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小舟に乗った僕が船に乗り込むと、船長であろう男の隣に並ぶファーダ・フィッチは、一瞬忌々し気に顔を歪めてから、すぐに張り付けたような笑みを浮かべる。
相変わらず、自分の表情を隠せない男だ。
僕を探してここに来たなら、もう少しばかり嬉しそうな顔をしておけばいいのに。
しかしあの皇帝の選定で会った時は若者だったファーダも、その顔には十年という時が刻まれていた。
ぐるりと辺りを見回せば、船員と船に違和感を覚える。
どうやらこの船は、サバル帝国の船ではないらしい。
僕はこのパンタレイアス島で何十年も船の出入りを見てるけれど、サバル帝国からの船はもっと、良くも悪くもプライドが高かった。
船体からも船員からも、西部一の大国であるとの自信が見て取れるのが、サバル帝国からやってくる船の特徴だ。
だがこの船にはそれが感じられない。
同じ西部の様式の船ではあるけれど、……恐らくは別の国の船だろう。
自国で船を動かせなかったファーダは、他国に頼ってここに来た。
本来なら、他国の船を動かす方が、獣人である彼には難しい筈なのに。
もしかすると、ファーダはソレイユを確保した後、自分の地位を高める為に使うのではなく、他国に売り払う気なのかもしれない。
けれども入港の為に提出された書類には、この船はサバル帝国の船であると偽りが記されている。
入港を審査する職員がどうしようかとこちらを見るので、僕は一つ頷いて、その前に進み出た。
後ろ手で、ゆっくりと下がって、何時でも海や小舟に逃げれるようにとの指示を出しながら。
「やぁ、久しぶりだね。ファーダ・フィッチ。一時は皇帝の候補者に選ばれる程だったサバル帝国の重鎮が、一体この島に何の用?」
僕がそう問えば、ファーダの目付きは鋭くなり、顔は怒りの為か、薄っすらと朱色に染まる。
もちろん僕の言葉は皮肉だ。
今のファーダは帝国の重鎮どころか、自国の船の一つも動かせない立場らしいし。
そして彼がそうなった切っ掛けは、間違いなくあの皇帝の選定だった。
「あの時、貴方が連れ去った帝国の姫君を、保護しにやって来たのですよ。貴方が攫わなければ、あの方は私がお助けし、お守りする予定でしたからね」
ファーダのその言葉に、僕は思わず溜息を吐く。
以前と変わらず表情を隠せない彼に、僕は成長を感じなかった。
だけどそれどころじゃない。
あの時、皇帝の候補者の一人だったファーダには、その立場に相応しいだけの知性を感じた。
確かに彼は自分が当て馬、道化である事には気付いてなかったが、それはウィンがファーダとその親、ロマーダ・フィッチを敢えて誤解させてたからだ。
なのに今の言動からは、その知性も感じられない。
十年の時を経て、ソレイユは幼児から少女に成長してる。
なのにファーダは、十年前よりもむしろ劣化しているのだ。
その様を、僕はとても惨たらしく感じてしまう。
「帝国の姫君なのですから、祖国で暮らすのが当然でしょう。それをこんな小さな島に連れ去るなんて、許される事ではありません。それでも貴方はウィン様の養父。素直に姫君をお渡し下さるなら、その罪も許しましょう。さぁ、案内してください」
何だが、僕には今のファーダを、直視するのも痛々しく感じた。
もう、いいかなぁ。
やっぱり、思った通りの来訪理由だったし、これ以上は彼の茶番に付き合う意味もない。
「この船は、帝国の船じゃないのに? そして君達が、その姫君とやらの母親を毒殺したのに?」
だから僕は、ハッキリとファーダと、その周囲の船員達に、そう告げる。
人は事の是非を判断する時、耳に触りの良い言葉に流されがちだ。
平和、平等、正しい、当然そうすべき、許す。
そういった言葉を並べられると、全ての事情を知る訳ではない人は、何となく筋が通っているように感じてしまう。
ただそれが本当に真実であるかは別なのだ。
嘘は混ざらぬにしても、一面の実を切り取って都合のいいように誇張する。
確かに僕はソレイユをサバル帝国から連れ去った。
しかしそれはファーダの父が彼女の母を殺し、ソレイユをも狙う可能性が高かった為、父であるウィンが僕に保護を頼んだからだ。
それをまぁ、よくも自分の都合のいいように言えたものだ。
もしかすると今の彼はそれを真実なのだと思い込んでいるのかもしれない。
世の中には、自分にとって都合のいい事こそが真実であると信じてしまえる、不思議な頭の持ち主もいるそうだから。
もちろんそんな戯言に僕が説得される筈はないから、さっきのは僕じゃなくて、一緒にいる入港審査を行う職員に聞かせる為の言葉だろう。
真実を知らぬ職員を惑わし、自分の味方にはならずとも、敵に回らぬようにする為に。
あぁ、もし港の職員が本当に何も知らなければ、或いはファーダの言葉にも耳を傾けもしたかもしれない。
だが詳しい事情を知らぬ職員も、一つだけ真実を知っている。
ファーダの言う姫君、ソレイユが、僕とアイレナに大切に育てられて、何時も楽しそうに笑ってるって事を。
それは耳に触りの良い言葉よりも、ずっと明確にわかり易い事実だ。
「この船が本当はどこに所属してるのかは知らないけれど、虚偽でサバル帝国の名前を騙った以上、責任者は全員拘束して帝国に引き渡すよ。もちろんファーダ、君も含めてね」
僕の言葉に、もはや騙し切れぬと悟ったらしい船長や船員達が腰のカトラスを抜く。
恐らく僕と港の職員を殺し、そのまま逃走しようというのだろう。
今ならまだ、この件に関わった国の名前まではバレていないだろうからと。
或いはそのまま港に攻め入って、ソレイユの身柄を抑える心算なのかもしれない。
大国であるサバル帝国の、前皇帝の娘が手に入るなら、こんな島や商人を敵に回すくらいの事は、大したリスクではないなんて風に、考えて。
いやぁ……、流石にそこまで愚かではないとは思いたいけれど、ファーダの口車に乗ってここまで来るような国の船だし、どうだろうか。
いずれにしても、彼らの狙いが叶う事はあり得ない。
だってそもそも、たかが一隻の船に乗る程度の人数では、少しばかり怒ってる僕に勝てる筈がないのだから。
僕の気持ちに応えるように波は高くなり、ぐらりと大きく船は揺れた。
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