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 横転した馬車を取り囲めば、上を向いてしまった扉をこじ開けて、一人の女が這い出て来る。

 白く、薄く、ゆったりと身体を包む法衣のような、しかし妙に扇情的な衣装に身を包んだ彼女は、間違いなく、あの夜に術を行使していた聖教主だ。


 彼女はじろりと周囲を見回してから、

「このように乱暴なやり方で馬車を止めるとは、だから人もどきは好かぬ。しかしまさか、その中に汲めども尽きぬ命の泉がおられるとは……。ねぇ、貴方様。どうして真の人たる貴方様が、そんな薄汚い紛い物と共に在られるのですか」

 ピタリと視線を僕に止めて、そう言った。

 その目には敬意と、隠された脅え、それから紛れもない欲の光が宿ってる。


 なるほど、どうやら彼女は、何とか逃げ延びたいとその方法を探りながらも、偶然にも見付けたハイエルフという餌に、強く興味を惹かれているらしい。

 汲めども尽きぬ命の泉とは、なんと欲に忠実な言葉だろうか。

 そこに聖教主の本音が全て表れているような気がする。


 確かに、人の命を糧とする邪仙にとって、この身は、ハイエルフは最上の糧となるのだろう。

 創造主が直接生み出した他の古き種は、精霊、巨人、不死なる鳥、竜。

 その命を、邪仙如きがどうこうできる筈がない。

 竜の眷属を力の源としていた黄古帝国の仙人達は、例外中の例外だ。

 でも神々はハイエルフを真似てエルフを生み、そこから人の種族を増やしている。

 つまりハイエルフは、他の古き種に比べればの話だが、神々が生み出した人の種族に近い。

 人の命を糧とする邪仙にとって、真に不滅たる古の種族の力を我が物とする、たった一つの方法に見えるというのは、わからなくもない話だった。


 とは言えそんな邪仙の事情なんて僕には関係ないし、この期に及んで保身と欲の間で揺れる聖教主が愚かで、そして哀れに見える。

 未だに彼女は自分が強者の心算で、この場は不利であっても、どうにか僕を喰えないかと、欲を見せる余裕があると思っているらしい。

 だから彼女の、こちらの隙を探ろうとする言葉になんて、返事をする気にもならなかった。


「風よ、地よ、大空の水よ」

 そう囁きながら手を振れば、聖教主の足元の大地と、天から舞い降りた風が、挟み込んで彼女を押し潰そうとする。


 まぁ確かに、別にハイエルフだからって、無条件に邪仙に勝る訳じゃない。

 生まれ持った力が強くても、それを活かせないなら、邪仙の餌にしかならなかった。

 いや、そこまででなくとも、レイホンに苦戦してた頃の僕じゃ、聖教主には勝てなかっただろう。


 でも僕もあれから色々と経験を積んでいる。

 ウィンがこの地で、本当に大きく成長していたように、等しく流れた時間の間に、本物の仙人にも、竜にも不死なる鳥にも出会っているから。

 僕にとっての邪仙は、もう過去の強敵に過ぎなかった。


「金行を以って木行を制す!」

 二本の指を真っ直ぐ揃えた刀印を天に向け、文言と共に放たれた力に風が打ち消され、彼女は宙に大きく跳んで、迫りくる地から逃れる。

 レイホンも見せた精霊の力の、自然現象の、無効化。

 けれども、甘い。

 宙に逃れた彼女に、上空で集まり、冷やされて凍り付いた水、氷塊が待ち構えていたかのように降り注ぐ。

 そして術での対応が間に合わなかった聖教主は、腕を振るって降り注いだ氷塊を打ち砕く。

 他者の油断を誘う為の、たおやかな仕草を投げ捨てて。


 おおよそ、僕の想定通りの結果だった。

 仙人が行う自然現象の無効化は、わかり易いところで火に水といった風に、相反するのとは少し違うらしいのだけれど、打ち勝って消し去れる属性の力をぶつけてる。

 但し彼らの中にある力、邪仙の場合は命の力に、属性を帯びさせるにはほんの少しの準備が必要だ。

 彼ら風に言えば力を、気を練るといった準備が。


 故に一度に打ち消せるのは、何か一つの自然現象のみ。

 同じ属性の複数の現象には、連続で同じ属性の力を練って放てばいいから対処も早いが、違う属性の自然現象をぶつけられると、対処には僅かなタイムラグが生じる。

 それが先程の、風での攻撃のみを打ち消して、地からは跳んで逃げた聖教主の行動の理由だった。


 しかし仮に彼女が本当の仙人だったなら、僅かな時間差で両方の自然現象に対処が可能だった筈。

 何故なら仙人は、自然の力を取り込んで昇華し、我が物としている為、そこに自然の属性を加える操作は、当然ながら非常に得意としてるだろうから。

 尤もそれ故に僕は三つの攻撃を重ねて、聖教主の実力を測ったのだけれども。

 まぁ、大体はわかった。


「エイサー様! 私もお手伝いいたします!」

 今の攻防に戦意を掻き立てられたか、同行したエルフが一歩前に出ようとする。

 だけど僕はそれを手で制し、

「いや、不要だよ。むしろ、ウィン以外の皆は、予てから伝えてた通りに、少し離れて見届けて。じゃないと僕が巻き込んじゃうかもしれないからね」

 更にその手をサッと振り下ろし、会話の隙に逃走を図ろうとした聖教主に、風の砲弾を撃ち込んでいく。


 実際、僕だって別に余裕な訳じゃない。

 聖教主の対処能力を上回るには、彼女が無視できない威力の自然現象を、素早い速度でぶつけ続けなければならないだろう。

 つまり力と展開速度に意識を割くから、細かな精度はどうしたって悪くなる。

 そうなると流石に、近接戦闘を行う獣人達を一切巻き込まない事は、僕にだって難しい……、というか、そちらに余分な集中力を割きたくはなかった。

 またエルフに精霊に干渉されると、その影響を把握するのが面倒くさいし。


 ではウィンは巻き込んでも大丈夫なのかと言えば、実は、そう、大丈夫なのだ。

 幾ら僕の制御が甘くても、僕の心に共感した精霊が、彼を傷付ける事はない。

 精霊も、ウィンが傷付けば、彼を幼い頃から育てた僕が悲しむと知っているから。


 だから僕とウィン、二人だけで聖教主に挑むのが、今は最も効率が良かった。


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