308


 長年追い続けていた背中に、漸く指の先が届いた。

 しかしその事を、ゆっくりと喜んでいる暇はない。

 実に無粋な話だけれど、今は未だ、僕らが生きる北の大陸の運命が決まる戦いの最中だ。


 僕が振るう剣が齎した結果に、リリウムやその周囲に浮かぶ死したハイエルフ達は、面白いくらいに慌てふためいてる。

 でもこれでも、まだまだ状況が五分になった訳じゃなかった。

 通用する武器が一つできたところで、それだけで勝てる程に甘くない。

 以前に戦った邪仙、吸血鬼のレイホンや、吸精鬼であったクォーラム教の聖教主だって、仙術というハイエルフや精霊にも通用する武器を持っていたのだ。

 それでも戦いの結果は、僕が、或いは僕と一緒に戦ったウィンが、彼らに勝利し、始末してきた。


 つまり死したハイエルフ達であっても、精霊となった彼らに敵対した以上、僕に生き残る目は殆どない。

 ただそれでも、命を賭して斬り込めば、リリウムくらいは道連れにできるだろう。

 あちらの勝利条件は、僕を倒した後に北の大陸を焼き、人間を滅亡させる事だが、こちらはそれを食い止めれば勝ちだった。

 要するに相打ちであっても、僕の目的は達成される。


 もちろん僕だって死にたいだなんてほんの少しも思っちゃいないが、覚悟は黄金竜に挑もうと決めた時に、既に一度は決めていた。

 愛しい人々が生きる北の大陸の滅びを防げるなら、ハイエルフとして生きる時間と引き換えにする価値は十分にあるのだ。

 ましてや相手が真なる竜でないのなら、肉体を失っても、精霊として存在し続ける事はできるのだから。

 目の前の、死した南の大陸のハイエルフ達のように、怨念に囚われる理由もないのだし。


 アイレナはとても怒るだろうけれど、幸い彼女は精霊が見える。

 今、僕はここで死んでも、アイレナが死を迎える瞬間まで、精霊として傍にあるだろう。


 だが一つだけ、僕の心に引っ掛かりがあるとすれば、殺す心算なんてなかったリリウムを、仕留めざるを得なくなった事か。 

 折角、苦難を生き延びた彼女を、随分と数を減らしてしまったのだろう南大陸のハイエルフを、殺さねばならなくなったのは、些か以上に心が痛む。

 南の大陸で竜の炎に焼かれた全ては、彼女を恨んでるかもしれないけれど、その恨みは僕のものでは決してないから。

 もっと僕が強ければ、カエハが遺した剣技も自在に使いこなし、笑ってリリウムと死したハイエルフ達を蹴散らせるくらいの実力があれば、無理に殺す必要なんてなかったのに。

 尤もそれを嘆いたところで、僕にその実力が湧いてくる訳ではないのだけれども……。


 だけど僕がそう自嘲して、迷いを捨てて相手の首を狙おうと、再び構えを取った時だった。

 風が吹き、僕の耳元で声が囁く。


『いいや、決してそんな事はない。楓の子、君の嘆きは、確かに私達が受け取った。そして君の奮闘で、私達は間に合った』

 先程のカエハの声のように、僕の感傷ではなく、もっとハッキリと明確に聞こえる、耳にした覚えのある声。

 どうしてその声が、今ここで聞こえるのか全く分からないけれど、気配に後ろを振り返れば、彼の姿はそこに在った。

 ここからはずっと遠い北の大陸の、プルハ大樹海の最奥、深い森の奥に居る筈の、サリックスの姿が。


 いいや、彼だけじゃない。

 他にも四人、見覚えのある……、僕が苦手としていたハイエルフの長老達も、その隣に並んでる。

 そう、僕が深い森に立ち寄った時には、既に精霊となった後だと聞かされた長老達が。

 ならば、あぁ、サリックスも、ハイエルフとして生きる時間を終えて、もう精霊となったのか。


『楓の子、お前が無理に心を押し殺す必要はない。お前は、我らの言う事も碌に聞かず、己の心の赴くままに深い森を飛び出た粗忽者よ』

 何時も口煩かった長老は、精霊になってもさっぱり感情の読めない声で、僕を粗忽者と呼ぶ。

 でもその声は、尖らせていた心を不思議と落ち着かせてくれる。

『しかしそれが、そなたの好ましいところでもある。心のままに赴くが、その性根は善き物であり、故にその行いもまた善き物であった』

 一番話の長かった長老は、今日は口数を少なめに、優しい目をして僕を見ていた。

 物言いは、相変わらず少し回りくどいけれども。

『ハイエルフ同士の争いに精霊は干渉しないと教えたのは我らだ。けれども南の大陸の彼らが、己が同胞に力を貸そうというのなら、我らのみがそれを我慢する理由はない』

 それから最も博識とされた長老は、リリウムと南の大陸の死したハイエルフ達に、ハッキリとそう宣言する。

 最後にとても無口だった長老は、精霊になっても無口なままで、他の長老達に賛同するように頷いた。


 本当に思いもしなかった人々……、いや、精霊の登場に、僕は咄嗟に言葉も出ない。

 深い森に立ち寄った時、他の長老達が彼らなりに、僕の事を気にしてくれていた事は聞かされていた。

 だけどまさか、こんな時に助けに来てくれて、そんな言葉を投げかけてくれる程に、僕を同胞として見てくれていたなんて、……驚きと喜びと、グチャグチャになった感情で胸が痛くなってくる。


 サリックスは、そんな僕を見て悪戯っぽく笑い、

『エイサー、楓の子。私の子より産まれた、私に連なる子。人間の言葉を借りるなら、我が孫よ。既に精霊となった私達は君に助力する為にここに来た。けれども、君を助けたいと思った精霊は、実は私達だけじゃないんだ』

 両手を広げてそう言った。


 次の瞬間、周囲に無数の精霊の気配が現れる。

 水と風だけじゃない。

 この場所には宿るべき環境が存在しない筈の土や火の精霊も、とてもとても数多く。

 いや、特に火の精霊は圧倒的な数だ。

 

 そしてその精霊の気配には、どれも少しばかりの覚えがあった。

 ひと際大きな気配を放つ水の精霊は、ルードリア王国の北にある泉で出会った彼女だ。

 自らが宿る場所を離れない筈の精霊が、一体どうしてこんな場所に?

 他にも旅路の最中に背を押してくれた風の精霊、焚き火の中に踊ってた火の精霊、歩く僕を励ましてくれた地の精霊。

 大草原に吹いた風の精霊や、掘った井戸に宿った水の精霊、彫刻に集まって寝ていた地の精霊に、……炉に宿っていた火の精霊。


 でも、どうして彼らがこんな離れた場所に?

 一体どうして、何に宿って存在してるのか。


『精霊は宿る環境から動かない。けれどそれは動けないんじゃないんだよ。君も精霊になれば理解できる。彼らは関わりを持った君の為に、少しばかり無理してここに来た。足元に居る、真なる竜の力も借りてね』

 そんな僕の疑問は、何も言葉を発さずとも、精霊となったサリックスには伝わったらしく、即座に答えが返って来る。

 あぁ、そういえば、そうだった。

 今、僕が立っている足場は、二体の真なる竜が抑え合った身体の上だ。

 つまり二体の真なる竜から、彼らの力が大量に放出されてる場所である。


 始まりの時、この世界には混沌とした力の渦だけが存在していた。

 創造主は、その力に意思を与えて精霊を誕生させ、これにより世界に大地や空、そして海が発生したという。

 つまり創造主が大地や空や海を創り出した訳じゃなく、精霊達が自らが宿りたい環境を、生み出してそこに宿ったのだ。

 宿る環境が在っての精霊じゃない。精霊が在ってこその環境だった。


 地の精霊が現れた事で、黄金竜と黒檀竜の背中が土に覆われ、火の精霊が現れた事で、辺りの空気が燃え盛り始める。

 二体の真なる竜の力を燃料にして。


 圧倒的な、冗談のような光景に、リリウムも死した南の大陸のハイエルフ達も、もう何も言わず動かない。

 彼女達に、僕と同じ援軍は存在しないのだ。

 何故なら南の大陸はもう燃えて、いや、リリウム達が燃やしてしまったから。


 でも、南の大陸が再生を始める時には今と同じ光景を、そこら中で見られるだろう。

 南の大陸の精霊達は、その時をきっと今か今かと待っている。

 それに気付けば、彼女達がする事なんて一つしかないのに。

 ハイエルフは精霊に寄り添われ、また寄り添う種族であるのだから。


 既に決着は付いていた。

 一言、僕が助力を頼めば、この環境の全てがリリウムに向かって牙を剥き、今回の件は終わるだろう。

 ただ、それは僕の望みじゃなかった。

 精霊は、ハイエルフ同士の争いには不干渉のままでいい。

 助けに来てくれた長老達も、本心では南の大陸の同胞と争いたくはない筈だ。

 北の大陸の精霊達も、ハイエルフであるリリウムを傷付けたいなんて思う訳がない。


 リリウムを斬らずとも済むようにしてくれた。

 ついでに言えば、僕だってハイエルフとして生きる時間を諦めなくても良くなった。


 長老や精霊達が助けに来てくれたからこそ、僕は望まぬ事をしなくて済む。

 だったら僕も、長老や精霊達に、望まぬ事をさせたくはない。

 この戦いの決着は、元より僕とリリウムで決する予定だったのだ。

 黄金竜は黒檀竜を抑えてくれているように、長老や精霊達が死した南大陸のハイエルフを抑えてくれれば、それ以上は望まない。


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