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「成る程、真なる竜に会ったのか。それならその身に纏った雰囲気にも、納得ができるな」

 サリックスは僕が土産に渡した仙桃を一つ齧り、その甘さに目を細めて、耳をピコピコと上下に揺らす。

 余程に機嫌が良いのだろうか、彼がそんな子供じみた仕草をするところを、僕は初めて見た。


 僕が深い森を出てから、八十年分の話だ。

 要点だけを掻い摘んでも、それなりに話は長くなる。

 だけどサリックスは、その話に時に頷き、時に呆れたり疑問を挟みながらも、最後まで聞いてくれた。

 それも不思議なくらいに、上機嫌で。

 ドワーフに弟子入りして鍛冶を学んだり、人間から剣を習った件なんて、ハイエルフである彼にしてみれば、聞かされて愉快な話では、決してないと思うのだけれども。


「そう、それから東の島国に生えていた、雲よりも高い扶桑樹に登ってね。その実を食べて、巨人の夢を見て、種は貰って来たんだよ」

 扶桑樹の種は、サリックスの手でこの深い森に植えられるだろう。

 もちろん仙桃も同様に。

 巨人の手で植えられた物ではないから、扶桑樹の種もあんなに無茶な巨樹にはならないだろうけれど、百年か二百年もすれば、きっと新しい霊木の実が食べられるようになる筈だ。


「成る程、いや、良い土産だ。感謝しよう。しかし竜に巨人とくれば、そうか、つまり君は不死なる鳥を探しに、この深い森へと戻って来たのだな」

 サリックスの言葉に、僕は頷く。

 当初想定していたよりもずっとスムーズに話が進んでいて、実にありがたい。

 そしてサリックスが僕の話からすぐに不死なる鳥に思い当たったという事が、この深い森にそれが存在してるとの証明だった。



 探し物の手応えに攻め時を感じ、彼を説き伏せようと身を乗り出した僕を、しかしサリックスは手で制する。

「この深い森を出る事で、逆に長老達しか知らぬ秘密に気付くとは、実に面白いな、楓の子。良いとも、君の望みが叶うかどうかは知らないが、不死なる鳥に会うと良い。しかしその前に、私は君に話し、そして問わねばならない事がある」

 彼の声は静かだけれど、こちらに有無を言わさぬ迫力を秘めていた。

 先程までの上機嫌な様子とは打って変わって、真剣なまなざしで僕を見るサリックス。

 ……本当に、一体どうしたというのだろうか。

 ハイエルフという生き物が、こんなにも表情を露わにするなんて、本当にらしくない。


「まずは謝罪をしよう。私を含む長老達は、君に対しては他の者よりも殊の外に厳しく、口煩く接していた。さぞや堅苦しい思いをさせていただろう。すまない」

 そう言って、サリックスは軽く視線を伏せた。

 ……本当に、驚きだ。

 何と答えていいのか、わからないくらいに、僕は吃驚して、戸惑っている。


「ではどうして君に対して他の者よりも厳しく接したのかだが、……それは、君がハイエルフとして生まれる前の記憶を、持っているだろうと判断したからだ。あぁ、君がそれを口に出した事はなかったけれど、ね」

 だけれども次にサリックスが発した言葉の衝撃は先程までの比じゃなくて、僕の頭が理解を拒む。


 ……いや、いやいやいや、まさか。

 何故だ?

 どうしてそうなる?

 僕の態度に不自然な所があったとしても、前世の記憶なんて話に思い至る筈なんてないのに。


「驚くのも無理はない。しかし聞け、楓の子。それでも君は我らの同胞だ。何もおかしな事はない。君のような者は、我らハイエルフの中に、千年か二千年に一度くらいは生まれるのだ」

 何時の間にか木の根から立ち上がっていたサリックスが、僕の頭に手を置く。

 まるで親が、子を宥めようとするかのように。

 ハイエルフに、家族なんて概念はなかった筈なのだけれども。


 いやしかし、また聞き逃せない話が出てきた。

 僕のような者、つまり前世の記憶を持つハイエルフが、これまでも度々生まれていたなんて。


「ハイエルフに宿る魂は、不滅の魂だとは教えたな。多くのハイエルフは、ハイエルフとしての生を得てその不滅性を獲得する。しかしその時期は一定しないのだ。生まれ落ちた瞬間からそうである者、物心が付く頃にそれを得る者、様々だ」

 サリックスの話は続く。

 あぁ、彼の言いたい事が、少しだけわかってきた。

 つまり僕は、前世で死を迎えた後、その記憶が失われる前に、魂が不滅性を得た為に、不完全ではあっても過去の記憶を保持したまま、この世界に生まれたというのか。

 そしてそれは、ハイエルフという種族には、稀にある事なのだと。


「そう、君のように、生まれる前から魂の不滅性を獲得していた気の早い子は、前の生の記憶を保持しているのだ。異なる世界で、誇り高き獣の王であったり、或いは人間や他の種族として生きた記憶を」

 その言葉に、僕が感じたのは、言い表しようのない安堵。

 僕は、僕自身はこの世界に溶け込んでる心算だったけれど、もしも誰かが僕が前世の記憶を持つと知れば、異物として判断されるんじゃないだろうかと、心のどこかで考えていたように思う。

 多分、自分でも気付かなかったけれど、それをどこかで恐れてたのだ。

 だけど今、僕が前世の記憶を持つ事は、異常じゃないと、教えて貰えた。


「ただ生まれる前の記憶を持つ子は、多くが一度は深い森の外に出たがるんだ。またそうした子は、他のハイエルフにはない思考や知見を持つから周囲への影響力も強くてね。森の外に出る際に、複数人が付いて行ってしまう事もあったそうだよ」

 ……あぁ、成る程。

 それは以前の、深い森を出る前の僕ならいい事だと考えただろうけれど、今だとそれを憂う気持ちも良くわかる。

 複数のハイエルフが深い森を出れば、元より人口の少ない集落にとってはもちろん、外の世界にとっても影響はあまりに大きい。

 その気になれば一人で国を亡ぼせるハイエルフが複数人で行動するなんて、僕が言えた義理じゃないけれど、他の種族にとっては動き回る天災だ。


「実は私を生んだ二人は、そうして深い森の外に出ていたハイエルフでね。私が胎に宿ったから、二人はこの深い森に戻ったそうだ。あぁ、だから私は、一応は親と子というものの形を知ってるハイエルフになるね。だから自分の子の事も、それから子が生んだやんちゃな子、孫の事も気にしてるんだよ」

 少し自慢げに、サリックスはそう言う。

 もしかしたら、彼が他の長老衆よりも親しみ易かったのは、それもあっての事だったのか。

 そしてわざわざその話をしてくれたのも、僕を安心させてくれる為なのだろう。


「まぁだから私を含む長老達は、君がこの森から出ようと思わないように、そうでなくとも他の者達と共に出て行ってしまわないように、私達の価値観に馴染ませようとしたんだ。尤も逆効果だったみたいだけれどね。彼らも精霊と成る前に、後悔をしていたよ。君には済まなかったと」

 そうか。

 そこが僕が長老達に対して抱いていた誤解の原因で、だから謝罪なのか。

 いや、でも、そう、きっとそんな事は今更だ。

 もし長老達の態度が、最初から今のサリックスのようであったとしても、きっと僕は深い森の外に出た。



「……けれども森から出たハイエルフも、大半はこの深い森に帰ってきたそうだ。どんなに多くの縁を結んでも、深い森の外では命の終わりと共にそれも消えてしまうからと。私は外の世界を知らないけれど、同じように思う。外の世界に刺激はあれど、それ以上の意味はないと」

 少し時間をおいてから、そんな言葉を吐くサリックスの目は、僕を本気で心配してる。

 何故だろうか。

 長老としての責任か、同胞としての意識か。

 もちろんそれもあるだろうけれど、何か別の、もう少し個人的な感情を、僕は今の彼から感じてた。


「しかし一部のハイエルフは戻らなかった。不慮の事故でハイエルフとしての時間を終え、そのまま精霊と成ったのか。それとも外の世界に生きる道を見出したのかは、わからないけれど。故に私は君に問う」

 どうだろうか。

 外の世界には、思いもしない危険も皆無じゃない。

 危険地帯の魔物もそうだし、吸血鬼もそうだった。

 ハイエルフといえど、単独行動で油断をしていたら、命を落とす事だってあると思う。

 でもそうじゃなく、一生涯を深い森の外で過ごすハイエルフだって、居たかもしれない。


「君はこのまま、もう一度深い森で過ごそうとは思わないか? 私はそうすべきだと思うし、そうしてくれるなら同胞達とも会っていい。君が出て行かないなら、君と一緒に森を出ようと考える同胞もいないだろうしね」

 サリックスは恐らく、本当に僕を案じてそう言ってくれている。

 それは何となくわかった。

 僕と一緒に森を出ようと考えるハイエルフがいるとは、あまり思えないのだけれど、長老としてそれを警戒する気持ちも、まぁ当然だ。


「短い命と接する事で得られるものは、きっと感傷だけだろう。だけど不滅の私達はそうじゃない。あぁ、君が森に帰ってくるなら、きっとスミレの花も喜ぶ。君が森を出た後、あの子が探しに行くと言い出して、説き伏せるのには難儀したんだ」

 スミレの花と言えば、僕がこの深い森でそれなりに親しかったハイエルフで、別の呼び名はヴィオラという。

 でも幾ら気が合う知人だったとはいえ、常に冷静だった彼女が、僕が居なくなった程度で、後を追って探しに出るなんて真似は、流石にしないと思うのだけれども。

 だってあまりに、らしくない。


 それにしても、やっぱりサリックスは随分と饒舌だ。

 そんなにも僕を心配する理由は、一体何なのだろう?

 だがその理由がなんであれ、僕の答えは決まってる。


 心惹かれる誘いではあった。

 僕も何時の日か、そうしたいと思う日が来るかもしれないと思うくらいに。

 けれどもそれは、今じゃない。


 外の世界で得られるものが刺激だけで、幾ら縁を結んでも残るのは感傷だけなんて、そんな事はない筈だ。

 ……いや、僕だってそんな風に思った時も、確かに何度もあった。

 しかしカエハは僕に技を残してくれて、この剣を振るう時、彼女はきっとそこにいる。

 シズキとミズハは僕に相談役という立場をくれて、それは彼らの死後も、ヨソギ流と僕を結び続ける縁になるだろう。


「ありがとう、サリックス。ここが故郷だと、確認できた事はとても嬉しかったよ。でも僕にはやっぱり、まだ外の世界でやりたい事があるんだ」

 僕の答えに、迷いはない。

 不死なる鳥を探し、アイレナを雲の上に、巨人の国に連れて行く。

 ウィンに会い、もう一度剣を交える。

 玉座を尻で磨いてるだろうアズヴァルド、クソドワーフ師匠を笑い飛ばしにも行かねばならない。

 その他にも、やりたい事、やるべき事は、……そう、とても沢山思い付くから。


 僕の言葉に、サリックスはほんの少し悲しそうな顔をする。

 だけど彼は、僕の決意が固い事を理解したのか、

「あぁ、そうなんだね。楓の子よ、君には私の知らぬ何かが見えているんだろう。だけど一つだけ知ってて欲しい。そう、君が言ったように、ここは君の故郷だ。何時でも帰って来るといい。私も精霊になるその日までは、待っているから」

 そう言って息を吐いた。


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