三十七章 流れる時と美味い酒

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 僕が黄古帝国から戻ってまた十数年が経ち、五百五十歳になった年の話。

 この年で、僕は深い森を出てから、アイレナやアズヴァルドに出会ってから、丁度四百年が経った事になる。


 区切りが良かったからって、何かが起きるって訳じゃないのだけれど、動く言い訳には丁度良かった。

 折角区切りがいい年だからと、ヒイロに乗って南に飛び、あの肉がとても美味しいアザラシの魔物を狩って持ち帰ったり、調理を依頼した料理人にお願いだから定期的に狩って来てくれと頼みこまれて断ったり、その肉を干して酒のアテにちょうどいい塩梅を探したり。

 何か理由、言い訳があれば、普段はしない事もしようって気分になるから。


 そう、出来上がった干し肉と選んだ酒を土産にして、アズヴァルドの墓参りに僕は向かう。

 出発は人目の少ない夜中。

 水の精霊に支えられながら海の上を歩き、パンタレイアス島を十分に離れたところで、不死なる鳥、ヒイロを呼ぶ。

 その背に乗って一昼夜、プルハ大樹海の上を通るルートで、北の大山脈にあるドワーフの国へと。


 空から見下ろすプルハ大樹海は、僕が初めて外に出た頃と、きっと何も変わってない。

 木々の間に、何やら大きな生き物が見える。

 背の高い木々よりも更に頭一つ大きくて、樹海から頭だけが飛び出て見えるあれは、恐らく巨大な熊の魔物が後ろ足で立ち上がっているのだろう。

 仮にあんな魔物がプルハ大樹海を出て人間が生きる国々に辿り着けば、一体幾つの国が亡びる事になるのか。


 今の世界もいずれ竜の炎に焼かれるが、そうでなくても脆く儚い物に思えてしまう。

 それでも皆が今日も懸命に生きていて、世界を明日に繋げていく。

 この世界は愛おしく、だからこそ余計に如何ともしがたい。



 ドワーフの国へはミスリルの腕輪を見せて名乗れば、今回は昼間の到着だった事もあってか、すぐに通して貰えた。

 この国にも、もう僕の直接の知人は殆ど居ない。

 以前、国中のドワーフの学校を回って子供達に大陸の話をした事があるけれど、あの時の子らも既に世界から旅立ってる。

 それだけの時間が過ぎていた。

 なのにこんなにもスムーズに入国が適うのは、アズヴァルドが王としての最後の命令で、僕の事を言い伝えるようにとドワーフの民に指示をしたからだ。


 ドワーフの友にして、国の民。

 そしてドワーフの王にすら匹敵する名工と、僕を称して。


 実際のところは、どうなんだろうか。

 今のドワーフの王は知らないけれど、最盛期のアズヴァルドには、まだ追い付けた気はしない。

 あぁ、でも、剣や刀に限定してなら、彼に劣らぬ物が打てるとは思う。


 いずれにしても、その言い伝えのお陰で、僕は止められる事なくドワーフの国に自由に出入りできていた。

 見知らぬドワーフ達も、僕を見て、腕輪を見て、納得したように頷く。

 自分は相手を知らぬのに、相手からは知られてるというのは、一人や二人ならともかく、国中の皆がそうだと、少しばかり妙な気分にさせられる。


 だがまぁ、取り敢えずは宿だ。

 ヒイロの背に揺られる旅は、楽ではあるけれど動き回れる自由は少ない。

 睡眠、食事にも向かぬから、僕は今、割と眠いし腹も空いてる。

 墓参りに向かうのは、腹を満たして一眠りし、夜になってからでいいだろう。


 ドワーフの国には自国民以外の出入りが殆どないから、宿が片手の指に足りない程度しかない。

 ただ最近では稀にエルフのキャラバンが大切な取引の為にわざわざドワーフの国までやって来たり、或いはドワーフがたまの贅沢として外泊と食事を楽しむ事があるので、数少ない宿はどれも少し洗練されて高級な物になってる。

 宿泊を申し出ると、宿の主人は大喜びで僕を部屋に案内してくれた。

 鍛冶師以外の仕事をしていても、ドワーフの民は殆どが鍛冶に対する思い入れがあるし、名工に対する畏敬の念が強い。

 まして僕は、一応はドワーフの王に匹敵する名工って事になってるらしいから、宿の主人は宿泊を歓迎してくれたのだ。


 ありがたい話ではあるけれど、別に自分が何かをした訳でもないので、どうにもむず痒く思ってしまう。

 尤も宿の主人が張り切って用意してくれた食事は、食材はドワーフの国で得られる物ばかりだけれど、手は込んでいて美味しかった。

 例えば、メインの山羊肉のステーキも、単に焼いてるだけじゃなくて何かしらの工夫を凝らしているらしく、臭みを殆ど感じない。

 僕は以前、ドワーフの国にはそれなりの期間滞在したから山羊肉も別に苦にしないけれど、独特の臭みを苦手とする人もいる。

 しかしこの宿で出された山羊肉のステーキは、臭みは感じないのに旨味は強く、またしっとりと柔らかかった。


 一体どういう魔法だろうか。

 食べてみても全くわからない。

 熟成か、燻製か、それとも塩水に漬けてたか、僕にはそれくらいしか考えつかないけれど、きっと違うのだろう。

 調理に山羊乳から作ったバターを使ってる事は何となくわかったが、それだけで肉の臭みが消えるとは思わないし。

 恐らく何らか、手間暇の掛かる方法で肉を美味しくしてる。


 そしてそれは肉料理だけでなく、スープもサラダも、芋粉のパンも、全てがそうだ。

 墓参りの土産には酒を選択したから、今は酒精を入れる気はあまりなかったのだけれど、料理の美味しさについつい杯を重ねてしまう。

 もちろん、泥酔する程ではないけれど。


 食事と酒で重くなった腹を抱えて部屋に上がり、ベッドにゴロリと横になれば、酒気のせいか、眠気はすぐに訪れた。

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