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「あの、エイサー様。その、よろしかったのでしょうか」

 空を飛ぶヒイロの背で、アイレナが、実に珍しく遠慮がちに言葉を発した。

 でも僕は彼女の言葉の意味がわからずに、首を傾げる。

 一体、何がよろしかったんだろう?

 南の大陸のハイエルフ、リリウムとの話し合いは、……いや、話し合いというか単なる挨拶だったけれど、それなりに上手く終わったと思うのだけれども。


 何か伝え忘れた事でもあったっけ?

 頭を捻って考えてみても、特に思い当たる事はない。


「いえ、エイサー様は子供がお好きですから……」

 尚も言い淀むアイレナに、僕はようやく得心する。

 あぁ、なんだ。

 そんな事か。

 どうやら彼女は、リリウムが口にした戯言を真に受けて、それを気に病んでいるらしい。


 確かに僕は子供が好きだ。

 あの集落の、ハイエルフの子供達と接する事ができなかったのは、少しばかり残念に思ってる。

 でもだからって、僕がリリウムとの間に子供を作りたいと思う訳がないじゃないか。


『それとも、貴方はこの地のハイエルフを増やす事に協力してくれるのか?』

 元よりこの言葉だって、リリウムは僕が断るとわかって言ったのだろう。

 知り合った経緯が経緯だけあって、お互いに向ける感情は、好意と呼ぶには遠い物だ。


 いやそもそも、僕は僕が選んだ好きな人と時間を過ごしたいし、ハイエルフの集落に籠る生活だって望んでいない。

 アイレナは、わかってくれてると思ったんだけれど、いや、わかっていても、それは頭を過ぎってしまうのか。

 実際、僕はハイエルフとして、種を増やす事に貢献していない生き方をしてて、それは本当に少しばかりだが、引け目のような物は感じていた。

 ただそれは、僕は自分で選んだ道の結果で、故郷の深い森の同胞には申し訳ないと思いつつも、納得して消化もしてる。


 ……けれども、僕が消化してる心算でも、アイレナはそれを感じ取ってしまっていたのかもしれない。

 誰よりも長く、時間を一緒に過ごしてる彼女だからこそ、敏感に。

 或いは、アイレナ自身も似たような事を考えた事があるのだろうか。


「子供は、もう二人も育てたよ」

 僕は少し考えてから、笑みを浮かべてそう言った。

 アイレナに対して、歯の浮くようなセリフを囁ける性格なら良かったのかもしれないけれど、僕には多分向いてないから。

 故に今は、子供を育てたという成果の方を強調してみようと思う。

 ウィンの時は親としては中途半端で未熟だったし、ソレイユに対しては親か祖父かで迷いもしたけれども。

 結局は二人とも立派に育ってくれた。


 もちろん、ウィンやソレイユを引き取ったような出来事があれば、僕は再び子育てをするだろう。

 だが今は、そう、二人の子供が無事に成長してくれた事に、深く満足してるのは本当だ。


「……はい」

 その言葉に、納得してくれたのかどうかはわからないけれど、アイレナも薄く笑みを浮かべて頷く。

 もしかすると僕を気遣ってくれたのかもしれないが。

 だから僕は手を伸ばし、ヒイロの背の上に置かれた彼女の手に、重ねた。



 それから後は、上空から巨人が人々を大陸に戻した場所を探し、けれども接触はせず、離れた場所から彼らの暮らしぶりを探る。

 大陸に戻された人々は、既にそれぞれが自らの暮らしやすい場所を選び、移り住んでる。

 人間は川沿いの平地に、エルフは森に、ドワーフは山に、獣人は草原にといった具合に。


 このうち、エルフとドワーフに関しては、特に支援の必要はなさそうだった。

 エルフは予想してた通り、森からの恵みを得れば生きてはいけるし、そもそも代替わりをしていない。

 そしてドワーフは、埋もれた自分達の王国を掘り出し、既に再建を始めてる。

 地下に作られたドワーフの国は、地上が竜の炎に焼き尽くされた後も、ある程度は形を留めていたのだ。

 鍛冶を行う炉に関しても、ドワーフ達の秘宝である地の熱を取り出す炉が壊れずに残ってる様子だったから、……彼らの手により、遠からず南の大陸にも鉄製品が出回るかもしれなかった。


 敢えて言うなら、今の南の大陸では酒が全く手に入らないから、それがドワーフ達に必要な支援だろうか。

 あぁ、北の大陸からは、鉄製品を運ぶのではなく酒を運び、それをドワーフの作る鉄製品と交換し、それを人間や獣人に渡して支援とするのがいいかもしれない。

 悩ましいのは、どうやって森に引き籠るエルフを外の世界と関わらせ続けるかだけど……、まぁ今すぐ結論が必要という訳じゃないし、持ち帰って相談すればいいだろう。


 僕とアイレナが北の大陸に戻れば、南の大陸への支援計画は本格的に動き出す。

 人魚との契約を結び直した事で、北と南の道は再び拓かれた。

 以前の大陸間の交易は、人魚の協力があっても尚、非常に危険が多かったと聞く。

 エルフが船に乗り込めば、その危険も幾らかは減じるだろうけれど、きっとそれでも安全には程遠い。

 最初は僕も船に乗り込んで、北から南へと移動する。

 その時にどれだけ問題を洗い出せるかが、今後の成否にも関わりそうだ。


 今回、僕は南の大陸に視察に来て良かったと感じてる。

 人魚の生活に興味が湧いたし、美味い魔物も見付けた。

 回復した南の大陸の環境は素晴らしく、僕の心を昂ぶらせてくれて、それからリリウムにはサピーの、僕と同じく前世の記憶を持ったハイエルフの事を、少しだけ聞けた。

 何よりも、アイレナと新しい物を見て回る旅は、実に楽しかったから。


 南の大陸への支援が始まるのはまだまだこれからで、僕もアイレナも、暫くはとても忙しくなる筈だ。

 だけどその忙しさも、後から振り返れば良かった、楽しかったと思えるように、精一杯にやってみよう。


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