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 以前、ルードリア王国の森からエルフを周辺国へと移住させた時、その数はおよそ八千人だった。

 国土の広い大国、ルードリア王国だからこその数ではあるのだけれど、それでも一国でそれだけのエルフがいたのだ。

 それが西中央部の全ての、という訳ではないにしても、最も大きな森として多くのエルフが集まったイネェルダには、……どうやら三万人近い数のエルフが暮らしているらしい。

 確かアズヴァルドが王を務めるドワーフの国が、人口四、五万だったはずだから、これだけの数のエルフが集まったイネェルダも、既にエルフの国と言ってしまっても決して過言ではないだろう。


 しかし国を成せる規模で数が集まれば、やはり規模の大きな問題が持ち上がる。

 幾ら大きな森とはいえ、その恵みだけで三万ものエルフを養うには森に負担がかかり過ぎる事とか、その膨大な数のエルフを一体誰がどうやって束ねるのか等々。


 数十人から数百人の、村規模の集落ならば起きる問題は、精々が個人間での揉め事だ。

 だが万を超える数が共に暮らせば、揉め事の規模も数百人同士の抗争にとなりかねない。

 それを防ぐ為に人間の社会では法があり、身分があって統治者が居て、同じ価値観を担保する宗教が存在している。


 エルフはあまり同族と揉めない種族だけれど、それでも今は有事で誰が戦士として防衛を担当するか、誰が足りぬ食料を補う為に人間が残した田畑で作物を育てるか、得られた食料はどのように分配するかと、不平の生まれる要素は数多い。

 この地に三万ものエルフが集まって、その生活が今も破綻していないのは、やはり元からイネェルダに住んでいたエルフ達が、人間の社会をある程度理解していたからだろう。

 先住者である彼らが人間の社会を参考に、多くの人数が集まって暮らす為のルールを定めて周知した事で、どうにか大きな混乱を防いだそうだ。

 でもあくまで人間の社会を参考にした、いわば真似事のルールでは起きる問題の全てに対応はできないし、少しずつ不満は溜まっていく。

 今は周辺から攻め寄せて来る人間の軍に不満の矛先は向いているが、仮にその脅威が薄れたら……、どうなるかはわからなかった。


 防衛にだって不安はある。

 覚悟を決めて武器を取り、精霊を味方にして戦うエルフは、個々で比べれば人間の兵士よりも随分と強いけれども、大規模な集団での戦いとなると話は別だ。

 人間の兵士は集まれば部隊を成し、隊長に従って協力して戦う。

 また部隊は集まれば軍となり、指揮官の命令に従って連携して戦う。


 だがエルフにはそれができなかった。

 いや、より正確には、それを可能とする技術や知識、つまりノウハウがないのだ。

 軍学は存在しないし、兵站の概念もないし、そもそも個々のエルフが兵士としての訓練も受けていない。

 並んで行進する事すら、今のエルフ達には不可能だろう。


 以前、イネェルダの人間と共に戦っていたからこそ、エルフ達は軍の強さを知っている。

 今、自分達が防衛で勝利できているのは、国土の地形の複雑さを利用して、ゲリラ的に戦っているからこそなのだと。

 そしてそれが、何時までも同じように続くとは限らないという事も。


 もしエルフが集団戦の強さを得ようと思えば、全てのエルフが無条件に従うような誰かに、兵士として従うように命じられて訓練を受ける必要がある。

 あぁ、違う、他の問題、集団生活で生まれる不満も、このイネェルダが抱える問題の全ては、やはりそうした存在を上に戴く事で解決するだろう。


 だからこそ、それを理解している元々からイネェルダに住んでいたエルフの長老が、

「光り輝くハイエルフの御方よ。今、この時に貴方様がいらして下さった事は、我らにとって何よりの救い。どうか集まった我らの同胞をお導き下さい。人間で言うところの王として、我らに君臨なさって下さい」

 そう言いだしたのも無理はなかった。

 それは本当に、増え過ぎた同胞を支える事に己をすり減らしてきた、彼の切なる願いだったから。



 ……しかし、それは悪手であった。

 僕がそれを望まないだけでなくて。

 あぁ、いや、エルフにとってはそれでいいのかもしれない。


 イネェルダの森の長老だけでなく、周囲の全てのエルフが、期待するように僕を見ている。

 確かに今、このイネェルダに集まったエルフが抱えた問題は、僕が頂点に立ってあれこれと指示を出せば、皆が素直に従って解決に尽力するだろう。

 エルフとはそういう種族だ。

 実際、生活の不平、食料の供給体制、人間からの防衛くらいなら、全てを解決する事は……、多分可能だ。


 けれどもそれ故に、その先を考えれば、この願いには安易に頷けない。

 僕が王となったエルフの国は西中央部の中で生き残り、状況の変化を待つ事ができる。

 そして西部の宗教が西中央部から駆逐された後、……ではエルフ達は僕の下を離れて元の森に帰るだろうか?


 いいや恐らくそうはならない。

 誰もエルフの国を離れないし、それどころか他の森に集っていたエルフ達すら、イネェルダへとやって来る可能性が非常に高かった。

 つまり西中央部のエルフはイネェルダにしか居なくなり、人間とエルフの関係も改善はしない。

 僕の存在が、エルフを閉じた世界に満足させてしまうから、尚更。

 折角、元々イネェルダに住んでいたエルフ達は、自分達で人間と絆を結んでいたというのに。


 それ故に僕は、イネェルダの長老の願いに、天を仰いで沈黙した。

 エルフ達の、期待という名の圧をその身に受けながら、彼らを助け、人間とエルフの関係が改善し、僕の旅が続く方法を、考えて……。


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