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 草木や竹等で作られたのであろう庵は、ハッキリといって質素な代物だ。

 取引相手との会談に使うなら、ケイレルもいっていた町中の官衙とやらの方が向いている。

 だからこそ、この庵に招かれた事は間違いなく特別扱いだった。


 パンタレイアス島でのアイレナが、客人をキャラバンの出張所ではなく、僕らの家でもてなそうとする感じか。

 つまり基本的にはあり得ない事だ。

 そして仮にそれをするならば、満たさなきゃならない二つの条件がある。

 まず一つ目は、アイレナが自分の私的な空間に招いてもてなそうとするくらいに大切な客人である事。

 二つ目には、その客人がそれを特別な扱いであると理解し、喜んでくれる相手である事だろう。


 大きな屋敷を構えてるなら、客人をそこに招いて懐に入れるパフォーマンスをする場合もあるだろうが、この庵も、僕らが住む家もそうじゃない。

 そんな場所に招いては、本来なら失礼にすらなるからこそ、理解してくれる大切な相手のみを招く。

 本当に特別扱いだ。


「参られたか。エルフのキャラバン代表者、ケイレル殿。前代表者、アイレナ殿。お二方とは久しく。変わらぬ森人の方の姿には安堵しますな。……それから真なる人、エイサー殿。はじめてお目に掛かります。私が長蛇公と呼ばれる者です」

 庵の中で僕らを出迎えたのは、鋭い目つきの壮年の男性。

 やや痩せ気味の鋭利な輪郭が、神経質な印象を抱かせる。

 他に特徴といえば、艶やかな黒髪と髭を長く伸ばしてる事だろう。

 蛇……、なるほど、これが長蛇公か。


 まず今回の会談の主役であるケイレルが、それからアイレナが挨拶を返すのを待ってから、僕は長蛇公を前に口を開く。

「はじめまして。エイサーだよ。僕は単なる付き添いみたいなものなんだけれど、出迎えにソレイユを寄こしてくれて、サイアーの子孫にも会わせてくれた事、本当に嬉しかった。ありがとう、長蛇公」

 伝える言葉は、感謝しかない。

 出迎えで受けた心遣いは、何よりも嬉しいものだった。


「喜んでいただけたのなら重畳。貴方はこの黄古帝国にとって、いや、我々仙人にとって、他の誰よりも重要な客人だ。尤も、安易に歓迎してはならない客人でもあるが……、それでも私は、貴方に深く感謝をしてる」

 長蛇公は僕の言葉に少しだけ唇を緩めて、……それから何やら気になる言葉を口にする。

 重要な客人というのは、まぁわからなくもない。

 歓迎してはならない客人というのも、そりゃあそうだろう。


 同じ古の種族として真なる竜に影響を与えかねないハイエルフは、仙人にとっては丁重に扱うべき、けれどもなるべくなら国内に招き入れたくはない相手だ。

 特に僕は、ハイエルフの中でも活発に動き回ってる方だから、そういう扱いになるのは頷ける。

 ただ、感謝って何だろう。

 仙人達、というよりは長蛇公が個人的に、僕に感謝するような事ってあったっけ?


 僕は疑問を抱いたけれど、しかしそれを問い質す暇もなく、

「エルフのキャラバンの方々が参られた用件はおおよそ察しております。先触れの書状もいただきましたしな。しかしそれでも、まずはお聞かせ願いたい。ケイレル殿、今回の会談で何を話し合おうと仰るのか」

 長蛇公の言葉に、エルフのキャラバンの代表者と、黄古帝国で海洋貿易の全てを司る青海州の統治者による会談が始まった。



 正直に言うと、僕は金勘定の話は苦手である。

 昔、深い森から出てきてすぐ、ヴィストコートの町で出会ったアイレナに、硬貨の種類や価値を学んで覚えたけれど、金銭感覚はいい加減だ。

 手に職があるからだろうか、それとも森に入れば飢える事がないとの自信があるからか、何というか、お金はなくなったら稼げばいいって感覚が根底にあった。


 尤も子育てをしてる時は貯蓄がなければ困る場合もあるし、何よりも子供に金銭感覚を教える必要があるから、色々と気にはするんだけれど……。

 それが終わると適当に戻る。

 後、こういう事を言うのはなんだが、アイレナと一緒にいると、彼女がお金持ちなので、緩々と稼ぐだけでも別に困る事ってそんなにないし。


 だから基本的に、巨大な商会と東部で最大の国の商取引なんて、話に付いて行ける筈がないと思ってた。

 いや、実際についていく事は無理だし、口なんて挟めないんだけれど……、不思議と彼らの話は理解できる。

 もちろん僕の能力が急に向上する訳もないから、ケイレルと長蛇公が、わかり易く話してくれているのだろう。

 彼らは共に、商業に関わってる時間が人間とは桁違いに長いから、そんな真似もできるのか。


 ケイレルの主張は、エルフのキャラバンとの取引は黄古帝国にも大きな利益を齎すし、これまでだって齎してきた筈。

 一方的にエルフのキャラバンが利を貪るような事はなく、誠実な取引を行ってきたと、事実に基づいての訴えだ。

 ただその言葉が、長蛇公の心に響いた様子はなく、ケイレルの表情には焦りがある。

 決して悪い話ではない、利も十分にある話の筈なのに、どうして長蛇公の反応が思わしくないのか、それを頭で考えても理解できなくて。


 だけど僕は、恐らく僕が金勘定にあまり興味がないからだろう。

 長蛇公の考えが、全てではないけれど、一端はわかったような気がする。

 恐らく長蛇公は、黄古帝国とエルフのキャラバンの双方に、敢えて大きな損をさせたいのだ。

 前提が正反対なのだから、ケイレルの言葉が長蛇公に届く筈もなかった。

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