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交易を司るとして教えられた山羊の氏族。
だけど僕にはどうしても山羊と交易のイメージが結び付かず、首を捻っていると旅の最中にガウバがその理由を教えてくれた。
なんでも山羊の氏族が交易を司るようになったのは、獣人達が北の荒野に住むようになって以降の事らしい。
つまり西部の人間がクォーラム教に染まった後、ここ数百年程の間にそうなったという。
それ以前に山羊の氏族が司っていたのは、地図の作製と手紙の配達。
山羊を祖霊として祀る彼らは、彼ら自身も粗食に強く、険しい土地での移動も得意とする。
……僕の感覚だと、山羊に手紙なんて預けたら食べてしまわれるんじゃないかと思うのだけれど、獣人である彼らは流石にそんな事はしないらしい。
故に山羊の氏族は、西部のあちらこちらに住む他の獣人達の集落を訪れ、遠方からの手紙と地図をもたらしたそうだ。
けれどもクォーラム教の成立後、人間以外の種族はその手を逃れる為に北の荒野へと移り住む。
北の荒野は昼夜の寒暖の差も大きく、厳しい環境である。
すると小さな氏族の中には、己の氏族だけでは生活に必要な品の全てを賄えないケースも出てきてしまった。
特に狩りで生計を立てる有牙族よりも、食べれる木の実や植物の採取、或いは農耕を営む有角族に、その傾向は強かったのだとか。
己の氏族だけで生活が成り立たないのであれば、足りぬ物を他所から仕入れる必要がある。
余った物を出し、足りぬ物を入れ、他の集落と協力し合わねば、獣人は生きていけなくなってしまった。
そうなると必然的に、物を運ぶ役割が必要とされたから。
西部の全ての地図を作っていた山羊の氏族は、北部の地図しか作る必要がなくなり、または作れなくなり、手紙だけでなく交易品を運ぶ事で、獣人達の生活を助ける役割を担うようになったのだ。
けれども物流が生まれ、足りぬ物を融通し合う必要があったからこそ、以前は手紙のやり取りや、近隣の氏族と祭事を協力するくらいでしかなかった緩やかな獣人の繋がりは強くなり、人間相手に不利を強いられながらも滅ぼされずに数百年も耐えたのだろう。
獣人を中心とした種族の連合軍の発生もそうだけれど、共通の敵の存在こそが、結束を固める事に繋がる。
東部の、扶桑の国では鬼の存在が人間、人魚、翼人の結束を固めて良き隣人としたように。
西部では人間を敵として、その他の種族が手を取り合った。
だけど共通の敵である人間を打ち倒した後、手を取り合った種族はどうなるのだろうか?
再びバラバラに分かれて、元通りの暮らしに戻るのだろうか?
僕は東部では、その結果を見ていない。
鬼という共通の敵を取り除く事は選ばずに、そのままあの地を立ち去った。
できるできないは別にして、関わる資格が僕にある訳じゃなかったし、その判断は間違ってなかったと今でも思う。
しかしこの西部にはウィンが深く関わっているから……。
五日程の旅で辿り着いたのは、山羊の氏族が各地に保有する小さな集落、或いは中継地の一つ。
ガウバからの、黒熊の氏族からの紹介があったからか、山羊の氏族は実にあっさりと僕を受け入れてくれた。
巻き角を頭部に生やした彼らは、僕を革袋に入ったミルクでもてなして、集落での宿泊も許可してくれる。
更に多くの種族が集まってる連合軍の拠点、ウィンのいる場所まで、案内もしてくれるらしい。
これも実は実にありがたい待遇だったけれど、そうなった切っ掛けは、明日には別れて自らの氏族に帰るガウバが、出会った時に僕を信じてくれたお陰だろう。
でも、だからこそ、どうしてあの時、ガウバが僕を信じてくれたのか、それがどうしても気になった。
何しろガウバも黒熊の氏族長も、強さ故に僕を信じるとか、意味の分からない事を言ってるから。
たとえ強くても悪さを企む者はいて、むしろ強いからこそ、そういった者は警戒しなきゃならない筈。
だけど同じ天幕、木と皮を組み合わせた山羊の氏族の住居に泊まったガウバは、
「強さには力、技、心、知恵と種類があるし、強い奴にも善し悪しはある。だが強い奴は、総じて他人を騙すような小さな悪を弄する必要はないさ。それが趣味でもない限りな」
笑って僕にそう答えた。
もしもあの時、僕が黒熊の氏族に悪意を抱いていたとしても、ガウバ達を騙す必要は別になかったからと。
「氏族長が見た強さと、俺がお前に見た強さは違うかもしれない。だけど俺達に害をなすなら、お前は潜んだままに襲い掛かっても、密かに後をつけて集落の位置を特定しても良かったんだ」
確かに、それはそうかもしれない。
単に黒熊の氏族の集落を発見するだけなら、ガウバ達の前に姿を見せて信を得るより、隠れ潜んだままに尾行した方が容易かっただろう。
「だけどお前は自ら姿を見せた。一方的に相手を把握している優位を捨てて、俺達との交友を求めた。だから信じただけだ。俺が見たお前の強さは、そこだよ。自分の優位に頓着しない程に強いお前が、俺達を騙す意味なんてないさ」
それは実に純朴で、色々とズルく物事を考える者も居ると知る僕には、危うい考え方にも思う。
けれどもその考え方故にガウバが僕を信じてくれた事は、……何だか少し嬉しく感じた。
獣人の風習にはまだ詳しくないけれど、僕がガウバに向かって拳を突き出せば、彼もそこに拳を合わせる。
友と呼べる程には、まだガウバの事は何も知らないけれど、獣人にはこういう男がいるのだと、それだけは覚えておこうと僕は思う。
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