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「アイレナ、上ッ」

 警告を発して飛び退けば、アイレナも遅れる事無く僕の動きについて来る。

 そして先程まで僕等がいた場所を踏み潰すのは、少し懐かしさすら感じる魔物、ラーヴァフロッグ。


 驚異的な跳躍力を誇り、マグマの川で平然と泳げる熱耐性に優れた皮と、並みの矢ならば滑らせて弾いてしまう油を身に纏う、非常に手強い魔物だ。

 あぁ、その舌もまるで射撃武器のように長く、槍のように鋭く伸びて、獲物を貫く事も忘れてはならない。

 この火山地帯でラーヴァフロッグと対峙するのは、もう七十年ぶりくらいになるだろうか?

 或いはもう少し時間が経ってるかもしれないけれど、この魔物の手強さは、記憶にハッキリと残ってる。

 マグマの川でくつろぐ姿には驚かされ、驚異的な跳躍力に戦いの先手を取られ、舌の威力にもヒヤリとさせられた。

 けれどもそれから時間が経って、大陸中で色んな魔物を見てきたからだろうか、もしくは僕の技量が上がったり、戦いにより慣れ親しんだからだろうか、久しぶりに見るラーヴァフロッグの姿に、脅威をあまり感じない。


 ビョルッとアイレナに向かって伸びる早く鋭い舌を、しかし先に動いていた僕の魔剣が、サクリと切り飛ばす。

 跳躍後の舌による攻撃は以前にも見ているし、予備動作や向けられた意識を感じ取れば、攻撃の気配を掴む事は難しくない。

 武器のように扱う舌にも痛覚が在るのか、それを切られたラーヴァフロッグは悲鳴のような鳴き声を上げて、……跳躍して逃げようとしたところを、上空から降って来た風の塊に叩き落とされる。

 僕が舌の攻撃を防ぐと信じてくれていたらしい、アイレナによる精霊術だった。


 単に襲って来ただけならともかく、反撃によって手負いとなった魔物を、逃がす訳にはいかない。

 手負いとなって弱った魔物が、その後にどうなるかが全く読めなくなるからだ。


 傷の痛みが復讐心となって燃え、僕らを追い続けるかもしれない。

 弱った隙を他の魔物に突かれ、狩られて餌となるかもしれない。

 そのまま傷が再生し、問題なく今まで通りに過ごすかもしれない。

 或いは、弱って領域を追い出され、他の場所に流れて行ってしまうかもしれなかった。


 もちろん問題になるのは、その最後の他の場所に流れて行ってしまうケースだ。

 弱って領域を追い出された魔物は、他の環境に触れる事で思わぬ進化を遂げたり、飢えたままに人里近くに辿り着く場合がある。

 この火山地帯は広大な山脈の真ん中だから、ラーヴァフロッグが普通の人里近くにまで辿り着ける可能性は本当にごく僅かだろう。

 だが向かう方向によっては、ドワーフの王国の間近には、もしかすると行けてしまうかもしれないから。


 風によって地に叩き落とされ、状況がわからずに混乱してるラーヴァフロッグを、僕の魔剣がサクリと仕留めた。

 もう一度逃げだそうと思う暇を与えず、早く、鋭く。


 命を奪う事に、躊躇いはない。

 だけど狩った命を、無駄にもしない。

 それが僕の流儀で、今はアイレナもそれに付き合ってくれている。

 食べれる分の肉は僕らが食べ、残りは他の魔物の餌になる。

 ラーヴァフロッグの手強さと共に、その腿肉の美味さも、僕はちゃんと覚えているから。



 火山地帯の魔物は手強いけれど、それでも僕とアイレナの連携を確認するには、少しばかり物足りなかった。

 何しろ彼女は冒険者の頂点である七つ星にまで上り詰めた実力者で、魔物への対処の経験は僕よりずっと豊富である。

 そしてそれ以上に大きいのが、アイレナが剣士との連携も、エルフとの連携も、熟知してる事だろう。

 彼女は自分がサポートに回るべき時、逆に己がアタッカーとしての役割を果たすべき時を、見誤らない。


 もちろん精霊の力を借りる事に関しては、ハイエルフである僕には及ばないけれど、エルフとしては抜きんでている。

 魔物の行動を読み、的確にその動きを阻害し、僕が斬り込む隙を作り出す。

 或いは僕を囮として使い、魔物の意識の外から強力な攻撃を叩き込む。

 アイレナと組んでの戦いは、驚く程にやり易い。

 付き合い自体は長いけれど、一緒に戦った事が多い訳でない僕と組んでこれならば、クレイアスとマルテナ、ずっと彼女と仲間だった二人との連携は、きっと本当に見事だったのだろう。

 なのにそれを、もう決して見られないと思うと、……そう、とても残念だ。


 ただ、だからといって僕とアイレナとの連携が、彼女とクレイアスやマルテナとのそれと同等になるまで、火山地帯で魔物を狩って過ごす訳にもいかない。

 本来の目的は雲の上を行く事で、魔物を狩って連携を確かめているのは、単にその準備である。

 アイレナもその為にキャラバンの仕事の合間に時間を作って、ドワーフの国までやって来た。

 数日、数週間程度の時間なら誤差で済む範囲だけれど、数ヵ月、数年といった長い時間は、流石に彼女も無駄にはできないだろうから。


 魔物を狩りながらも僕とアイレナは、火山を上って頂上、火口を目指す。

 空を見上げれば、上空を一羽の鳥が、円を描くように飛んでいる。

 この距離からでもハッキリと姿形がわかるその巨大な鳥は、僕らを雲の上へと連れて行ってくれる不死なる鳥、ヒイロ。


 それこそ僕よりもずっと昔からこの世界に存在してるのに、その割には妙に気の早いところがあるヒイロは、どうやら呼び出される前に迎えに来てくれたらしい。

 恐らくこの三年で、またヒイロは少し大きくなってる筈。

 だが果たして、僕がハイエルフである間に、ヒイロが不死なる鳥の、本来の大きさを取り戻した姿を見る事はできるだろうか?


 僕の視線を追ったアイレナもヒイロの姿に気付き、驚きに大きく目を見開いている。

 ハイエルフとはまた別の形で、しかし同じく不滅の存在であるヒイロの姿は、アイレナの目にどんな風に映ってるのだろう。

 高いヒイロの鳴き声が、空から僕らに降ってきた。

 あぁ、もう、これでは魔物達がヒイロに怯え、出て来なくなってしまうかもしれない。


 以前、ドワーフの交易隊に、この火山は竜峰山と呼ばれ、竜が住むという伝説があると聞いた。

 尤もその後にあった真なる竜、黄金竜に、この大陸には他の同類が居ないという話も聞いているから、その伝説は何かの間違いか、……或いは竜の不出来な紛い物、神が生み出したという偽竜の事を言ってるのだろう。

 もし仮に竜峰山に偽竜が居たなら、ヒイロの声に姿を見せるだろうか。

 それともやはり魔物達と同様に、怯えて隠れてしまうのだろうか。


 不出来と称される紛い物の竜が、黄金竜とどれ程に違うのかを見てみたい気はしたのだけれど、僕らは何事もなく火口へと辿り着く。

 そして舞い降りてきたヒイロの背に乗って、雲の上を目指して飛び立った。

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