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木剣を軽く握り、僕は構えを取った。
すると僕の準備が整ったと見た三人の獣人、トラクトとその御付きの二人は、それぞれ前と左右から、一斉に襲い掛かってくる。
僕がサバル帝国の帝都に、この宮殿にやって来てから、もう三ヵ月程が経つ。
だけど何だか最近では、次の皇帝の選定というよりも、主にトラクトに戦い方を教える教官の真似事をしてる時間の方が多い。
あれからも数度、僕はトラクトを殴り倒す事があったのだけれど、その結果、何故だか妙に懐かれた。
どうやら彼にとって、……いや、多くの有牙族の獣人にとっても同じなのかもしれないけれど、強さは非常に大きな価値を持つらしい。
以前に出会った黒熊の氏族の長老なんかは、強さといっても肉体の性能や戦う技量だけじゃなく、心の持ち方や意思も強さに含めていたように思うけれど、若いトラクトには単純な戦いの強さこそがわかり易いのだろう。
トラクトが僕に会いに来る頻度は次第に増えて、何時しか戦い方を教える事になっていた。
突っ込んで来る三人の獣人を一度に捌くのは流石に少し難しいから、僕は右に大きく踏み出し、取り巻きの一人の腕を取って身体を引き寄せると、残る二人に対しての盾に使う。
するともう一人の取り巻きは、一瞬戸惑い動きが止まるが、トラクトは迷わず突っ込んで、取り巻きの身体を避けながら僕に一撃を喰らわせようとする。
トラクトの良いところは、動きに本当に迷いがない事だ。
逆に悪いところは、迷わず動いた結果に間違いを選ぶ場合も少なくない辺りか。
取り巻きの身体を避けながらの強引な攻めは、簡単に僕の剣によるカウンターの的になった。
今の場合、迷って動きを止めてしまうのは論外にしても、強引に僕を狙いに来るのもあまり良い事じゃない。
そもそも一人じゃ僕に太刀打ちできないからこそ、トラクトだけでなく取り巻きの二人も巻き込んだ訓練になってるのに、連携が瓦解しては勝てる筈がないだろう。
だから今の場合は、攻撃をするにしても牽制に留め、盾に使われた取り巻きを奪い返した方が、まともな形で戦えた。
そうでなくとも彼らはリーダーであるトラクトが討ち取られればお終いのグループなのだから、捕まった取り巻きを見捨ててでも、場を仕切り直すべきである。
尤もトラクトは、自分を支える取り巻きの二人を、見捨てられる性格をしていないけれども。
あぁ、そういう意味でも、トラクトは皇帝には向いてない。
彼になれるのは、精々が周囲の人から好かれ、守れる、ただ一人の戦士くらいだ。
少数を率いる事はできても、大勢の人を喰わせる為に少数を見捨てる差配をする器にはなかった。
トラクト以外の後継者候補の二人に関しても、十日に一度程の頻度では会っている。
尤もファーダに関しては、茶会の客の一人として僕を招待し、少しばかりの会話を交わすくらいだったが。
何というか、完全に義理で僕の相手をしているというのが、よくわかる対応だ。
もう一人の候補者にして、恐らく次の皇帝になるのだろうバルバルスは、自分の事を話すよりも、僕から他国やエルフのキャラバンに関しての話を聞きたがった。
彼はあまり口数の多い方ではなかったが、驚く程に聞き上手ではあったから。
僕はバルバルスに自分が見てきた国々の、色んな話を語って聞かせる。
そして彼の興味は、やはりそれらの国がどんな政治形態による統治を行っているか、その国ならではの特異な法はどんな物があるか、税の徴収はどのようになされているのか等、国の統治や法に関する方面に強い。
故に、僕はやはりバルバルスなんだろうなぁと、そう思う。
特に彼が興味を示したのは、サバル帝国と同じく複数の種族が共同で国を成している扶桑の国と、それから東部で最大の国である黄古帝国の話だった。
鬼との戦いの為に人間、翼人、人魚が力を合わせる扶桑の国の状況は、人間と戦う為に多種族が力を合わせた連合軍を思わせる。
だがサバル帝国には、もう外向きの敵は存在しないのだ。
今は戦争で英雄となったウィンが国を率いているから治まっているが、帝位が継承されたなら、新しい皇帝は一体どうやってこの国を纏めて行くのだろうか。
ウィンやサバル帝国の重鎮は、その役割を法が担うと考えている様子だけれど、バルバルスはどのように考えるのかは、まだわからない。
「エイサーは強いな! オレが皇帝になったら、オマエをこの国の将軍にしてやるぞ。どうだ? オレに仕えないか?」
僕に木剣で打ち据えられたのに笑いながら、そんな事を言って来るトラクトは、実にお馬鹿で可愛い。
それに僕は彼が、割と大物なんじゃないかとも思う。
皇帝は無理だとしても、善い導き手がいたならば、多くの人を救える一廉の人物にはなれるくらいには。
或いは虎の氏族に囲まれた狭い世界ではなく、もっと広い世界を見せて知見を深めてやれば、大きく成長する可能性を秘めてた。
ウィンにだってそれはわかっている筈だから、次の皇帝が決まった後、要するにトラクトが道化の役割を終えた後も、決して悪いようには扱わないだろう。
問題はむしろもう一人の道化、ファーダの方だと思うけれど……、残念ながら僕はその行く先を予想できる程に、彼と接していないから。
僕はこのサバル帝国の、次代の皇帝の決定になるべく血が流れない事を、今は願うばかりである。
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