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「やっぱり、エイサーにはかなわないな。でも、手紙にあった頼み事も本当なんだ。長旅の疲れを癒してから、先にそちらを、お願いしたい」
ウィンは言外に僕に本当の頼み事がある事は認めたが、しかしその内容は口にしなかった。
どうやら、少なくとも今は、それを教えられないらしい。
むしろ建前の用件を進めて欲しいという辺り、建前と本音、その二つには何らかの関係があるのだろうか。
だったら、もう暫くは、このまま流れに身を任せてみるとしよう。
この国に滞在する時間がどのくらいになるかはわからないけれど、他に急ぐ用事もないのだし。
ウィンがその本当の頼み事をしたくなった時に、応じればそれでいいだろう。
僕は一つ頷いて、それ以上は問いを発さず、久しぶりに会った親と子の、当たり障りのない会話をする。
「エイサーは、また随分と腕を上げたんだね」
「そういうウィンは、もう剣を手放して長そうだ。手合わせをすれば、今なら僕が勝つよ」
なんて風に。
まぁ実際、物凄く久しぶりに会うウィンとは旧交を暖めたかったのも事実だ。
彼もまた、僕との気安い会話を、楽しんでくれてるように思えた。
尤も一国の皇帝が、幾ら養父との再会であっても、ずっと時間を割き続ける訳にはいかない。
やがて面会時間の終了を告げる侍従が現れ、僕は部屋を退出する。
これから暫くは宮殿内に泊まって旅の疲れを癒し、準備ができれば、ウィンの後継者の候補達と引き合わされるという。
それが本当の用件ではないとしても、一体どんな子が、ウィンの後継ぎとして、次代の皇帝として期待されてるのか。
少しばかり興味はあった。
けれども、割り当てられた部屋へと侍従に案内される途中、僕の前に三人の若い獣人が立ちはだかる。
といっても実際に僕に対して用事がありそうなのは先頭に立つ一人で、他の二人は、何とか必死にそれを制止しようとしている様子。
何というか、仮にも皇帝の招いた客の前を遮るなんて、それを知らないのでなければ、余程の馬鹿か、或いはそれを許される権力者くらいだろう。
「五月蠅い。オレ達を選定しようなんて生意気な奴に、その資格が有るか確かめに来ただけだ!」
押し留めようとした侍従に対してもそんな事を言う獣人は、どうやらその二つを兼ね備えた存在らしい。
つまりは余程の馬鹿にして、ウィンの後継者の候補だった。
いやだって、そりゃあ次代の皇帝の候補ともなれば、そんな無体な真似が許されるだけの権力だって持ち合わせているのかもしれない。
だが候補者であるならば余計に、選定に加わる予定の僕に喧嘩を売るような言動は、自分の不利になるだけだって、少し考えれば分かる筈なのに。
「なぁ、オマエ。ドワーフならまだしも、オマエみたいになよっちぃエルフが、強き虎の氏族であるオレを見定めるとか、どう考えてもおかしいよなぁ?」
まぁ、僕がこの馬鹿な行動を不快に感じるかといえば、別に全然そんな事はないし、寧ろ可愛くすら思うが……、皇帝に相応しいように見えるかと問われれば、全く以て否だろう。
何しろこの国の皇帝、ウィンだってエルフの血は引いているのに、何も考えずにそれを否定してしまう言葉を吐く辺り、本当に頭がよろしくない。
ただ、ドワーフをそれなりに認めてる様子なのは、僕的には少しポイントが高かった。
要するに、僕から見ると実に馬鹿で、真っ直ぐに可愛い。
侍従を押しのけて凄む若い獣人に、僕は思わず笑ってしまって、それが気に食わなかったのか、彼はますます激昂する。
どうやら彼は、僕に上から品定めをされるのが気に食わなくて、確かめると称して喧嘩を売りに来たらしい。
個人的には長旅の、特に馬車に押し込められて移動した疲れが残ってるから、早く休みたいとも思うのだけれど、……あぁ、だったら余計に、ここで押し問答をするよりも、向こうの望みに付き合った方が早いか。
「いいよ、かかっておいで」
僕は吠える若い獣人に、笑みを浮かべたまま手招きをして、そう告げた。
すると彼は、僕の言葉に呆気に取られた顔になる。
恐らく、獣人である自分に、エルフが殴り合いを挑むなんて、夢にも思わなかったのだろう。
実際、獣人の身体能力は、エルフとは比べ物にならない。
それ故に、若い獣人は自分が僕に侮られている事を、これ以上なく理解する。
湧き上がった怒りは言葉でなく咆哮となって、彼は姿が滲んでブレる程の勢いで、一気に僕へと襲い掛かった。
以前、といってもこのサバル帝国が誕生する前、連合軍に参加していた精鋭の獣人の戦士が、見せた動きと同等の速度で。
けれども次の瞬間、拳で顔を打ち抜かれ、地に転がったのは若い獣人。
若さの割には、彼の動きは磨かれた物である。
それは本当に、実に大した物だと思うけれども、実戦の経験は足りないのだろう。
ヨソギ流の相談役として、当主達を相手に手合わせをして来た僕にとって、若い獣人の動きは、それが剣を使わない拳での殴り合いだったとしても、あまりにも読み易かった。
幾ら速く動こうと、その動き自体が読めているなら、それに合わせて拳を振るうだけでいい。
自分の身に起きた事が信じられぬといった顔の若い獣人を、僕は追撃したりせず、彼が再び襲い掛かって来てから、拳で殴り倒す。
何度も、何度も、自信と気力が砕けて、立ち上がれなくなるまで。
そして意識はあるけれど、遂に動かなくなってしまった彼に、
「じゃあ、これで終わりかな。僕の名はエイサー。君の名は、まぁ今は名乗れないだろうから別にいいよ。まだ納得がいかないのなら、また後日ね」
僕は自分の名前を告げて、侍従を促しその場を去る。
殴り合いの物音は多くの人を呼び、だけど後継者の候補である若い獣人の権力を気にしてか、誰も介入しては来なかった。
そういえば、ちょっと思い出したけれど、虎はこのサバル帝国でも最も権勢を誇る獣人の氏族だっけ。
まぁ、初日からちょっと騒ぎを起こしてしまったが、恐らくウィンがどうにかしてくれるだろう。
というよりきっと、僕を呼んだ以上、こうした騒ぎが起こるのも、きっと予測済みの筈だし。
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