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 僕がウィンと再会してから三ヵ月が経つ。

 聖教主が集結させた人間の軍と、種族の連合軍の戦いは既に始まっている。


 と言ってもまだ戦いは序盤も序盤なので、人間の軍が出した斥候部隊をハーフリングに先導された獣人が刈り取ったり、防壁を破壊する為の攻城兵器を組み立て始めた陣地を獣人が襲って火を着けたりしてるくらいだ。

 つまり割と獣人が怖い。

 但し人間の軍は数が数なので、散発的な小競り合いに幾ら負けたところで揺らぐ事はなく、その歩みを少し遅らせるのが精々だった。

 故に戦いは、人間の軍が連合軍の所有する砦を攻め始めた時から本格化するだろう。


 集結にたっぷりと時間を掛けただけあって、人間の軍は物資や食糧も豊富に用意しているらしい。

 その物資や食糧を分散して集積所を複数設け、前線への補給が途切れてしまわないように、細心の注意を払ってる。

 仮に集積所の幾つかが襲われて焼き払われたとしても、大軍が機能不全になってしまわないように。

 少し意外だったのだけれど、人間の軍に、連合軍に対する侮りは見られなかった。


 だから結局、人間の軍と連合軍は、大いに殺し合う事になるだろう。

 多くの犠牲が出る筈だ。

 僕がハイエルフとしての力を使い、精霊の助力を乞えば、連合軍の被害を大幅に減らす事は可能である。

 でも僕は、今回、この戦いで直接的に、人間に対してそれをする心算はなかった。


 人間も、獣人も、エルフもドワーフも、ハーフリングやケンタウロスや、虫の特徴を持った種族も、この戦いに激しい痛みを感じねばならないから。

 相手を踏みつければ殴り返され、憎しみで相手を殺そうとすれば、その最中で自分や隣の親しい誰かが傷付き死ぬかもしれないのだと、皆が知る必要がある。

 僕の手出しは、この西部で続く戦いを終わらせる為の痛みを、皆から奪ってしまいかねない。


 それ故に僕が力を振るうのは、聖教主に対してのみだ。

 確実に訪れるだろうその時に備え、僕はただ、じっと待つ。


 やがて人間の軍が砦の攻略を開始し、戦場は怒号と悲鳴、血の匂いに包まれた。

 戦況は予想通りに、人間の軍はドワーフの頑強な抵抗に砦を攻めあぐね、戦場を駆け抜ける獣人の襲撃に大きな痛手を被っている。

 だが連合軍側の被害も、当然ながら皆無という訳ではなくて、日に日にその数を増していく。


 ウィンは指揮に専念していて、僕と顔を合わす時間も今は殆どない。

 焦れるような気持が少しずつ心に積もる。

 できる事があるのにそれをせず、ただ待つだけというのは、こんなにも心が苦しいものなのか。



 その状況に変化があったのは、人間の軍による砦攻めが始まって一週間後の夜。

 風の精霊の声を聞いて、砦の屋上に上がった僕の目に見えたのは、南の方角から流れてくる巨大な雷雲だ。

 どうやら自然に干渉するという仙術は、天候の操作すらできるらしい。

 精霊の感覚と共調すれば、人間の軍が展開してる陣の奥から、雷雲を引き寄せる力が発せられているのが、はっきりと認識できた。

 そしてその力の出所は、印を結んで空を睨む一人の女。


 あぁ、間違いない。

 あれが数百年もの間、クォーラム教を率いているという聖教主で、雷雲を引き寄せている仙術の使い手だ。

 恐らく呼び寄せた雷雲から無数の雷を落とす事で、砦の防御を打ち砕こうというのだろう。


 しかしそれにより、僕は彼女の所在を突き止めた。

 更にその正体までも。


 レイホンの時は、彼が未熟だったからだろうか、吸血鬼としての気配が剥き出しで、その所在は探るまでもなく明白だった。

 だけど今回は、聖教主が術を使うまではその所在が僕にもわからなかったから、少なくともレイホンよりはずっと格上の仙術の使い手である事は間違いないだろう。

 但し黄古帝国の仙人達を思い返せば、彼らは術の一つや二つを使ったところで簡単に所在を気取られるような失敗はしそうにないから、……聖教主は本物の仙人には遠く及ばない。

 つまり彼女は、レイホンよりは格上だが、本物の仙人には程遠い、年月を経て力の使い方と気配の隠し方に少し長けた邪仙である。

 精霊を通して感じる血の匂いの薄さや、身に纏った雰囲気から察するに、吸血鬼ではなく吸精鬼と呼ばれる方の。


 それだけわかれば、十分だ。

 本物の仙人でないのなら、ウィンと一緒でもどうにかなる相手だった。


 僕は指を空に、流れてくる雷雲に向けて、精霊に囁く。

「風の精霊よ。強く吹いて雲を散らして、押し返して」

 仙術がまさか天候すらも操作するとは思わなかったが、けれども残念ながら、それは精霊と共に歩む僕、ハイエルフの得意分野だ。

 相手がどんな天変地異を持って来ても、僕はそれを鎮める自信がある。


 上空に吹き始めた強い風に、術を行使していた聖教主の表情が驚きに歪む。

 どうやら僕の存在に、向こうも気付いた様子。

 それがハイエルフであるとまではわからないかもしれないが、仙術に抗する力を持つ、自分にとって脅威となる存在が、連合軍に与した事は理解しただろう。


 もしも聖教主が慎重な性格だったら、……長く生きた邪仙ならばそうである可能性が高いが、戦う人間の軍を見捨てて後方へと逃げてしまうかもしれない。

 けれどもそうなったらそうなったで、構わなかった。

 何故なら僕は、既に彼女を見付けたから、どこに逃げたところで追いかける事は可能だ。

 もちろん最終的に討ち取るのは、僕ではなくてウィンの役割なのだけれども。

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