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 彫像を製作しては交易船に積んで黄古帝国に送ったり、夜中に小舟に積んで島を離れ、目立たぬ場所で不死なる鳥のヒイロに積んで雲の上に運んで貰ったり。

 そんな事をしていたら時間はあっという間に何十年かが過ぎて、僕は六百歳を超える。

 尤も求められたら船や家の補修用の金具とか釘を作ったりはしてたから、ずっと彫刻ばかりをしていた訳じゃない。

 釣りにも行ったし、時々だけれど島にあるヨソギ一刀流の道場にも顔は出したし、色々とやってたからこそ、何十年もの時間が掛かったのだ。


 そして僕が彫像の製作を終えた頃、パンタレイアス島では少しばかり印象深い出来事が起きていた。

 この何百年かでパンタレイアス島は発展し、住人も大きく数を増やしたけれど、それでも島には住める数に物理的な限界はある。

 発展の度合いで言えば、大陸にある町にも引けは取らないどころか上回ってさえいるが、人口に関しては及ばないのが実情だ。

 だからこれまではあまり問題にならなかったのだけれど、この島には神術、または法術とも呼ばれる能力を発見、鍛える為の施設が存在しない。


 神術、または法術とも呼ばれるそれは、厳しい修行によって鍛えた精神力や強く信じる心が引き起こす奇跡であり、簡単に言えば超能力だ。

 この世界では、教会等の宗教施設が読み書きや計算を教える事が一般的だが、その際、集まった子供に神術の才能がないかをテストし、そこで才ある子供を見出したら本部に送ると言う役割を持っていた。

 見出された子供の家には多額の謝礼が支払われるし、本部に送られた子供は教会組織の未来を担う存在として、神術の能力開発と共に高度な教育を受けるという。


 だがこのパンタレイアス島は、大陸の各地から集まった人々、或いはその子孫が住んでいて、信じる宗教はバラバラである。

 もしくはこの島を栄えさせ、守るという現世利益を与え続けた存在、アイレナこそが信仰されてるといっても、そんなに過言じゃないかもしれない。

 まぁ要するに、この島では特定の宗教が力を持つ事は殆どなく、島の子供達も読み書きや計算に関しては、エルフのキャラバンが設けた学び舎で教わっていた。


 故にこれまでも、恐らく神術の才能を秘めた子供はいた筈だ。

 けれども発見されず、訓練を施される事もないパンタレイアス島では発現せずに、眠ったままに埋もれたままに終わっていたのだろう。

 それに関しての是非は、僕には何とも言えない。

 全ての才が発掘される事が、必ずしも幸せに繋がるとは限らないし。


 神術の才を見出され、宗教組織の未来を担う存在として本部に引き取られるのと、親元で暮らすのとでは、果たしてどちらが幸せなのか。

 才の多寡もあるし、親といっても色々だ。

 大輪の花を咲かせる才もあれば、その才を横で見続けて、花咲かぬ己に苦しむ事だってあるかもしれなかった。

 子を優しく見守る親もいれば、酒に酔って子を殴る親もいるだろう。

 何が正しく何が間違っていて、幸せや不幸せに繋がるのか、それを僕が口を挟む立場ではないから、是非に関しては何も述べない。

 ただ、パンタレイアス島には神術の才能を発掘する為の場は存在せず、これまではそれでやってこれたという事実だけがある。


 しかしそれは、子の秘めた神術の才が、開発せねば発現しない程度の物だから、これまで問題がなかっただけの話だ。

 例えば、もう随分と昔の話になるけれど、大陸東部の大草原に暮らしてたダーリア族のジュヤルは、生まれ付きその視線は炎を纏ったという。

 能力開発等受けずとも、発火能力を生来の物として発現させていた。

 もちろんそこまで神術の才に溢れる子供は滅多に現れたりはしないのだけれど、一人でもそういった例がある事を知っていたのに、僕は次があるなんて考えもしなかったから。

 僕が一言でもそれに関して意見を述べていたら、アイレナだって事前に対策を打ててたかもしれないのに。


 そう、パンタレイアス島に起きた印象深い出来事とは、生来の神術使い、生粋の超能力者の誕生だった。

 幸いだったのは、その子の持って生まれた神術が、殺傷能力とは無縁な代物だった事だろう。

 もし仮にその子の持って生まれた神術が、ジュヤルのように発火能力だったら、暴走して父母や周囲を傷付けたり、或いは殺してしまう場合すらあったかもしれない。

 そんな風に考えたら、以前のダーリア族でジュヤルが己の神術を制御できるようになる年齢まで生かされていたのは、実は凄い事だったのだと、今になって思う。

 炎の子という立場に祭り上げ、生きた兵器として戦いに投入されてたけれど、持て余して殺されていた可能性だって、皆無じゃなかっただろうから。


 僕にそんな事を考えさせるくらいに、生来の神術使いとして生まれて来たその子の存在は、パンタレイアス島に騒ぎを起こす。

 本人には悪気はなく、過ぎ去ってしまえば思い出話にできるだろうけれど、まるで小さな嵐のように。

 その小さな嵐の名前は、パドウィンといった。

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