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 あまりに突然の提案に、僕は思わず笑ってしまう。

 そんな心算なんて欠片もない癖にと思いながら。

 大人のハイエルフ達が子供を残して地に還ったというのなら、僕が頷けば相手はリリウム以外にいない。

 だけど彼女にとって、僕は最も嫌いな相手だろうに。


「いや、やめとくよ。僕は自分の子供は自分で育てたい方だし、それに北の大陸、僕が生まれたあの場所を愛してるからね」

 僕はリリウムに睨まれながら、けれども笑いは止められずにそう言った。


 今、南の大陸にハイエルフの数が足りていないのは本当だろう。

 人間の帝国との戦いと、更に大人達が身体を地に還した事で、ハイエルフの数は大きく減っている。

 だがそれでも、今の子供達が大人になり、子を作って子を作って子を作れば、千年もせずにその数は元に戻る筈。

 別にリリウムが無理をして、嫌いな相手との間に子供を求める必要なんて、どこにもない。


「そうか。では先程も言った通り、できる限り早くこの地を……、あぁ、いや、待て、もう顔を合わす事もないだろうから、最後に一つだけ聞かせて欲しい」

 僕の答えに、彼女はやはりつまらなさそうに鼻を鳴らして、……しかし不意に、何かを思い付いたように呼び止めた。

 はて、一体どうしたのだろうか。

 確かにリリウムの言う通り、この地での活動の許可さえ貰えれば、もう二度と彼女と顔を合わす事はないだろうけれども。


 思わず首を傾げた僕に、リリウムは何とも言い難そうに、考え込んで言葉を選ぶ。

 その様子に、僕は彼女を急かす事なく、じっと黙って続きを待つ。


「貴方はアイツに、少しだけ似てる。だから教えて欲しいのだけれど……、どうすればアイツはあんな事をせずに済んだ? 貴方はどうしてアイツのようになってない?」

 そしてリリウムの口からこぼれた疑問に、僕は納得して頷いた。

 あぁ、なるほど。

 彼女は、僕が前世の記憶を持つハイエルフだとは知らない筈だけれども、件の彼と、似た匂いを感じたのだろう。

 ハイエルフという生き物は、そういった勘は鋭いから。


 だけど、まぁ、それは実に難しい質問だ。

 僕はその彼を、南の大陸に帝国を築き、故郷に戦いを挑んだハイエルフを直接は知らない。

 故に言える事は、……あぁ、でも一つだけあった。


「彼が、君を殺さなかったのは、君を殺したくなかったからだろうね。もしも彼が、君と同じように他のハイエルフを殺したくないと思ったなら、きっと何も起きなかったよ」

 いや、別にハイエルフに限った事じゃない。

 その彼が、もっと多くの大事な物を持ってたなら、それを大事に抱えて生きただろう。

 ただリリウムには、ハイエルフに限って話をした方が、通じ易いと思ったから。

 僕は彼女にそう告げる。


 これは勝手な予想だけれど、リリウムはその彼から、大いに影響を受けたハイエルフだ。

 彼女は感情を露わにし過ぎるし、ハイエルフを代表して黒檀竜を目覚めさせる程に強い。

 他のハイエルフが地に還る道を選んでも、一人で残って種族を支える事のできる心の持ち主だった。

 僕の好きな言い方をすれば、変わり者である。

 それ故に、他のハイエルフもリリウムに戦いや、後の事を任せたのだろう。


 だからこそ彼も、リリウムには生き残って欲しかったのだと思う。

 もちろんそれは、僕の勝手な想像だけれど、彼女が言う通りに、僕と彼に似た部分があるなら、きっとそうだ。


 自らの滅びを願う気持ちは、少しだけだがわからなくもなかった。

 この世界への愛情がなければ、僕だって或いはそんな風にも思ったかもしれない。

 でも彼にも、愛すべき対象がなかった訳じゃないのだ。

 もしもそれがもっと多くて、自分なんかよりもずっと重ければ、全てを引き換えに滅びを招く真似なんてしなかった筈。

 そんなの本当に今更で、全てを言葉にするのは野暮が過ぎるってもんだろうけれども。


「……そう。わかった。すまない、北の同胞。気を使わせた」

 僕の言葉に、まるでリリウムは痛みをこらえるような表情で、頷く。

 全てを口にした訳ではないけれど、彼女はおおよそのところは察したのだろう。

 何とも彼は、悪い奴だ。


「じゃあ、僕からも一つだけ質問だ。彼はこの森で、いや、君からどんな風に呼ばれてたの?」

 リリウムとはもう二度と顔を合わす事はないだろうから、僕も最後に一つ質問をする。

 この森で何て呼ばれてたかは、どうでもいい。

 ハイエルフには名前はなく、呼ばれ方があるだけだ。

 前世の記憶があるハイエルフにとっては、呼ばれ方も名前も然したる違いはないけれど、彼が名前として選ぶのは、リリウムからの呼ばれ方だろうと思うから。


「ムクロジの子、サピンドゥスと……、いや、私は……、サピーと呼んでいたよ」

 そう口にして、俯くリリウムを残して、僕は不死なる鳥、ヒイロの背に上る。

 今の彼女を慰める資格は、僕にはない。

 もちろんもうこの世界にはいないサピーにもない。

 その資格を有しているのは、これから先を彼女と共に歩む者達のみだった。


 リリウムに散らされた風が、再び彼女の周りに寄ってくる。

 心配するように、寄り添うように。

 いや、風だけじゃなくて、幾つもの小さな気配が木々の影から覗いてた。


 今、僕はもうこの場において邪魔者でしかない。

 僕がヒイロに乗って飛び立てば、ハイエルフの子供達はリリウムの傍に寄って来るだろう。


「ありがとう、サピーの名前は、覚えておくよ」

 敢えてサピーという言葉を名前と称して、僕はヒイロの背を叩く。

 ヒイロは大きな翼をはためかせ、バサリと大空に舞い上がった。

 そう、サピーの名前は、僕が覚えておこう。

 少し似ている同類として。


 だからリリウムは、サピーを覚えていても、忘れてしまっても、どちらでもいい。

 この世界に生きる彼女は、これから先も自分の時間が終わるまで、ずっと生きていかなくてはならないから。

 大切に抱えて生きるものは、リリウム自身が決めればいいのだ。


 僕は、もう道が交わらぬであろう南の同胞の、少しでもより良い時間を願って、ハイエルフの集落を後にした。

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