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 僕がイネェルダに辿り着いてから五ヵ月が経ち、エルフ達が進めてくれていたこの地と周辺国を遮る川を作る準備が整った。

 尤も一口にこの地と周辺国を遮ると言っても、一律に全てを遠ざける訳では決してない。

 エルフに対して敵対的な国との境の川幅は広く、されど曲がりくねらせて水流を速くし、橋を掛けたり船で渡る事を難しくする。

 もちろんエルフに対して友好的な国はその逆で、流れを穏やかに行き来し易いだけでなく、その国にとって川が利を齎すように配慮をしよう。


 幸い、エルフに対して敵対的な国と友好的な国はハッキリとわかれた場所にある。

 現在、イネェルダを取り囲む国は、南のカザリア、西のキルギア、北西のデュリグル、北東のコーフル、東のワイフォレンの五つ。

 そしてエルフに対して敵対的な、西部の宗教を国教とする国は、カザリア、キルギア、デュリグルの三つだった。


 西から入ってきた宗教だから西側が強い。

 なんて単純な話ではないだろうけれど、いずれにしてもハッキリとわかれてくれているのはやり易い。

 真北はいずれの国にも属さない山があるから、それを境に西側と、南側の全てを渡り辛い難所にすれば十分だろう。


 もしかすると北東のコーフルや東のワイフォレンが信仰を変えたり、或いは別の国に攻め滅ぼされる事もあるかもしれないが、その為に一応は友好的な国の間にも川を敷くのだ。

 エルフは別に難所でなくとも、水の精霊の力を借りれば有利に戦えるし、そうでなくとも人間の軍に負けぬよう、エルフ達が個々でなく纏まった集団として、軍として戦えるように訓練もする心算だから。

 防衛に関しては大きな問題はなくなるだろう。

 また他国から人間の軍がイネェルダに入り込まないようになれば、国土の平地を可能な限り農業に使え、食料問題も解決に近付く。


 当然ながらそれでエルフの抱える問題が全て解決する訳ではなく、防衛が容易になり、食料の供給も安定すれば、今度はそれまでは我慢していた不満が噴き出す。

 命に係わるような危険が遠ざかれば、不満を口にする余裕が生まれるから。

 それは人間とは程度は違えどエルフも同じであり、逆に不満が全く出ないのも不健全だ。

 しかしその不満に足元を掬われれば、最悪の場合はエルフの国は内側から割れて、瓦解してしまう事もあるだろう。


 そうならない為には、エルフ達を束ねる指導者、代表が必要であり、……連帯感を増す為にもそろそろエルフの国の名前も決めねばならない。

 僕が居る間は、エルフ達が割れたりする事はまずないと思うけれど、けれども僕だって何時までもこの地にいる訳じゃないのだ。

 この地に留まると決めた時間は、残り九年と七ヶ月。

 その間にエルフ達が長く纏まり続けられるような体制を作り上げる。

 あぁ、それは川で国を囲うよりも、ずっとずっと難しい事だけれども。


 ……まぁ、できる事からやるとしよう。

 今日のところは、僕は川を作ればそれでいいのだ。



 エルフ達が見守る中、僕は地に手を付けて目を閉じた。

 ここはイネェルダの国土の真ん中だから、変化が起きるのは外周部で、僕を見守っていても面白い事はないと思うのだけれど、あぁ、でもエルフなら、人間と違って精霊が動くさまを見られるか。


「地の精霊よ」

 呼び掛け、心を共感させ、僕は地の精霊と感覚を一つにして、それを探っていく。

 エルフ達が地の精霊の力を借りて掘った穴を、当然ながら地の精霊は知っている。

 だから僕がその場所を教えてくれと願えば、脳裏に無数の点が浮かび、それを繋げばイネェルダの国土の形となった。


 後は先日、子供達と一緒にやった指を使った彫刻の応用だ。

 僕は脳裏でその点から点を指でなぞり、繋いで行く。

 但し真っ直ぐにじゃなく、途中を曲がりくねらせたりしながらだけれど。

 そう、今、僕は脳裏の点から点をなぞる事で、イネェルダの国境の大地を削ってる。

 子供達に教えた、指で石を削る彫刻のように。


 昔の僕なら、もっと強引に地面を動かし、揺れたり鳴ったりの大騒ぎが起きただろうけれど、今はそれらの余分な変化は起きない。

 いや、起こさない事を選べるようになったのだ。

 まぁそれがどうしたって話でもあるけれど、僕も少しずつは成長をしているのだろうと思う。


 集中をしてたから、どのくらいの時間が必要だったかはわからないけれど、恐らく十分と掛からずに僕は脳裏に線を引き終わった。

 もちろん同時に、イネェルダの国境には太く深い溝が刻まれている。


 だけどまだ、僕は脳裏のイメージを放棄しない。

 次はそこに水を満たす。

 呼び掛ける水の精霊は、空にいる。


「水の精霊よ」

 集まり、雲を成し、雨となって欲しい。

 僕の願いに応じて、水の精霊は空の水分を集めて、地に向かって降り注ぐ。

 激しい勢いの、大雨となって。

 しかし雲ができたのは、雨が降るのは、僕が先程引いた溝の上のみ。


 だってイネェルダ全土に降らせたら、折角育ってる作物に影響が出るかもしれないから。

 僕が保持していた脳内のイメージに沿って、水の精霊は雲を生んで雨を降らせた。

 実は風の精霊も手伝ってくれているのだけれど、主役は水の精霊だ。

 どちらにも、当然ながら地の精霊にも、一杯の感謝をしているけれど。


 これでしばらくすれば、掘った溝に水が溜まるだろう。

 水が溜まればそこにも水の精霊が宿り、今度はその精霊に頼んで、水の循環、流れを作る。

 後は北の山の水源からの道を作ったり、流れる水が出て行く先も繋げて、水の生き物を呼び込む必要があるけれど、別にそれは急がなくてもいいか。


 エルフ達が、まるで拝むように僕に向かって地に伏していた。

 実に大袈裟だけど……、まぁもう別にいいや。

 これで確かに、彼らは今までよりも安全に暮らせる。

 それを喜ぶ気持ちに、水を差す必要はない。


 僕にとって本当に難しいのは、力技で解決できないこれからなのだけれど、……あぁ、そうだ。


「ねぇ、長老。そう言えばこのイネェルダの森、貴方達が住んでた森を、貴方達は何て呼んでたの?」

 ふと、思い出した僕は、長老に問う。

 例えば東中央部の、ルードリア王国にあるエルフの住む森の一つがミの森だったり、ズィーデンの森の一つがハの森だったりと呼ばれるように、この森にもエルフ達の呼び方がある筈だ。


「お……、おぉ、お伝えしておりませんでしたか。これは本当に不作法を、申し訳ありません。我らが住む森を、我らはシヨウの森と呼んでおります」

 長老の答えに、僕は頷く。

 シヨウの森か。

 シヨウは子葉、芽生えたばかりの子供の葉だ。

 いい呼び名だと思う。


「じゃあ、これからこの地は、再び以前に住んでた人間達が帰ってきてイネェルダに戻るまでは、エルフの国であるシヨウと呼ぼう。北東のコーフル、東のワイフォレンに親書を送るにも、国の名前は必要だからね」

 取り敢えずの代表は、シヨウの森の長老でいい。

 エルフの価値観的に、長老が他を導くという姿は受け入れ易い。

 但しそれだけでは元々のシヨウの森に住まなかったエルフ、他から流れて来たエルフに不満が溜まるから、幅広くエルフの優秀な人材を集め、長老の統治に協力させる組織を作る。

 そしていずれは長老が一歩を引いて、その組織の後見に回るようになれば、シヨウは多くのエルフの意見が反映される国となるだろう。


 東中央部のアイレナや、マイオス先生に、手紙を送って助言を貰う必要もあるかもしれない。

 あぁ、手紙といえば、ジルチアス国のトムハンスの領主、グレンダ・ヴェルブス伯爵から預かった親書の返事も出さねばならなかった。

 エルフの森からの返事でなく、シヨウの国としての返事に、グレンダは驚いてくれるだろうか。


 やる事はあれやこれやと山盛りだけれども、今日のところは一先ずおいて、川の完成を祝う宴の準備に入るとしよう。

 掘った溝に水が溜まるには、まだまだ時間がかかるだろうから。


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