三十一章 人斬り

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 北の大陸が焼かれる事を阻止した後、黄金竜と黒檀竜が再び眠りについてから、三十年程が経ち、……僕は328歳になった。

 正直、そろそろ年齢を数えるのも面倒になって来たけれど、これをやめると僕の時間感覚は更に大雑把になり、取りこぼしてしまう何かも増えるだろう。


 僕は今、アイレナと一緒にヴィレストリカ共和国の南の洋上に浮かぶ島で暮らしてる。

 ……なんて風に言うと、魚を釣ったり、潮風に吹かれながら夕日を眺めて、のんびりと過ごしてるんだろうなって思われるんだろうけれど、実はあんまりそうでもない。

 あぁ、いや、僕は半分くらいはそうなのだけれど、アイレナは相変わらず忙しそうだった。

 というのもこの島、パンタレイアス島は、海の交易の中継地として、この数十年で急速に発展してる場所なのだ。


 エルフのキャラバンが活動範囲を東中央部から更に他の地域にも広げてから、北の大陸では海洋交易がより一層盛んになっていた。

 何しろエルフが一人乗り込むだけで、海を行く船の速度と安全はかなり増す。

 風の精霊が見えるエルフは、人間よりもずっと早く嵐を察知するし、最も速度の出る航路を決められる。

 更に船の上では陸地よりも深刻な問題となる、水不足だって解消できるから。

 船乗りに必要な体力こそは人間に劣るが、一般の船員とは別枠で、エルフを一人でもいいから船に乗せたいと熱望する船長は数多い。

 尤もエルフにとって木々と全く触れ合わない船上での生活はそれなりにストレスも大きいから、船に乗りたいと望むエルフは決して多くはないけれども。


 そしてそんな数少ない、船乗りになろうというエルフを管理し、派遣しているのが、今は大きな商会となったエルフのキャラバンである。

 エルフのキャラバンに敵対すれば、エルフの力は借りられない。

 故にエルフのキャラバンは、北の大陸で交易をおこなう商人、船乗りに対して非常に大きな影響力を持つ。 

 当然ながらその影響力は、船を動かす上での価値を見せ付け、更に求められる様になってしまった同胞であるエルフを守る為にも必要なものだ。

 もし仮にどこかの商人が、以前の西部のように奴隷としてエルフを船に乗せようものならば、エルフのキャラバンは総力を挙げて潰すだろう。


 アイレナは、そんなエルフのキャラバンの責任者の地位こそ後継に譲ったが、未だに深い関わりを保っていた。

 立ち上げからエルフのキャラバンを率いてきた彼女の知見、人脈は広くて深い。

 人間ならば数十年もすれば人脈なんて薄くなってしまうのだろうけれど、アイレナはエルフで、エルフのキャラバンの取引相手には長命な種族も多いのだ。

 例えば各地のエルフの森はアイレナが居るからこそキャラバンを信頼してるってところが少なくないし、ドワーフの国との取引にも彼女の名前が大きな意味を持っている。


 またアイレナ自身も、今はエルフのキャラバンの仕事から手を引く心算はないらしい。

 その理由は、……僕が南の大陸の自然環境の回復後、雲の上から戻されて、再びそこで暮らし始める人々の支援をエルフのキャラバンに望んでいるから。

 僕の望みを叶えるまでは、エルフのキャラバン内での権力を、完全には手放さないと彼女は言った。

 本当にアイレナには、どうしようもなく頭が上がらない。



 浜辺で釣竿から糸を海に垂らしながら、僕は魚が掛かるのをじっと待つ。

 港の方では、今日も多くの船の出入りがあって、商取引で賑わっている。

 船乗りの為の酒場に娼館、宿も安宿から高級宿まで揃い、商人達が社交の場として利用する料理店や、大きな取引に使う商館まであるのだ。


 海洋交易がより盛んになった事で、中継地として求められて整備されたパンタレイアス島。

 以前は住む人も殆ど居ない、中央部に潮風に耐性を持つ木々が多く生えるだけの島だったが、だからこそ都合が良かった。

 船に乗るエルフにも、機会があれば木々に囲まれたいって欲求がある者が少なくない。

 港に入り、すぐに木々の生える場所へと出入りできるこの島は、彼らの心のケアに適してるのだろう。


 洋上の島では大きな嵐があると、建設中だったり、逆に古い港の施設は壊れたりもするけれど、そこはまぁ、嵐の時期に僕という置物があれば被害は最小限に抑えられる。

 島の発展と共に、エルフのキャラバンもますます大きくなっていく。

 その未来がどうなるのかは、今は僕にもわからない。


 ただまぁ、僕はこの島での生活を、今は割と気に入っていた。

 今日は全然釣れないけれど、釣れる魚はとても美味しい。

 剣はどこでも修練できるし、鍛冶は武器や防具はあまり必要とされないが、船の補修部品は割と求められる。

 彫刻に関しては、地の精霊が石を出してくれるから、特に困る事もなく、この前は思い付きでモアイみたいな像を彫った。

 いや、モアイなんてこの世界の人達は知らないだろうから、また奇妙な物を彫ったなぁと呆れられたけれど、何百年か何千年か経てば、誰かがこの像は一体何の為に、何を模して彫られたのかと、真剣に悩んでくれるかも知れないから、それはそれで面白く思う。


 そしてこの島で何よりありがたいのは、北の大陸の各地の情報が、交易の品々と一緒にいち早く届く事だ。

 船が運んできた各地の酒を飲みながら、船乗り達の噂話に耳を傾けるのは、実に楽しくも物悲しい時間だった。


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