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 それから更に二週間、戦況は予想通りに連合軍の優位にと傾いている。

 どうやら聖教主の仙術には準備が要るのか、彼女の術はそれから二日ごとに行使され、けれどもその全てを僕が鎮めた。

 突如として出現した地割れが、やはり突如として土で埋まったり、堅牢な石造りの砦に起こった不自然な火事を、急に降り出した雨が消し止めたりと。

 行使される仙術は徐々に大規模、なりふり構わない物になりつつあるが、僕にとっては誤差の範囲だ。


 人間の軍も連合軍も、戦いの裏で起きてる異変には多くの者が気付いて不気味がってはいるけれど、今のところは戦況への影響は殆どない。

 このまま戦いが進めば、そう遠くないうちに連合軍が敵本陣への道を切り開くか、人間の軍が前線を後退、或いは撤退を決めて立て直しを図るだろう。

 聖教主を討つ好機はそのドサクサだと考えて、今晩も彼女の仙術に備えていた僕だったけれど……。


 捉えていた気配が人間の軍の本陣を離れ、南へと遠ざかって行く。

 どうやら聖教主は前線の軍を見捨てて、自らの保身を図ったらしい。


 彼女にとって人間の軍は手足に過ぎず、頭である自分の身の安全よりも優先するものではなかったのだろう。

 普通の人間であれば手足を失えば何もできずに失血死しかねないが、邪仙である聖教主にとっては、手足とは再生可能な代物だ。

 後方へと逃げて安全な場所に身を隠せば、軍なんて幾らでも招集できる。

 そんな考えが透けて見える行動だった。


 けれども、聖教主は一つだけわかっていない。

 僕らが即座に彼女を討ち取りに行かなかったのは、周囲にいる人間の軍が邪魔だったからなのだと。

 そこから離れて移動してる今、その身が無防備である事を。

 僕に敵わぬと理解しつつも、未だに己を強者であると考える聖教主は、自分の窮地に疎かった。

 せめて術を防がれた最初の晩に逃げ出していれば、追撃の準備は、その時は整っていなかったのに。


 中途半端に術を試し続けた事が、彼女の命取りだった。

 あぁ、尤も、僕が一度でも気配を捉まえた以上、どんなに逃げてもいずれは追い詰めただろうけれども。


 いや、そもそも戦場に出て来た事が大きな油断だ。

 きっと聖教主はこれまでと同じく、全てを弄ぶ心算でいたのだろう。

 西部から人間以外の種族が絶えていないのも、連合軍が大きく纏まる前に潰されなかったのも、彼女にとっては何時でもそうしてしまえる遊びだから。

 だがその油断が、驕りが、僕をこの地へと招くきっかけを作った。



「ウィンに伝えて。獲物が籠を出た。すぐに追いかければ今晩中にケリが付くって」

 僕は傍に控えていたエルフにそう告げると、真っ直ぐにケンタウロスの宿舎へと向かう。

 気配の移動する速度から考えて、聖教主は馬車で南に逃げている。

 獣人ならば駆けて追い付けるだろうけれども、僕やウィンには難しい。

 だけどそうなる事も予測済みで、連合軍に参加したケンタウロスの中でも特に足の速い者達が、追撃の部隊には配属されていた。



 ガラガラと音を立てて全速力で走る馬車を、五人の獣人と三人のケンタウロスが追う。

 そしてそのケンタウロスの背中には、それぞれ僕とウィン、それからエルフが一人乗っている。


 今、人間の本陣には連合軍が派手に攻撃を仕掛けていて、こちらに人間の軍がやってくる事はないだろう。

 馬車に付けられていた護衛達は、別の獣人部隊が引き剥がしてくれた。

 複数の馬車がバラバラの方向に逃げているけれど、僕の感覚が聖教主の乗る、正解の馬車をちゃんと捉え続けてる。

 後は、そう、その馬車を停止させて聖教主を討ち取れば、この西部の戦いの終結に大きく近づく事ができるのだ。


 逃げる相手を追いかけ回して殺すなんて、趣味じゃないにも程があるけれど、しかしあの馬車に乗る相手は弱者じゃない。

 むしろ他の全てを弱者として踏み付け、餌として食い散らかしてきた、西部に巣食った寄生虫だった。


 僕らを乗せたケンタウロスよりも、自らの足で地を駆ける獣人の方が移動速度は少し速く、勢いを増した彼らの一人が大きく跳んで馬車の屋根に乗る。

 そして屋根の上から馬車のドアをこじ開けて、中の聖教主を引き摺りだそうと身体を突っ込む。

 だが異変はその途端に起こった。

 馬車に身体を突っ込んだ獣人が、びくりと一度その身を震わせて動かなくなり、数秒後には息絶えて外へと放り出されたのだ。

 しかも元はグレーだった毛は真っ白になり、若々しかった肉体も、老人を通り過ぎてミイラの如くカラカラに干からびて。


 吸精鬼とは、交わりを経ずとも触れただけで命を吸い取ってしまえるらしい。

 あぁ、僕は吸血鬼と吸精鬼は嗜好が違う邪仙なのだと思っていたけれど、もしかしたら吸血鬼が年月を経て実力を増せば、血を介さなくとも命を吸い取れるようになって、吸精鬼と呼ばれるようになるのだろうか。

 しかしこうなると、やはりウィンにも扱える魔剣を作っておいて正解だった。

 触れただけで命を吸い尽くされてしまう相手を、押さえ付けて毒の短剣で殺すのは、どう考えても不可能である。

 つまりこの場で聖教主の相手ができるのは、やはり僕とウィンだけだ。


「風の精霊よ」

 ならばここからは、僕も自重は不要だろう。

 呼び掛けた風の精霊が、馬車を牽く馬達の、繋がれた馬具を破壊する。

 突然馬具の拘束から解放され、重荷を失った馬達は驚きながら一目散に逃げだし、コントロールを失った馬車は横転して、御者は哀れにも投げ出されて地を転がった。


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