323
僕がこのサバル帝国にやって来て、皇帝の選定という茶番が始まってから半年程が経った頃、僕はウィンに呼び出された。
その部屋は僕がウィンに再会したのと同じ部屋。
あの時は、この部屋は完全に人払いがされていたけれど、今回はそこで僕を待っていたのはウィンだけではなく……、もう一人。
そう、彼の腕の中には、一歳か二歳くらいの人間の幼児が収まっていた。
どうやら、僕がサバル帝国に呼ばれた本当の頼み事は、ウィンが皇帝の選定を隠れ蓑にして隠したがっていたのは、その子供の存在らしい。
……しかし、それにしても、人間か。
いや、まさか、もしかして?
違う、絶対にそうだ。
間違いがない。
顔立ちには面影があり、ふらふら揺れる視線は辺りを舞う精霊に向けられている。
そんなの、僕が見間違う筈がない。
「ウィン、その子は、君の子供なんだね?」
あぁ、そう尋ねた僕の声には、隠し切れない喜びが滲んでいただろう。
だってウィンの子供なのだ。
彼がハーフエルフである以上、獣人を友として西部の安定に身を投じた以上、絶対に見る事なんてないと思ってた、ウィンの子供。
「え、エイサー、落ち着いて。そう、そうだよ。この子は、私の……、ボクの子供だ。だから少し落ち着いて。わかってると思うけれど、この子の事は秘密なんだ」
一体僕は、その時どんな顔をしてたのか。
少し焦った様子の、皇帝らしさの剥がれたウィンが、僕を制止して来る。
だけど、なるほど、秘密か。
いや、そりゃあそうだろう。
ウィンと人間との間に子供がいるなんて、この国の根幹に関わる話だった。
彼が誰からも秘匿して、皇帝の選定を隠れ蓑にしてまで、僕を呼んだ事だって納得がいく。
すぐにでもその子を腕に抱きたい気持ちで一杯だったけれど、僕は事情を聞く為に、何度か大きく呼吸して、一旦は、少しだけ落ち着いて見せる。
大丈夫だ。
ちゃんとこの目で存在を確かめた以上、もうウィンの子に危機はない。
たとえサバル帝国の全てが敵でも、僕ならその子を守れるから。
「大丈夫。落ち着いたよ。……でも嬉しくてね。ウィンも安心して良いよ。僕が居る限り、もうその子に危険はないから、事情を聞かせて欲しい」
僕は真っ直ぐにウィンを見据えて、彼とその子が抱えている事情を問う。
語り始めたウィンの表情は、時に苦しげだったけれども、遮る事はせず、ただそれに耳を傾ける。
サバル帝国の皇帝となったウィンが統治の上で最も苦労をしたのは、やはり種族間、及び獣人の氏族間のバランスを取る事だった。
その一つに、子供が作れないと分かっていても勧められる婚姻がある。
当代限りであっても寿命の長いハーフエルフが相手なら問題ないと、関係を求めて勧められる婚姻を、ウィンは次第に断れなくなっていく。
実際、関係を結んだ種族や氏族はウィンに協力的な後ろ盾になるのだから、統治を円滑に行う上で、婚姻は有効な手段の一つであった。
当たり前の話だけれど、統治の手段としての婚姻であっても、いや、だからこそ余計に、結ばれた相手を粗略に扱ってはならない。
機嫌を伺い、男と女の交わりも欠かさず、愛情には至らずとも精一杯の誠意を向けてこそ、関係を結んだ種族や氏族もウィンを支持する。
そしてその、関係を結んだ種族の一つには人間も含まれた。
何しろこの国で一番数が多い種族は人間であり、その支持を得る事はウィンにとって非常に重要だったから。
だけどウィンは、自分に子供ができる筈はないと諦めてしまっていたから失念していたのだろうか。
或いは心のどこかで、実はそれを望んでいたからだろうか。
ウィンが妃の一人として迎えた人間の女性は、彼の子を胎に宿す。
しかし当たり前の話だが、ウィンの子を宿した妃の存在は、それは大きな問題になる。
すぐさまウィンは妃は病を得たとして公の場に出さず、妊娠の事実を隠そうとしたが、どうしても完全には隠し切れなかったのだろう。
病を得たとして公の場に出なかった妃は、まるで本当に病にかかったかのように次第に身体を弱らせて、死に至る。
ウィンははっきりとは口にしなかったが、恐らくは毒によって。
だが不幸中の幸いにも、妃が宿した命、ウィンと彼女の子供は助かった。
死んだ妃が母として、己の命が消える寸前まで、胎の中の子を守ったから。
けれどもこのままでは、折角助かった子も命を狙われるのは明白である。
妃に毒を盛った誰かが殺したかったのは、本当は胎の中の子供だったのだろうから。
ウィンは、妃と共に子供も死んだと偽装して、……エルフに頼り、サバル帝国の中にある大きな森に子を預けた。
そうクラウースラの傍にある、以前はクォーラム教の聖地とされた、大きなエルフの森に。
サバル帝国で暮らす多くの種族は、人間との戦争の英雄であるウィンを皇帝として重視するが、実はエルフだけは例外だ。
いや、もちろんエルフ達もウィンに対して英雄として敬意は抱いているだろうけれど、それ以上に彼らにとって大きいのが、その養父がハイエルフである僕だという事だったから。
特に大きな森の中に住むエルフに関しては、サバル帝国の中に在りながらも、サバル帝国の住民であるとは言い難い。
それ故にこのサバル帝国でウィンがこの子を絶対に害さないと信用できるのは、エルフしか居なかったと言う。
けれども、それも一時しのぎに過ぎないのは明白だった。
クラウースラの森はエルフの領域ではあるけれど、場所はサバル帝国の領土内にあるのだ。
ウィンの血を引くこの子の存在が知れたなら、良からぬ企てに巻き込まれる可能性は、決して皆無だとは言えない。
だからこそウィンは、この子の物心が付く前に、自分が僕と出会った幼少の頃よりも更に早く、僕に預ける事を決めたという。
念には念を入れて、皇帝の選定という茶番を行って多くの者の目を逸らし、僕を呼びよせる理由を用意してまで。
なるほど、なるほど。
実に良くわかった。
でも、だったら僕はウィンに問わなきゃならない。
「ウィン、事情は理解したよ。……だけどそれは、単に君とこの国の都合だよね。それはこの子から、僕の孫から親を奪って引き離さなきゃいけない程に、大事な物なの?」
もしかするとウィンは忘れてるかもしれないけれど、僕は実に我儘な生き物だ。
平和は大事だなって思うし、誰かを殺す事はあまりしたくない。
しかし自分が大切に思う存在の為ならば、国の一つや二つ、崩壊させてしまうくらいは躊躇いはしない。
そしてウィンの子は、もう既に僕の大切に思う存在に加わっている。
子が親と過ごす時間の為ならば、西部で最も大きな帝国であっても、グチャグチャに潰してしまうだろう。
まずは国土を三つくらいに、山で分断してみせようか。
獣人が多く住む地と人間が多く住む地、それから他の種族が住まう地に。
容易に越えられぬ険しい山で国土を分断すれば、連絡を断たれた地はそれぞれが独立し、遠からずサバル帝国は消えてなくなる。
でも僕の言葉にウィンは、首を横に振る。
「駄目だよ、エイサー。ボクはエイサーにそんな事をして欲しくて呼んだんじゃない。それにね、ボクは生みの父も生みの母も顔を知らないけれど、それでも子供の頃のボクは、誰よりも幸せな子供だったと思ってる」
それから真っ直ぐ僕を見据えて、彼は言葉を紡ぐ。
僕の怒りにも一切怯まず、声に深い愛情を滲ませて。
「ボクがこの子を預けたいのは、怒り狂ったエイサーじゃなくて、ボクを誰よりも幸せにしてくれたエイサーだ」
あぁ、なんてズルい物言いだろうか。
そんな風に言われたら、僕だってこれ以上は怒れないじゃないか。
大きく溜息を吐いた僕に、ウィンは腕の中の我が子を手渡す。
久しぶりに会っただろうに、もっとずっと抱いていたいだろうに、その心を押し殺して。
恐らく、僕に預けると決める前に、ウィンは既にあらゆる手を尽くしたのだろう。
自分の下で、どうにかこの子を育てられないかと。
だが大戦の英雄にして、建国の皇帝たる彼でも、どうにもならなかったのだ。
だからウィンは、この子を僕に託すと決めた。
だったらもう、そうしよう。
ウィンが難儀な道を歩いてる事なんて、ずっと前から知っている。
その道が、我が子と共に歩けないのは、……どうしようもない。
ならば僕が、この子が大人になるまでウィンの代わりに一緒に歩こう。
遠くて注げぬ愛情も、僕が代わりに注ぐとしよう。
あぁ、今回は僕だけじゃない。
アイレナだって一緒である。
「ウィン、何時かこの子に会いたくなったら、サバル帝国の全ての役職を辞めてから、僕を訪ねて来るといい」
僕はその子を腕の中に収め、軽く体を揺する。
その子は不思議そうに僕の顔を見詰め、手を伸ばして頬に触れた。
どうやら精霊を見る目は受け継いでいるようだから、……やっぱり僕が光って見えてるんだろうか。
「名前は、ソレイユ。エイサー、この娘を、……どうか、お願い」
重みを失った自分の腕の中と、僕の腕の中の我が子を見、寂しげな笑みを浮かべたウィンは、そう言った。
あぁ、……そうなのか。
この子は、女の子か。
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