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 小さなソレイユと過ごす日々は時間が経つのが本当に早くて、彼女はもう四歳になっていた。

 パンタレイアス島では僕とアイレナが人間の子供を育て始めた事に関して、色んな噂が流れてる。

 この島は多くの船乗りがやって来るから、色々と娯楽は用意されてるし、大陸の情報にも事欠かない。

 本来ならば一人の子供がそんなに目立つ事なんてないのだけれど、島の最古参である僕ら、特に実質的な統治者でもあるアイレナが、子育てに心血を注ぐ姿は、好奇心を刺激するのだろう。


 それに人間ではあってもエルフの血を引くソレイユは、まだ子供だけれど、人目を集め易い容姿はしてるから。

 まぁ、つまり、可愛いから仕方ないのだ。 


 僕らやソレイユを悪く言う噂は流れてないから、特に対応はせずに放置してるが、中にはあの子供はどこかの王族の隠し子で、トラブルを避ける為にこの島で育てられてるんだなんて、殆ど正解に近い噂も流れてた。

 間違ってる部分があるとすれば、ソレイユの本当の父親であるウィンは、王族じゃなくて元皇帝って辺りだろうか。

 その差は些細だが、だけど最も重要な違いである。

 物珍しさから流れる憶測の、いい加減な噂でも、ソレイユとサバル帝国を結び付けかねない内容だったら、流石に僕もアイレナも、何らかの手を打つ事を検討せざるを得なかっただろう。


 パンタレイアス島には大陸の各地から交易船がやって来るから、西部からの、サバル帝国と関係を持った船の来訪も皆無じゃない。

 いざとなれば僕とアイレナが全力でソレイユを守るだけだが、余計なトラブルは少ないに越した事はないから。


 今、ソレイユの相手はアイレナがしてる。

 尤も相手をしてると言っても、アイレナがソレイユと一緒に辺りを走り回ってる訳じゃない。

 そういう遊びは、どちらかといえば僕の役割だ。

 ついさっきまで、ソレイユが疲れてしまうまでは、実際にそうやって遊んでいたし。


 でも今は、疲れて少し眠そうなソレイユに、アイレナは横笛を吹いて聴かせてた。

 キャラバンで各地を旅してる時、座興の一つとして覚えたらしい。

 そういえばキャラバンでは、紙芝居をしたり、演奏したり、交易以外にも色々と出し物をしてたっけ。


 優しい音色が、流れてる。

 音は空気の振動だ。

 だから僕達、精霊を見る目を持つ者には、その音色に合わせた空気の動き、踊る風の精霊の姿が見えた。

 ソレイユが伸ばした指の間をするりと抜けて、風の精霊は舞い踊る。

 その様子に、笛を吹くアイレナは目を細め、流れる音色はより柔らかに。


 僕はそんな彼女達の様子を暫く眺めてから、手元の手紙に視線を落とす。

 手紙の差出人は、ウィン。

 そこに書かれた内容は、僕がソレイユを連れてサバル帝国を脱した後、何が起きたかの報告だった。



 皇帝の座を退いたウィンは、けれども新たな皇帝の後見人として、一定の権力は保持し続けている。

 そして新たな皇帝は、象の氏族の獣人である、バルバルス・ヴィーダ―。

 穏やかで理知的で、聞き上手の彼だった。


 法を重んじる新たな皇帝の下、サバル帝国は安定していくだろう。

 それまでは戦争の英雄が、自らのカリスマで帝国を率いてきた。

 しかしこれから先は、整備された法の力で帝国は治められていく。

 恐らく、皇帝の選定が始まる前からの予定通りに。


 なのでまぁ、その辺りは別にいい。

 予想はしてたし、驚きはなかった。

 僕が気になるのはむしろ、皇帝に誰がなったかよりも、なれなかった候補者の行く末だ。


 トラクト・ヴォルス、僕とも関わりの多かった虎の氏族の若者は、皇帝になれなかった事で少し落ち込んだものの、然程に時間は掛からず立ち直って、今は帝都の治安を維持する部隊で働いてるという。

 僕が彼への挨拶もなしにサバル帝国を出た件に関してはご立腹らしく、次に会ったら実力を見せつけて見返すだの、それから召し抱えてやるだの言ってるそうだ。

 何というか、相変わらず元気そうで安心したが、トラクトは僕が、ウィンの養父であるって話を覚えてないんだろうか?

 相変わらず過ぎて、少し心配になってしまう。


 ただトラクトは問題がなかったようだが、もう一人の候補者、ファーダ・フィッチの方はそうもいかなかったらしい。

 いや、むしろ問題となったのは、ファーダよりもその父、内務の長ロマーダ・フィッチの方か。

 バルバルスを皇帝にと決めたのは、ウィン一人の考えじゃなく、サバル帝国の重鎮とも協議しての事だとは思うけれども、……その重鎮の中に、ロマーダは含まれていなかったのだろう。

 ロマーダは、我が子が次の皇帝になると信じて疑わず、……或いはウィンにそう思い込まされていたから、裏で随分と好き勝手をしていたそうだ。

 横領をしたり、他の種族に、特に人間に対して無体な真似を働いたり。


 サバル帝国を富ませる為には、内務に長けた兎の氏族の力は必要不可欠だったのだろうけれども、権力に溺れたロマーダは些か以上にやり過ぎてしまった。

 その際たるものが、ウィンの妃にしてソレイユの母だった人間の毒殺だ。


 我が子、ファーダが皇帝になる前提で動いていたロマーダは、目論見が崩れた事で、これまでの好き勝手のツケを自分で払わねばならなくなる。

 本来ならば皇帝の座を得たファーダの権力で握り潰す心算だったツケは、ロマーダが個人で支払うにはあまりに大きく、兎の氏族の全体が大きな痛手を被ったという。

 そしてロマーダは、その事に不満を抱いた兎の氏族内で、粛清を受けて殺されたらしい。


 つまり完全に私刑なのだが、氏族の力が強いサバル帝国では、そうした事もまだまだ起きているそうだ。

 だからこそ法を重んじるバルバルスが皇帝になり、これからのサバル帝国を変えていくのだろうけれども。

 いずれにしても、ウィンは帝国を導きながら、皇帝としての役割を果たしながらも機会を待って、自らの復讐を果たしたのだろう。

 直接切り掛かって殺す方がずっと手早く簡単なのを、必死にこらえて、殺意を心の奥底に秘めて。

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