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「そういえば、何時もあんな狩りをしてるの?」
黙々と歩き続けるのも退屈で、僕はふと、隣を歩くガウバに問うた。
すると前を歩いていた男が顔をしかめて何かを言い掛けるが、しかしそれをガウバが手で制する。
「いや、あれは大角牛を狩る際の、特別な狩り方だ。戦いに赴いた戦士達の無事を祈る儀式に大角牛の頭が必要でな。己の身一つで仕留めるのも儀式の範疇なんだ」
あぁ、なるほど。
ガウバの言葉に、僕は頷く。
それが有牙族に、或いは黒熊の氏族にとって大事な儀式であるのなら、確かに『あんな狩り』等と称されては不快だろう。
これは明らかに僕の配慮が足りなかった。
「そっか、ごめんよ。僕はどうしても狩りと言えば弓を使うって感覚があるからね。魔物ではないとはいえ、自分よりも大きな獲物を素手で仕留める狩り方が珍しかったんだ」
歩きながらではあるけど謝罪して頭を下げれば、前の男は首を振り、ガウバはニヤッと笑みを浮かべる。
どうやら彼らは、僕の謝罪を受け入れてくれるらしい。
「俺達も鳥を狩る時は、弓ではないが吹き矢を使う。痺れ毒を塗った吹き矢をな。流石に鳥は、素手で捕まえるのは難しいからな」
軽い口調でガウバはそう言ったが、実は中々に恐ろしい話だ。
痺れ毒というのは、僕の勝手な想像だけれど、神経やその興奮の伝達に作用する毒の事じゃないだろうか。
だとするとその毒を受けたなら、身動きが取れないどころか、呼吸すらできなくなって、窒息して死ぬかもしれない。
鳥に使える毒ならば、人間を始めとする人にも有効な可能性がある。
いや、恐らくは有効だからこそ、ガウバは僕に敢えてそれを告げるのだろう。
さっきみたいに、僕が迂闊な事を言ってしまわないように注意した方が良いとの、忠告の意味を込めて。
「それと実は儀式の由来なんだが、祖霊を宿した黒熊の氏族の大戦士がな、魔物となった大角牛を素手で仕留めたって伝説がある。彼の方の加護を得る為に、魔物ではないが大角牛に素手で挑むんだ」
だがこうやって色々と話してくれるガウバは、本当に親切だ。
これも彼が言っていた、技に敬意を表するって事なのだろうか。
「もちろん俺にはまだまだ到底無理な話だが、氏族の戦士は誰もが伝説の大戦士に憧れ、その再来と成るべく自らを鍛え続けてる。そこのジリウも同じくな。だから失礼な態度を取ってしまったんだ。こっちこそ悪かった」
ガウバの言葉に前を歩く男、ジリウがもう一度僕を振り返り、それから軽く自分の顔を甲で撫でた。
それが彼らの謝罪を示す仕草らしい。
こうして見知らぬ文化に触れるのは、ちょっと久しぶりの経験だ。
僕はそれに、新鮮さと懐かしさを同時に覚える。
視界の先に、木の柵に囲まれた集落らしきものが見えて来た。
獣人の集落を前にして、僕は今、少しばかりワクワクしている。
「ようこそエルフの客人、ここが俺達、黒熊の氏族の集落だ。エイサー、お前を歓迎しよう」
獣の皮で作ったのであろうテントのような住居が並ぶ集落に入ったところで、立ち止まったガウバが僕に向かってそう告げた。
恐らくそれは、集落の住人達に彼が僕をどう扱うと決めたのかを、報せる為に放たれた言葉だろう。
集落に入った時から注がれていた多くの視線から、幾分だが警戒心が薄らいだのを感じるし。
そして僕は、改めてガウバや、他の狩人、集落の住人達を見て、改めて獣人という種族を知る。
獣人とは言うけれど、見た目に関しては人間との差異は然して多くない。
有牙族と有角族という区分や、更に個々の氏族によってもその見た目に差異はあるそうだから、一概には言えないのかもしれないが、黒熊の氏族は見た目は然程に人間とかけ離れてはいなかった。
特徴的なのは、獣に近い耳と、口を開いた時に見える発達した犬歯だろうか。
あぁ、……後はお尻にちょこんと付いた、丸く短い尻尾もそうだ。
耳の位置は頭部ではなく、顔の横で人間やエルフと変わらず、けれども柔らかい毛に覆われた尖った耳が生えている。
犬歯も別に、吸血鬼程には尖っておらず、尻尾に関しては、彼らが黒熊の氏族だからこそ、短く丸い尻尾なのだろう。
ちなみに有角族は犬歯を持たず、代わりに角が生えてるらしい。
ウィンからの手紙には有牙族は肉食の獣、有角族が草食の獣、といった風に書かれてたけれど、猪や象はどうなるんだろう?
猪の牙も、角に含んで考えるのだろうか。
そもそも角を持たない草食獣も多いのに……。
まぁその辺りは、実際に猪の氏族に会ってからのお楽しみだ。
物珍しさに辺りを見回していると、ガウバがドンと僕の背を叩く。
どうやら氏族長がやって来たから、会話に集中しろと促してくれた様子。
「戦士ガウバが招きしエルフの客人よ。どうやら見たところ、この地の者ではなさそうだ。一体何用で我らの集落を訪れられた?」
老年の、しかし眼光鋭い黒熊の氏族の獣人が、僕を真っ直ぐに見据えて問う。
それは狩場でガウバにされたものと同じ問い掛け。
人間と戦う種族の連合軍にはエルフも加わっていると、西中央部では聞いたのだけれど、少なくとも獣人とエルフに交流はあまりないらしい。
「知人に会いに。……知人といっても義理の息子がね。連合軍に加わってるんだ。ハーフエルフのウィン。彼に会う為に、僕はこの地へやって来た」
だが眼光鋭く問われても、たじろぐ必要は少しもない。
僕にやましいと思う事は何一つなく、また旅の目的であるウィンも、あの小さかったウィンも、今は僕の誇りである。
彼がこの地で何をして、どのように思われていたとしてもそれが変わりはしないから。
その視線を見つめ返して、胸を張って笑みを浮かべた。
どのくらいそうしていただろうか、やがて氏族長はそっと目を伏せると、
「……なるほど、お強い。疑うのが馬鹿らしくなる程に。ハーフエルフのウィン、確かに存じておりまする。我ら獣人、特に有牙族の間では有名ですな。虎の氏族を救いし鋼の使いと」
そんな言葉を口にする。
また随分と、大袈裟な物言いをしてるけれど、でもそうか。
やっぱり彼は、頑張ってたか。
そうであろう事は受け取った手紙にも書かれていたけれど、やはり誰かから話を聞けば、嬉しく思うし、より誇らしい。
あぁ、ついさっき、ウィンがこの地でどんな風に思われていても、僕が彼をどう思ってるかは変わらないなんて言ったばかりなのに、……プラスの方向には簡単に動いた。
何とも、我ながら実に単純で、呆れてしまいそうになるけれど、いやいやだって仕方なかった。
もう随分と会ってはいなくても、彼は僕の子なのだから。
「獣人の領域を進まれるなら、有角族の、交易を司る山羊の氏族の協力を得るとよろしかろう。我ら獣人が、鋼の使いの縁者を無碍にする事はありませぬ」
僕の反応をどう思ったのか、氏族長は口元に柔らかな笑みを浮かべながら、進むべき道を示してくれた。
有角族の、交易を司る山羊の氏族か。
獣人の中にそういう役割の氏族がいるのなら、その力を借りれば連合軍への合流もスムーズになるだろう。
「しかし今日は、我らの集落に泊まられよ。山羊の氏族へは、明日にガウバ、お前が案内して差し上げなさい」
至れり尽くせり……、とまで言うと大袈裟かもしれないけれど、氏族長の温かく有り難い申し出に、僕は頭を下げて感謝の気持ちを、彼に伝えた。
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