276


 クラウースラを出てから数日掛けて、僕らは大きな森の中央の、雄大にそびえる霊木の下に辿り着く。

 ただ手合わせをする為だけにこんなところまでやって来たのは、連合軍におけるウィンの立場が大きいからだ。


 彼は、あまり自分からは言わなかったけれど、クラウースラで聞いた話を統合すると、どうやら連合軍の中心人物になるらしい。

 人間に捕まった虎の氏族の娘を助け、獣人に武器を齎し衰退を食い止め、隠されたドワーフの国を見付け出し、更に森に引き籠るばかりだったエルフを説き伏せて仲間にした。

 つまり今の連合軍を形作ったのは、間違いなくウィンである。

 彼が自ら口にしなくても、周囲はそう見ているし、その立場は当然ながらとても重いのだろう。

 単なる手合わせであっても、敗れる姿を安易には晒せない程に。


 随分と息苦しい生き方を選んだものだと、そう思う。

 そんな歩き辛い道を選ばなくても、もっと他の生き方は沢山あった筈なのに。


 でもウィンが大人として選んだ生き方に、僕が口を挟む事は、今更しない。

 その時があったとすれば、それは彼が西に向かうと決めた五十年前である。

 今となってはウィンが少しでも良き未来を目指せるように、僅かな助力をする事くらいが精々だ。


 この大きな森には、今は誰も住んではいなかった。

 本来ならばエルフが住み、管理すべき森ではあるのだろうけれど、人間との決着が付かぬ今は、この森にエルフが住めば、攻撃対象となる可能性が上がってしまう。

 故に連合軍の管理下で魔物の駆除は行われているけれど、必要以上の森への出入りはされていない。

 つまり今日、ここで行われる僕とウィンの手合わせは、他の誰の目にも触れないだろう。


「エイサー、覚えてる?」

 霊木を見上げながら、ウィンが問う。

 あぁ、忘れる筈がない。


「昔、エイサーに連れて行って貰った森の霊木も大きかったけれど、ここのも大きいね」

 ウィンを連れて霊木を見に行ったのは、ルードリア王国にある森だったか。

 実際のところは、あの森にあったものよりも、この森の霊木の方がずっと大きい。

 何しろこちらの森の霊木は、アプアの実が生るくらいなのだから。


 でもあの時、ルードリア王国の森で霊木を見たウィンは幼く身体も小さかったから、実物以上にそれを大きく感じたのだろう。

 何だかとても、懐かしい気持ちになる。


「君と並んで霊木を見る事がもう一度あるなんて、思いもしなかったよ」

 心の底からそう思って、僕は言葉を口にした。

 ハーフエルフが霊木の前に立つ。

 それがどれ程に難しい事かを、僕はよく知っている。


 けれどもウィンは、再びそれを成し遂げた。

 西部に一人でやって来て、困難を乗り越え仲間を増やし、絆と信頼を積み重ねて。

 彼は歩き辛い道を進んでいるし、僕はそれがとても心配だけど、同時にとても誇らしい。

 ……本当に、複雑で難しい気分だ。


 僕の言葉にウィンは笑って、こちらに木剣を一本放る。

 その柄を掴んで受け止め、握りを確かめてから構えれば、彼も残る一本の木剣を構えてた。

 あぁ、だったら、もう言葉は要らないか。

 もう散々に彼が大人として立派にやってる実感はしてるけれども、次は剣でもそれを教えてくれるらしいから。


 僕が一歩踏み込み木剣を振るえば、ウィンの木剣と激しくぶつかる。



 躱し、木剣を振るい、ぶつけ合う。

 地を蹴り、踏みしめる音。

 衣擦れの音。

 木剣がぶつかる音。

 互いの呼吸と視線。

 言葉はなくとも、多くの情報を交換し合う。


 奇をてらって相手を崩そうとはしない。

 力ずくで強引に押し込む真似もまだしない。


 この手合わせは相手を打ち倒して勝ち誇る為の物ではなく、互いのこれまでを確かめる為の物。

 ヨソギ流の基本の構えに基本の技。

 それらを言葉の代わりに繰り出し合って、受け止めてる。

 徐々にそのやり取りの速度を高めながら。


 尤も最初の一合で分かった事だけれど、ウィンは既に僕よりも腕の立つ剣士だった。

 決して大きな差ではないけれど、ほんの僅かに、彼は僕より上にいるだろう。

 しかしその僅かな差を生み出す為に、ウィンがどれ程に剣を振ったのか、僕には想像が付く。


 ……ウィンは剣の天才じゃない。

 才がないとまでは言わないが、良くて秀才どまりである。

 まぁ僕と似たようなものだ。

 シズキのような剣に愛されているのかとも思う才は、持って生まれてこなかった。


 だからこの差は、才の差ではなく、振ってきた剣の量と質の差。

 或いは剣に命を預けた回数の違いが生んだ差か。


 僕もウィンも、普通の人間よりはずっと長く剣を振れる。

 何時かは剣の天才達が立っていた場所にも、辿り着ける日は来るだろう。

 もしかするとその場所に辿り着くのは、僕よりもウィンが先かもしれない。

 そう考えると、少しばかり悔しいけれども。


 実力の僅かな差は、手合わせが長引くにつれて如実になっていく。

 やがて僕は防戦一方になり、捌き損ねた木剣を喉元に突き付けられる。


「……参りました」

 僕がそう発した時のウィンの笑みは、本当に嬉しそうな、子供の頃を思い出させる、無邪気なものだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る