番確実な方法だった。


 普通のエルフなら、それを知っても尚、ハイエルフである僕に人間の子供の世話をさせるなんて……、となるところだが、アイレナはその辺りは気にしないから。

 いや、以前は気にしてたのかもしれないけれど、今の彼女は僕の事を理解してくれていて、事情を聞けば寧ろ望んで関わりに行くと知っている。

 だから、パドウィンの両親に僕をベビーシッターとして勧めたのだ。


 二人は、とても悩んだらしい。

 尤もそれは、別に僕に不安があるとかじゃなくて、自分達の手に負えない子供を他人を頼って育てるというのは、色んな意味で覚悟が必要だからだろう。

 この世界では、少なくとも僕が知る範囲では子育てに他人を頼る事は普通だけれど、流石に瞬間移動の神術を宿した子供というのは一般人の感覚では測れない存在だ。

 何があるのかわからず、何がこの子にとって幸せなのかも判断できず、ただパドウィンの両親は腕の中の子を手放したくないとの思いだけがあった。


 結論は既に出ている。

 手放したくないというのが答えだろう。

 けれども歩む道は決まっていても、それが険しいとなれば、踏み出す事に悩みも迷いもあって当然だった。

 アイレナも、そこには口を挟まない。


 もちろん最終的には、僕にベビーシッターを頼みつつ、自分達で育てるという結論を、というよりは覚悟を決めたのだけれど、悩み迷った時間も、パドウィンの両親にとっては必要で、決して無駄なものではなかったのだろう。

 二人で一緒に悩んで迷って、それでも覚悟を決めたからこそ、何が起きてもパドウィンの両親は、揺らがずに我が子を愛する事ができるのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る