336
ソレイユは、沢山悩んで、沢山考えて、その答えを出した。
掛った時間は三ヵ月。
白狼道士は島に居つき、今は出張所の方で寝起きをしてる。
僕も色々と話をしたが、それとは別にアイレナも、幾度も相談を受けてたらしい。
少なくとも長い時間を生きる事に関しては、僕ら以上の相談相手は、そう転がってるものじゃないだろう。
変わった生き方が素晴らしい訳じゃない。
ソレイユの背負った運命は数奇だが、それでも平凡な生き方を選ぶ事はできる。
平凡な生き方の中にも喜びは少なからず詰まってて、だからこそ人は明日を生きていく。
むしろ変わった生き方をした方が、その生の中に喜びを見出す事は、難しいんじゃないだろうか。
自分だけの価値観で、自分の生は良い物なのだと評価しなくちゃならなくなるから。
長い時間を生きれば、多くの苦しみを味わう事になるし、飽いて倦む。
もちろん多くの喜びを味わえる場合もあるけれど。
だがそれでも、ソレイユの出した結論は仙人への道を歩む事だった。
やはり彼女には、幼い頃から共に過ごしたあの鷲、シュウとは別れ難かったのだろう。
正体が露見してからもあの鷲は何事もなかったかのように、単なる鷲として振る舞ってる。
それが少し腹立たしかったので、聖なる鷲は焼き鳥にしたらさぞや美味しいのだろうかとの考えがふと頭を過ぎったら、大慌てで逃げていったから、やっぱり単なる鷲ではないんだろうけれども。
……また、ソレイユはウィンには会わないらしい。
少なくとも自分から、会おうと、会いに行きたいとは思わないそうだ。
僕はウィンもソレイユも愛してるし、ウィンはソレイユを愛してる。
それは間違いないのだけれど、ソレイユがウィンを愛するかどうかは、僕にはどうしようもない事だった。
やっぱり、ずっと本人がいないと色々と難しい。
ただウィンの方から、これから彼女が過ごす黄古帝国まで訪ねて来たなら、その時は決して無碍にはしないと、僕に言った。
「私は、その本当の父親を石の像以外では見た事もないけれど、その人が本当に私を想って、父様と母様に預けたのはわかってるから。会いに来たら、きっと私は嬉しいよ。だって父様が育てた、私の兄のような人でしょう?」
なんて風に、ソレイユは笑う。
ウィンは兄ではないと思うのだけれど、いや、うん、そう言われたら仕方なかった。
父だろうと兄だろうと、繋がりがあるだけきっと良い筈だ。
それが嫌なら、ウィンが自分でソレイユの認識を変えるしかない。
きっと彼は、今更合わす顔なんてないと思ってるのかもしれないけれど、そんな事はないと思う。
だけどそれも、僕から促してウィンを動かしても意味はなかった。
もう大人になったのだから、どうしたいかは自分で決めなきゃいけないのだ。
取り敢えずウィンにはソレイユが決めた道を手紙で報せるが、彼は一体どうするだろうか。
ソレイユが自分の進む道を決めてから一ヵ月後の、黄古帝国に旅立つ前の夜。
僕が何となくしんみりと、家の外で月を見ながら、東部から運ばれてきた米酒を飲んでると、その隣にソレイユが座る。
「明日だね」
どこか他人事のような口調で、ソレイユは言う。
まだ実感がわかないのだろうか。
彼女はまだ、このパンタレイアス島から出た事がない。
エルフのキャラバンの出張所で手伝いをしてたから、外に世界が広がっていると知識ではよく知ってる筈だが、実際にどのくらいに世界が広くて、黄古帝国がどんなに遠いのか、想像は及びにくいのだろう。
「黄古帝国まで、送って行こうか?」
ふと、僕がそう問えば、ソレイユは笑って首を横に振る。
そうか、不要か。
何だか本当に、随分と慌ただしい巣立ちになってしまったなぁと、そう思う。
人間の子供の成長が早過ぎるのは仕方ないが、もう少し穏やかな形が良かったなぁと、黄古帝国の仙人達を恨む。
「母様は、長く生きると色んな事があって、沢山の人と別れなきゃいけないけれど、父様だけは自分より先に死なないし、たとえ死んでも自分を一人にしないから、安心して生きていけてるって言ってたよ」
僕がちょっと不貞腐れた顔をしてたからだろうか、ソレイユはそんな事を言い出す。
あぁ、そうだ。
それがアイレナが、僕と一緒にいる理由の一つだ。
もちろん一つでしかないけれど、それは彼女にとって大きな意味を持つ。
「でも父様は、母様が居なくなった後、一人になっても平気なの?」
だが続く問い掛けは、僕には少し刺さる物だった。
果たしてその時、僕は平気だろうか?
……恐らく、平気だとは思う。
カエハや、アズヴァルド、大切な人は多く居たけれど、その殆どはもう居なくなってしまった。
ウィンだって、もう、そんなに長い時間が残ってる訳でもないだろう。
それでも僕は、今日も笑えてるし、明日も笑える。
ただアイレナとの別れは、数百年も後の話だ。
それはハイエルフである僕からしても、それなりに先の未来である。
僕がその時も、今と変わらずに大丈夫だと言い切れているかは、ちょっとわからない。
こんな事、アイレナにはもちろん、ソレイユにも絶対に言えないけれど。
「だけど私が仙人になれば、父様だけがこの世界に残されるなんて事はないよ」
そしてソレイユの口から出たその言葉に、僕は思わず、返す言葉を失った。
あぁ、あぁ、なんて事だろう。
この子が、そんな風に考えていたなんて。
ハイエルフが長く生き、その後に精霊となるのは、そう生まれた僕の宿命だ。
それを変えるには、それこそ大陸を道連れにする程の罪を犯し、竜の炎に焼かれるくらいしか、方法を知らなかった。
だからそんな事に、人間としての時間を生きるソレイユが巻き込まれる必要なんてない。
少なくとも今の僕は、それを受け止めて納得し、前向きに歩けてるのに。
「馬鹿だなぁ」
僕は何とか良い言葉はないかと探し、だけど思い付かずに、そんな風に呟いて、手を伸ばしてソレイユの頭を乱暴に撫でる。
とても優しくて、馬鹿な子だ。
まぁ、今更僕が何を言っても、彼女が選択を変えない事はわかってた。
だから無駄に、ソレイユの意思を曲げようとは思わない。
それでもやっぱり、馬鹿だなって呟いてしまうけれど。
懐を漁り、僕はソレイユに一通の手紙を渡す。
「これは?」
躊躇いもなく、即座に開けようとする彼女を、僕は慌てて押し留める。
本当に、馬鹿だなぁ。
ソレイユへの手紙じゃない。
彼女への手紙なら、少なくとも今じゃなくて船に乗る前とかに渡すし、仮にそうであっても、僕の目の前で開けたら駄目だろうに。
「黄古帝国の仙人達への手紙だよ。娘をよろしくって。何かあったら、王亀玄女か白猫老君を頼るんだ。その二人なら、きっと君に良くしてくれる」
僕がそう言えば、ソレイユは納得したように手紙を懐に仕舞う。
手紙の内容は、本当に仙人達に彼女の事を頼んでるだけだ。
ただ僕を知る仙人達なら、そのよろしくの意味も正しく読み取れるだろうってだけだ。
もしもソレイユの身に何かがあれば、その時は僕が黄金竜に会いに行きかねないって。
「竜翠帝君は駄目だよ。アレは胡散臭いからね。長蛇公はお金儲けが好きらしいから、出張所で手伝ってた君とは話が合うかも。鳳母は人の心を掴むのが上手いって聞いてるから、気を付けてね」
言葉を並べながら思ったけれど、僕はやっぱり過保護だろうか。
頷きながら聞いてくれるソレイユに、僕は少しでも黄古帝国の知識を持たせようと、過去の記憶をひっくり返して……、夜は更けていく。
そうして彼女は、僕とアイレナが育てた娘、僕の孫でもあり、ウィンの娘にして妹でもあるらしい、ややこしくも大切な家族は、黄古帝国へと旅立った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます