332


 覚えのある気配がこの島に近付きつつある事を感じ取ったのは、ソレイユが13歳で僕が363歳になった年の冬。

 工房で石を彫ってた僕は手を止めて、大きく一つ、溜息を吐く。


 今、僕が彫っていたのは真なる竜の、黄金竜の彫像だ。

 昨年、ソレイユに出生の話をしてから、彼女は僕やアイレナがこれまでどんな旅をしてきたかって話を、聞きたがるようになった。

 そして特にソレイユが興味を示した話に関しては、僕が像を彫って具体的に姿も見せている。

 例えば、彼女の実の父であるウィンの彫像は、真っ先に彫って見せていた。

 個人的には、どうせウィンを彫るなら子供の頃が良かったんだけれど、それじゃ意味がないって叱られながら。


 他には僕とアイレナの共通の知り合いで、今はもう亡き、鍛冶の師であるアズヴァルドとか、エルフの森の霊木とか、不死なる鳥のヒイロとか、ソレイユが見たいと口にしたものは、僕が石に彫って形にしている。

 ヒイロに関しては、彼女は実際にその目で見ている筈なんだけれど、流石に幼すぎて覚えてなかったし。


 黄金竜の彫像に関しては、家の前に飾れば魔除けにでもなるかと考えて少し大きめの石を彫っているから、それなりに大作だ。

 今日は妙に調子がいいから、はかどるなぁって思ってたのに。

 要らぬ邪魔が入ってしまった。


 僕は大きく伸びをして身体を解し、壁に掛けておいた魔剣を腰に吊るして、工房を出る。

 ふと気付けば、家の前の木にはソレイユが可愛がってる鷲の、シュウが枝に留まってて、僕が来るのが遅いと言わんばかりに甲高い声で鳴く。


「うん、大丈夫だよ。向こうが港に着くには、まだもう少し余裕があるから。……というか君、やっぱり単なる鷲じゃないよね」

 もしシュウがソレイユに迫る悪意を感じ取って僕に警告に来たのなら、流石に単なる鷲とは思えない。

 やっぱり魔物の一種だろうか?

 まぁ何であれ、シュウに人への害意がなくて、ソレイユに懐いているなら、別にいいか。


「取り敢えず君は、ソレイユを見ててあげてくれるかな。場所は、……うん、知ってるよね」

 言葉の途中で枝から飛び立ったシュウに、僕は思わず苦笑いをこぼす。

 通っていた学び舎を卒業したソレイユは、今は出張所でアイレナの手伝いをしながら、色々と学んでる。

 彼女が商人を目指してるのか、それとも出張所の職員を目指してるのか、その辺りはまだわからないけれど、今の時間ならそこにいるだろう。


 そしてシュウは、ソレイユが帰る時間にはまるで迎えのように出張所に姿を現し、彼女の肩当に留まるそうだから、居場所なんて今更の話だった。

 ……何度も繰り返しになるけれど、やっぱり単なる鷲じゃないよなぁと、本当にそう思う。


 さて、シュウが行くならソレイユは心配ないだろうからいいとして、今、船でこの島に近付いているのは、以前のウィンからの手紙に警告があった、ファーダ・フィッチだ。

 港に彼の乗った船が入るまでは、もう一時間くらいだろうか。

 今から港に向かっても、十分に間に合う。


 長くこの地に住んでる僕は、パンタレイアス島、及びその近海の精霊とは気心が知れているから、近付く船も察知できる。

 或いは島に近付く前に船を沈めてしまう事だって、実は容易い。

 でもそんな真似をすれば、ファーダと一緒に船の乗組員だって海の藻屑となるだろう。

 それにまだ、ファーダがソレイユを求めてこの島に来たとは、確定した訳ではなかった。

 九割九分九厘そうだとしても、ほんの僅かに違う可能性は残ってる。


 例えば、……例えば、そう、僕にウィンへの取り成しを頼みに来たとか。

 うん、なさそうだなぁとは思うけれども、それでも敵対するならば、ちゃんと確定してからだ。

 じゃなきゃ僕はソレイユを理由に使って、暴力を振るう事になってしまう。

 それで胸を張って彼女を守ったのだなんて、僕には到底言えないから。

 おおよそ無駄だと思っていても、ファーダに会うところから始めよう。



 港で待つ事暫し、姿を現した船は沖合に停泊する。

 このパンタレイアス島の港は、交易の中継点だけあってかなり開かれているけれど、けれども無制限にどんな船でも入港できるって訳じゃない。

 特に海賊船だったり、兵を沢山乗せた軍船の場合は、基本的に入港の許可が出る事はなかった。


 海賊船は当然にしても、軍船も入港を断るのは、もし仮にその船の目的が港の制圧だった場合、入港させてしまうと防衛が著しく不利になるからだ。

 その軍船の所属する国がこの港を欲するならば、力で制圧に掛かる事だって、絶対にないとは言い切れない。

 故に港に入る事を希望する船は、あぁして一旦沖合に停泊させて、港から小舟を出して確認に向かう。

 海賊船や軍船でなく、また取引の上で不義理を働いた事もない船であれば、入港の許可が下り、空いてる係留場所への案内がされる。

 もちろん幾度となくこの島を訪れて取引を頻繁に繰り返してる船は、専用に確保された係留場所に直接入港したりもするけれども。


 また何らかの理由で入港許可が下りぬ場合も、船が望むなら食料と水の補充は金銭と引き換えに行える。

 窮した船に対して食料や水の補給を断ると、下手をすれば命に係わるし、多大な恨みを買うだろう。

 最悪の場合はそれこそ九死に一生を得る為に、港へと攻め込んできかねない。


 そして僕は、その確認に向かう小舟へと乗り込む。

 小舟の漕ぎ手と入港を審査する職員、及びその護衛は驚いた顔で僕を見るが、それでも咎め立てをされる事はなかった。


 以前も述べたかもしれないけれど、このパンタレイアス島はエルフのキャラバンが開発した港だ。

 だから港で働く人間はほぼ全てがエルフのキャラバンの傘下にあって、彼らもまた同じくである。

 パンタレイアス島で暮らし、エルフのキャラバンに所属する者にとって、僕の行動を妨げてはならないというのは、実は暗黙の了解だった。

 まぁ所属してるのが人間であっても、エルフのキャラバンは、やはり『エルフの』、キャラバンなのだ。

 尤も僕がその暗黙の了解に乗っかる事は、本当に滅多にないのだけれども。


 別に小舟に乗らずとも、水面を歩いてあの船に向かう事もできるが、重要なのはこの小舟に乗って行けば、あの船の入港を止められる。

 ファーダがどれ程の準備をしてやって来たのかは知らないが、僕は彼に島の土を踏ませる気はなかった。

 もし仮にファーダを島に上げる事があるとすれば、それは完全に拘束した状態で、サバル帝国に送り返す船を手配する間のみになるだろう。



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