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 漸く南の大陸へと到達した僕達だったが、しかしまだヒイロの背中から降りはしない。

 だって、この辺りの地理もわからないのに、適当に歩き回るには南の大陸は広過ぎる。

 黄古帝国の仙人達からの手紙には、巨人が人々を大陸に戻した場所の特徴は書いてあった。


 まずは空からその場所を探し、……後は南の大陸のハイエルフにも、話を通しておいた方がいいだろう。

 普通のエルフならともかく、ハイエルフである僕が南の大陸で活動するなら、それは通すべき筋である。


 ただ過去のいきさつを思えば、正直に言うとこの大陸のハイエルフと顔を合わせるのは気が進まない。

 僕は勝者で、彼らは敗者だ。

 こうして僕が南の大陸に戻された人々を支援しに来た事も、こちらのハイエルフにとっては嬲られてるようにすら感じるんじゃないだろうかと、そんな風に思ってしまう。

 考え過ぎかもしれないけれど、どうしても気は重かった。


 尤も、そうは言ってもここまで来て、気が向かないから帰ろうなんて真似ができる筈もない。

 それこそ間違いなく、アイレナから叱られてしまうし。

 まぁ気まずさを別にすれば、さっきも言ったが僕は勝者だ。

 今回の件は巨人からの頼みでもあるし、南の大陸のハイエルフが僕らの活動を拒絶する事は、考え難かった。


 ……行くしかないか。

 乗ってる背を軽く叩けば、僕の意を察したヒイロはこの南大陸の中央を目指す。

 ハイエルフの集落はわかり易く、北も南も大陸のど真ん中だ。


 大陸の中央部、力の流れの中心点に不死なる鳥が己の肉体を埋め、芽吹いた命をハイエルフが広げる。

 終わってしまったばかりのそれは、一体どんな光景だったのか。

 さぞや素晴らしかったに違いない。

 新しく生まれ変わった南の大陸の、濃く強い自然の姿を見れば、それは容易に想像が付く。


 尤も僕は、世界の生まれ変わりよりも、知人やその子孫達が生きる今の世界が存続する事を望んだのだから、当然ながら生まれ変わる最中の世界の姿を見る資格はなかった。

 それがどんなに素晴らしかろうとも、僕だけはそれを羨んではならない。


 何かを選べば何かを失う。

 それが当たり前なのだ。

 たとえハイエルフであろうとも、選ばず失った何かに手を伸ばす事は、許されない。


 南の大陸には、全てを捨てて自らの滅びを選んだハイエルフがいた。

 その選択はとても愚かしく、周囲に多大な被害を及ぼしたけれど、……あぁ、一度は話してみたかったなと思う。

 別に僕と話したからって、そのハイエルフの選択は変わらなかっただろうし、変える気もないのだが。

 ただ、楽しく話せたとは思うのだ。



 見下ろせば、果てしなく広がる大樹海。

 そしてその中央に、ハイエルフの集落は存在してる。

 グルグルとその上空を旋回するヒイロの背から、僕は先触れの風を集落へと送った。

 待つ事暫し、返戻の風が送られて来たので、僕はヒイロに指示を出し、ハイエルフの集落の開けた場所へと着陸させる。

 そして僕は一人で、ヒイロの背中から降り立った。


 ハイエルフとの話し合いの場に、アイレナを同席させる事はしない。

 僕で慣れた彼女は、今更他のハイエルフを見ても怯んだりはしないだろうが、それでも遠慮は出るだろう。

 別に喧嘩をしに行く訳じゃないけれど、付け入る隙はなるべく見せないに越した事はなかった。

 それに、もしも南の大陸のハイエルフが、アイレナに対してエルフだからと横柄な態度を取った場合、僕だって喧嘩腰にならない自信はないから。

 見えてるトラブルは避けた方が無難だ。


 けれどもこのハイエルフの集落は、どうにも雰囲気が妙だった。

 探るような風は幾つも飛んで来るから、ハイエルフは居るのだろうけれども、……その風が実に拙い。

 まるでこれは、子供が操る風のよう。


「やはり貴方か。北の同胞、楓の子。私を打ち負かしたエイサー。一体何用でこの地に来た?」

 向こうから、一人のハイエルフが現れて、こちらに向かって歩いてくる。

 実に嫌そうに顔を顰めた彼女は、以前に僕と争った、北の大陸をも滅ぼそうとして僕に阻止された百合の花、リリウムだった。

 あぁ、返戻の風が来たからわかってたけれど、やはり彼女が出て来たか。


 ……いや、もしかするとこれは、リリウムが出てくるしか他に選択肢がないのだろうか。

 遠くから、この場を見ている風の全てが、とても大人のハイエルフが制御してるとは思えない程に拙い物ばかりである。


「単なる挨拶だよ。南の同胞、百合の花。もしかすると巨人から聞いているかもしれないけれど、南の大陸の人々を支援する事になっててね」

 僕が周囲の風を気にしつつそう返すと、リリウムは興味なさげに鼻を鳴らした。

 やっぱり彼女は、以前に会った時も思ったが、ハイエルフにしては露骨に感情を顔に出す。

 根が素直な性質なのだろうか。


「でも思ったよりずっと早くに、この大陸の自然環境は回復したんだね。驚いたよ」

 ふと思い付き、僕は賞賛交じりの、探りの言葉を口にする。

 別におだてようって訳じゃない。

 南の大陸の環境が回復した速度は、確かに僕の予想外だった。

 もっと数百年を掛けてゆっくりと回復するのかと思いきや、僅か七十年しか必要としなかったのだ。

 余程に南の大陸のハイエルフ達は、南の大陸の環境を回復させる為にその身を裂いたのだろう。


「それが我らの役割だ。お陰で大人のハイエルフは、もう私しか残っていないがな」

 だけどリリウムはそれを誇るでなく、物憂げにそう口にした。

 あぁ、やはりそうなのか。


 ハイエルフの不滅性は魂にある。

 死後、魂は精霊となって、世界の終わりまで存在し続けるという。

 しかしその器であった肉体も、やはり特別な力を秘めていた。

 成長はしても老いない肉体なんて、そりゃあ普通じゃないに決まってる。


 北の大陸では、不死なる鳥の眠る場所に、ハイエルフの長老達は自らの肉体を還していた。

 肉体に秘めた力を不死なる鳥の滋養とし、深い森の環境を支え、周囲を取り囲む大樹海をも維持する糧とする為に。

 もし仮にハイエルフがその他の場所で死を迎え、肉体を地に還したならば、そこには大きな森が生まれるだろう。


 つまりは、そう、南の大陸のハイエルフ達は、自らの肉体を以て環境を回復させたと、恐らくそういう事なのだ。

 帝国に攻め込まれた彼らに、果たしてどれ程の生き残りが居たのかを、僕は知らないが。


「皆、新たな子を作って逝ってしまった。私はその子守として残されて、……一応は長老という事にもなっているな」

 弱音ではなく、愚痴でもなく、ただ事実を並べただけの言葉なのだろうけれど、実に重い。

 でも何となく、他のハイエルフがどうしてリリウムだけを残して地に還ったのか、その気持ちはわかった。

 地に還ったハイエルフ達は、人間に対する憎しみか恐怖のどちらかが、或いはその両方が、どうしても捨て切れなかったのだろう。


 だがリリウムは、黒檀竜を目覚めさせることで復讐を果たして恐怖を克服し、憎しみは僕に圧し折られたハイエルフだ。

 故に他のハイエルフ達は彼女に後を託し、新たな子供達に自らの恐怖と憎しみを引き継がせない為、地へと還った。

 それはとても弱い選択で、リリウムに責任を押し付けたようにも感じるけれど、……仕方がないのか。

 強い選択を取れるハイエルフは、リリウム以外は、人間の帝国との戦いで先に死んでしまったのかもしれない。


「だから私は、そうは見えないかもしれないが、これでもそれなりに忙しい。貴方の用事がそれだけならば好きにして構わないから、なるべく早く終わらせてこの大陸から立ち去ってくれ」

 リリウムは手を振り、自らの風で周囲の風を追い散らす。

 子供が好奇心から来客にちょっかいを出そうとするのを、嗜めるように。

 確かに、彼女はハイエルフの子守であり、同時にこの集落の長老だ。


「それとも、貴方はこの地のハイエルフを増やす事に協力してくれるのか?」

 そして子供達の目がなくなってから、彼女は僕にそう問うた。


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