鍛冶に特化しているとは言え、衆愚政治とは真逆の…民衆全員が王を正当に評価する眼を持ち、王もまたカリスマのみが求められる。一つの極致の様な体制ですね。
クソドワーフことアズヴァルドも成長が止まった段階ではなく、緩やかになった時点で自分で自分を評価できるのは職人の鑑ですね。
クソエルフことエイサーも、自分は変わらないと言いつつも…カエハの最期の一振りであったり、ウィンの成長であったり、ドワーフの未来に貢献したり…多くの経験をして、確実に積み重ねているはず。
ドワーフの王として腰を据えるエイサーは想像がつきませんが、最高の師匠であり最高の友人であるクソドワーフの最期の場には何を置いても、それこそ王になってでも立ち会う未来しか見えないのですよね…。はてさて。
長文失礼いたしました。
今後も楽しみにしております。
作者からの返信
価値観が違う生き物だから成り立つ体制かなとは思います
民の一人一人が物の良し悪しを見極める目を持ってなければ、そんなやり方は成り立たないのだし…民主主義と選挙制も本来はコレがいるんだよなぁ、無いから機能しなくなってるけども。
作者からの返信
まあこの辺は正解ないですからね